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1 折口信夫「海やまのあひだ

「こういう心の世界を詠んだ短歌を、私は古典の中にも近・現代の作品の中にも見たことがない。釈迢空・折口信夫がどれほど特異な旅を体験し、その旅の体験からかすかで幽暗な日本人の伝承的感覚を、旅のしらべの上にどのようにしてみちびき出していったかということを、考えずには居られない気持ちになる作品である。この歌を含む「島山」一連の中には、次のような迢空の代表作と言われる作品が収められている。

葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。この山道を行きし人あり
谷々に、家居ちりぼひ ひそけさよ。山の木の間に息づく。われは
山の際の空ひた曇る さびしさよ。四方の木むらは 音たえにけり
この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ
ひとりある心ゆるびに、島山のさやけきに向きて、息つきにけり
もの言わぬ日かさなれり。稀に言ふことばつたなく 足らふ心
いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹のはさみを もぎはなちたり
沢の道に、ここだ逃げ散る蟹のむれ 踏みつぶしつゝ、心むなしもよ

白秋が命名した、「黒衣の旅びと」のひそかな息づかいが、一首一首に刻まれている。しかしこういう歌と比べても、一連の最後に置かれた鶏の子の二首の歌は、格別な心の境地に踏みこんでいると思う」岡野弘彦「折口信夫伝」

2 レイモンド・チャンドラー「プレイバック」

この後の25章で、マーロウがおなじ彼女に言ふ台詞
「タフでなかったら、生きては行けない。優しくなれなかったら、生きていく資格がない」は、コマーシャルに利用され、あまりにも手垢にまみれてしまつた。
「タフ」は原文では「hard」であり、抜け目ないと言ふ意味に近いさうである。

3 九鬼周造「音と匂」

「人間は偶然に地球の表面の何処か一点へ投げ出されたものである。如何にして投げ出されたか、何処に投げ出されたかは知る由もない。ただ生まれ出でて死んで行くのである。人生の味も美しさもそこにある。これが、偶然であり、「いき」なのである。
*中略*
九鬼の大好きな言葉でいえば、「可能が、可能の、そういうふうになるところ」という彼方だ。そこはもとより寂しくて、恋しいところではあるけれど、だからこそ、どこよりも「いき」で、「粋」なところなのである」松岡正剛「千夜千冊」

シューマン「幻想小曲集作品12〜1夕べに」

4 塚本邦雄「秋風のすみか

生けらばと誓ふその日もなほ来ずば辺りの雲をわれと眺めよ
後の世をこの世に見るぞあはれなるおのが火串を待つにつけても

「その日が来ることを良経はもとより期してはいなかつた。しかしさもあろう。照射の松なる火串にさえ死後を見た彼に、生きて逢ういかなる恋が考え得たろう。かつて「後の世を此の世に見」た者には「なほ来ずば」の仮定もそのまま既定事実に等しい。未来すら彼にとつては半過去であり、生きていることはいつの日からか亡き後の春秋をたしかめることに変わっていたのだ」
塚本邦雄「藤原良經」

おくやまにたぎりておつるたきつせのたまちるばかりものなおもひそ
後拾遺和歌抄第廿雑六・神祇

このうたは貴船の明神の御かへしなり、をとこのこゑにて和泉式部が耳に聞えけるとなん傅へたる。

「これは名高い貴船明神の作である。和泉式部の哀訴『ものおもへば澤の蛍もわが身よりあくがれいづるたまかとぞみる』に對しての返歌、さすが和泉式部だけのことはある。二百年後、六百番歌合の『祈戀』で、天才藤原良經が『幾代われ波にしをれて貴船川袖に玉ちるものおもふらん』なる絶唱を遺してゐるが、これに神慮が及んだといふ傳聞はない。
その藤原良經、後京極摂政太政大臣を中核とする、天才一家の夭折の系譜には、ただならぬ妖異の気配がひそんでいる。私はかつて、初めて、『尊卑分脈』の該當項をひらいて、良經公傳の細字を拾ひ、慄然としたことがある。すなわち、新古今集成立の翌年、建永元年、三十七歳で薨ずるこの天才貴公子の略歴の末尾には、誰知らぬものはない、有名な、次のやうな、無表情で示唆に富んだ記述が見える。
『建永元三十七薨頓死 但於寝所自天上被刺戟云々 尊卑分脈・摂家相續孫九條』
天上から戟で刺されるとは。勿論傳聞であり、確たる證據のあるはずもないが、火のないところに立つた煙と談じうる證據もない。

塚本邦雄「みぬ世まで」

5 マイルス・デイビス「ハンニバル」

テレビ番組の最後、クインシー・トゥループはプレイヤーの側へ行き、一枚のCDをセットした。
「『このハンニバル』を聴いたとき、彼はまだあの歌声を求めていると感じた。長い人生の旅を続けてきて、色々のスタイルに挑んできた彼が、最後まであの女の声に近づこうとしていたんだ」

