神々の夢のなごり

月の光のしずかにすべりゆくとき、想ひがすべてのうへに在るとき、我が目には波はうなばらと映らず、森は樹々のあつまりとはみえず、天空をかざるは雲にあらず、峪や丘はもはや地のおきふしとはみえず、うつし世はうたかたの如、すべては神々のみたまふ夢のなごりなり。 シェーンベルク : Gurre-Lieder

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大観 小泉信三「海軍主計大尉小泉信吉」後記  gallery 17

横一尺五寸縦二尺くらいの紙本一パイに、群青で日ノ出の富士の大空に聳えている姿が描かれてあった。

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2024.02.11「身はいかならんとも」
小林秀雄講演[第一巻・文学の雑感]の学生との質疑応答で、天皇についての件がある。学生が小林先生に問ふ。
「われわれは天皇に対して、どのように接したらいいでしょうか」
それに対して先生は、
「君はどうして、そういう抽象的な質問をするのかなあ」と言ひ、さらに「君、天皇に関心あるの」と聞く。
政治問題としての天皇制に対する、今のインテリ風の解釈など、何も興味がないと言ひ切り、深夜、陛下御一人で行はれる新嘗祭の儀式、篝火の下で白酒黒酒、それに鴨の雑炊をいただきながら待つてゐる臣下に話が及ぶ。「普段僕は、天皇にアンティミテを感じないが、こういふ事がアンティミテといふものかと思つた」とも。そして、「日本という国、あるいは天皇というものについて、非常に卑俗なところから経験するんです」と答へられた。
そこから、昭和四十三年落成した皇居新宮殿を先生が拝見した話になつてゆく。故三島由紀夫は、「新宮殿には鬼がゐない」と発言したが、小林先生の話では、あれは陛下の事務所、仕事場だとのことだから、鬼はゐなくてあたりまへ、陛下の住まひは別にある。

昭和三十五年二月、アンドレ・マルローは昭和天皇に拝謁した。

奈良に行ってこられたそうですね。
さようでございます、陛下。
それはいいことをなさいました。なぜ、いにしえの日本に興味をお持ちですか。
武士道を興した民族が、騎士道を興した民族にとって、どうして無意味なはずがございましょうか。

しばし、間。天皇は、またも絨毯に視線を落としておられたが、

ああ、そう…あなたがこの国に来られてまだ間もないということもあるでしょうけれど、しかしあなたは、日本に来られてから、武士道のことを考えさせるようなものをひとつでも見たことがありますか?たったひとつでも。

質問は、縉紳の広間のなかに、あたかも古池に投じられた小石のひろげるような波紋を、絶望的なかたちで押しひろげていった。
竹本忠雄「マルロー 日本への証言」

陛下の御下問に対するマルローの返答は書かれてゐないが、絶望には及ばない。昭和二十年、八月十四日に陛下の終戦の御聖断があり、次の歌を詠まれた。

「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならんとも」

昭和天皇はマッカーサーを、終戦の年の九月二十七日に訪問し、会談された。その内容は明らかにされていない。というのは「天皇・マッカーサー会談」は、今後とも一切外部に洩らさない、という約疎句の下に行われたからである。
会談の内容は外務省がまとめて天皇に届けられた。通常この種の文書は、天皇が閲読した後で侍従長にわたされるのが慣例だが、天皇はマッカーサーとの約束を守られて、、これをそのまま手許に留められたままである。だだ藤田侍従長はそれを一読し、天皇は次の意味のことをマッカーサーに伝えたと記している。
「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追求されているが、責任は全て私にある。文武百官は私の任命する所だから、彼らに責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」 「侍従長の回想」

「私は大きな感動に揺すぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした」
「マッカーサー回想記」

皇統は「日本国民といふ有機体の個性です。不合理だからやめるといふわけには参らぬ」小林秀雄