神々の夢のなごり

月の光のしずかにすべりゆくとき、想ひがすべてのうへに在るとき、我が目には波はうなばらと映らず、森は樹々のあつまりとはみえず、天空をかざるは雲にあらず、峪や丘はもはや地のおきふしとはみえず、うつし世はうたかたの如、すべては神々のみたまふ夢のなごりなり。 シェーンベルク : Gurre-Lieder

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ばらの騎士 R・シュトラウス「ばらの騎士」  gallery 15

私は固く誓った、彼を正しいやり方で愛すると、他の女に対する彼の愛でさえ愛すると!でもそのことが、こんなにすぐにやって来るなんて。

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2019.09.06「美しき過去の面影」
吉田秀和「ばらの騎士」
「これは古いオペラのパロディーではない。舞台なしに、音楽だけを聞いていれば、実際の音は歌も、それからいたるところに顔を出す管弦楽の間奏もきわめてモダーンである。
しかし、また、これは前衛音楽ではなかった。シュトラウスはここで純粋音楽を書いたわけではない。ホフマンスタールとR・シュトラウスは『オペラ』というジャンルを、もう一度、救い出そうとしたのである」

私は〈ばらの騎士〉は、オペラといふジャンルの寿命が尽きやうとするときに咲いた徒花と思つてゐたが、吉田秀和先生の文章を読んで、成る程と思つた。そう思ひながら何か腑に落ちないものが残つた。私の偏見では、シュトラウスといふ人物は、小市民的な性向があり、音楽的には巨匠でも、オペラといふジャンルの復興を志すやうな、高邁な志の持ち主には思へなかつたからである。

先日、岡田暁生「リヒャルト・シュトラウス」といふ本を読んだ。

「〈ばらの騎士〉は一般にワーグナーからモーツアルトへと形容される。図式的に言えば、モーツアルト的な明澄とワーグナー的半音階の官能および力を、ワルツの感傷と結びつけたのが〈ばらの騎士〉である。
〈ばらの騎士〉は、単にアヴァンギャルドとしてのシュトラウスの終焉というだけでなく、一つの〈世界〉の終わりを告げている作品である。ここにはもはや未来を切り拓こうとする野望はない。美しき過去の面影を懐かしみながら、いつまでも立ち去り難く、その思い出の最も洗練された上澄みだけを掬い取ろうとする、そんな作品なのだ」

吉田、岡田両氏とも〈ばらの騎士〉が傑作であることに異論はないだらう。