私は「ハンニバル」の収められた「LIVE AROUND THE WORLD」といふタイトルのCDをてにいれ、一通り聴いた。未だ結論を出す段階にないが、クインシーのいふ「ハンニバル」より、「TIME AFTER TIME」に惹かれる。このアルバムには、トランペットの音はない。あるのは人の声だ。ビリー・ホリデイの声だ。彼は長い遍歴の末、人間の持つ根源的な楽器、「声」にたどりついた。

アルバム「LIVE AROUND THE WORLD」〜「HANNIBAL」
マイルス・デイヴィス(tp)、ケニー・ギャレット(as)、デロン・ジョンソン(keyboards)、フォーリー・マクリアリー、リチャード・パターソン(b)、リッキー・ウェルマン(ds)
1991年7月21日フランス・アンデルノ・シャピトーでのライブ

6 シューベルト歌曲「さすらい人」

シューベルト「さすらい人」D493、1916年。
この歌曲の一部から、幻想曲ハ短調さすらい人」D760 作品15の第二楽章変奏曲の主題とした。
あの人のゐないところ、そこにこそ幸せがあるのだ。

7 江國香織「神様のボート」

「ヴァルダロの恋人たち」と呼ばれる男女の化石について。
2007年、北イタリアのマントバ近郊で、抱き合つたままの男女の化石が発見された。およそ5000年から6000年前に埋められたものと推定され、ほぼ完全に近い形で残されてゐる。

8 馬場あき子「君がまだ知らぬゆかたをきて待たむ風なつかしき夕べなり」

「きみがまだ知らぬゆかたをきて待たむ風なつかしき夕べなり」
おとこ共には想像しただけでもたまらない情景であらう。私ならこの場合、彼女にカンチューハイで、もてなされるのはご免かうむりたい。馬場あき子には、「鬼の研究」という名著があり、最近では自身青き精神の鬼と化したやうだ。

9 T.カポーティ「うつくしい子供

時は1955年4月28日
ニューヨーク・シティ、ユニヴァーサル葬儀場の教会堂でのコリアー女史の葬儀に列席し、トルーマン・カポーティとマリリン・モンローは、彼女の好きなサウス・ストリートへタクシーで乗りつけた。
「マリリン『あたしがどんな女か、マリリン・モンローは本当にどんな女か、そう人に訊かれたら、ねえ、なんて答えるつもりなのってきいたのを覚えてる?』(彼女の口調はからかうようであり、馬鹿にするようでもあったが、真剣みがあった。本音を訊きたかったのだ)『あたしはとんまだって言うんでしょうね。お菓子のバナナ・スプリットみたいだって』
カポーティ『当然ね。だけど、それにつけたして…』
(あたりは暗くなってきた。彼女は空や雲とともに闇にまぎれ、空や雲よりも遠ざかって行くように見えた。私はカモメの鳴き声よりも大きな声を出して彼女を呼び戻したかった。マリリン!ねえ、マリリン、何もかにもがなんで決まりきったように消えてなくなるのだろうか。人生ってなんでこんなにいまいましく、くだらないのだろうか、と)
カポーティ『えーとね』
マリリン『聞こえないわよ』
カポーティ『えーとね、きみはうつくしい子供だとね』」 T・カポーティ「うつくしい子供」

10 ドビュッシー「ビリティスの三つの歌」

ビリチスの墓〈最後の碑銘〉

月桂樹の黒き葉陰、愛欲の薔薇の花陰、ここぞ、妾の眠る土。詩句を編み、接吻を花と咲かせた 女の身。
ナンフの國に人となり、女の島に世を送り、美の神の島に妾は死んだ。されば 妾の名は高く、碑に香油は塗られる。
碑に詣づる人よ、わがために涙を流すな。葬ひは華やかだつた。泣き女は頬を傷めた。頸飾、鏡は墓の中に置かれた。
そして 今、アスフォデエルの花蒼く咲き匂ふ野に、手に觸れ難き影となり、妾は 彷徨ふ。地上の生の思出は、地下のわが命の 歡喜。

ドビュッシーは〈ビリティスの歌〉から、三編の詩を選び、〈ビリティスの三つの歌〉とした。愛ははじまり、愛は高まり、泉の氷は鉄の鍬で割られる。氷の欠片を翳してあの人はいふ。〈御覽、誰もゐないよ、ニンフもサチュロスも、それから…〉

「〈ビリティスの歌〉がなかなか初演されなかったのは、音楽のせいというよりは、同性愛を扱った詩集の内容が、音楽の世界にとってスキャンダラスだったこともあるだろう。
しかし、ドビュッシーの詩の選択は、詩集全体からみればきわめておとなしいのである。ピエール・ルイスの文学上のエロティシズムに対して、ドビュッシーは極端に潔癖だった。
ルイスは性的な題材を数多く扱ったが、その語法はけっして官能的なものではなく、むしろ透明で清潔感すらあった。このことは、非常に官能的な音楽言語の持ち主だったドビュッシーの作品が、いつもイノセントな素材をインスピレーション源に持っていたのと、興味深い対照をなしている」
〈ドビュッシー〉青柳いづみこ

11 丸谷才一・文藝評論集「梨のつぶて」から「吉野山はいづくぞ」

沖津かぜ西吹く浪ぞ音かはる海の都も秋や立つらん

「西吹く浪ぞ」にとらはれてはいけない。第二句を二つに分けて第一句と第三句につけ、『沖津かぜ西吹く、浪ぞ音かはる』と考へればわかりやすい。

一首は、和歌が亡んだゆゑ実は都でなくなつた都に秋が立つ日に、今となつては真の都である虚構の都の秋を思ひやるといふ屈折した構造になつてゐる。当然その嘆きの声は、『沖津かぜ 西吹く 浪ぞ 音かはる』と嗚咽のやうにきれぎれに響いてから、下の句の淀みない、しかし奇妙に哀切な調べに変る。これもまた『新古今集』の切れの多い詠みぶりを極限にまで追ひつめた姿であつた。応仁の乱がはじまるのは正徹の死後八年のことである。 丸谷才一「新々百人一首」

12 永井荷風「『あめりか物語』・六月の夜の夢」

「自分は初めて空想から覺め足早に岡を超て、曲りくねつた草徑をわが家の方へと辿つて行つたが、すると突然四五間先に動いて行く眞白な物の影を見た、……小作りな女の後姿である。
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女の姿は一度草徑の曲る處で、其の身丈(せい)よりも高い雑草の中に隠れたが、同時に何か口の中で歌ふ歌が聞えて、遂に其の行き盡した處は意外にも自分の泊つて居る家の前であつた。
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この女こそかの歌の主、この女こそ自分が今忘れやうとしても忘れられぬロザリンである」

〈宿の妻に紹介され、主人公は彼女と交際を深めていく。だがやがて別れの時至り、思ひを残しフランスへと旅立つ〉

「突然上甲板の方に人の騒ぐ聲が聞える。ル・アーブル港の燈火が見え始めたのだと云ふ。自分は遂にフランスに着したのだ。然しこの止みがたき心の痛みを如何にしやう。自分は思ひ出すともなくミユツセがモザルトの楽譜に合せて作つた一詩…
『思ひ出でよ。もし運命の永遠に、我を君より分ちなば、我が悲しき戀を思ひ出でよ。別れし折を思ひ出でよ。心の響き消えざらば、とこしへに心は君に語るべし、思ひ出でよ思ひ出でよと』
心の中に口ずさみながら初めて見るフランスの山に自分は敬意を表する爲めにと、一歩一歩甲板の方に歩いて行つた。
『思ひ出でよ。冷き土に永遠に、わが破れし心眠りなば、思ひ出でよ。淋しき花の徐に、わが墳墓に開きなば、君は再びわれを見じ。されど朽ちせぬわが魂は、親しき妹が如くに、君が傍に返り來ん。心澄して夜に聞け。ささやく聲あり、思ひ出でよと』」

「モザルトの楽譜」とは、モーツァルトのどの曲なのだらう。誰かをしへてくれないか。

13 ノアイユ夫人〈西班牙を望み見て〉 訳・永井荷風

荷風の〈珊瑚集〉は、〈海潮音〉と並び称される名訳詩集であるが、ここに掲げた一篇は特に傑出した出来で、〈海潮音〉にはこれに及ぶものはひとつもないと思う。訳詩というものは変なもので、原詩を仮りた創作の働きがなければ詩にならない。
この訳詩でよろしいのは息の長い声調と、つぼにはまった語彙の用い方で、ちょっと真似のできない凄艶な趣を呈している。荷風の審美眼、言葉に対する感覚の上等さを思うべきだ。明治大正の文語詩の中で、最も美しいのはどれかと尋ねられたら、私はためらわずこの訳詩一篇をあげたい。文語詩は声調をもって第一とする。このような纏綿として気品ある情調は、よくこの一篇のみが達し得たところだと私は考える。渡辺京二

14 バッハ「マタイ受難曲」

「数え年で、昔風にいえばこの正月(1975年)私は五十六才になった。私は観相をするが、多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う。あと二年。その為かちかごろレコードをかけていても、死んだ時のことを考える。死後のさきはわからない。息をひきとったあと、通夜から葬式まで、枕もとに座った家内や娘の光景を想う」

五味康祐、昭和五十五年四月死去。享年五十八才。最後に聴いた曲は、ベートーベン:ピアノソナタ作品111。

「今、われわれは神をもつことができる。レコードの普及のおかげで。そうでなくて、どうして〈マタイ受難曲〉を人は聴いたといえるのか」

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