神々の夢のなごり

月の光のしずかにすべりゆくとき、想ひがすべてのうへに在るとき、我が目には波はうなばらと映らず、森は樹々のあつまりとはみえず、天空をかざるは雲にあらず、峪や丘はもはや地のおきふしとはみえず、うつし世はうたかたの如、すべては神々のみたまふ夢のなごりなり。 シェーンベルク : Gurre-Lieder

what's new

メリーウイドウ レハール「メリーウイドウのワルツ  gallery 2

夢の世うつし世 きみゆへに あふれる想ひ 薫る花

copyright

2020.05.07「幸福の相貌」
随分と前、室生犀星〈我が愛する詩人の傅記〉を読み、初めて津村信夫の名を知つた。津村信夫の条で彼の作品はいくつか引用されてゐるが、なかでも父親を題材とした詩における、父親と彼との関係は、つよく私を惹きつける。

父を喪つた冬が
あの冬の寒さが
また 私に還つてくる

父の書斎を片づけて
大きな写真を飾つた
兄と二人で
父の遺物を
洋服を分けあつたが
ポケットの紛悦は
そのままにして置いた


詩人の辻征夫がこんな指摘をしてゐる。

〈津村が近代以後の詩人群の中で際立っているのはその「幸福の相貌」においてであり、いわば幸福ということがこの詩人の素質であり才能だった〉

津村信夫の〈幸福の相貌〉とは何か。それを探るべく、あらためて〈我が愛する詩人の傅記〉を読み返してみる。

「信夫の詩に父をうたい、父を見詰めた作品が多い。父を見ること、父をうたうことは小説家の場合は、大ていその作家の出世作か処女作になっている。〈略〉
津村信夫は偉い父をあいしていた。偉い法学博士の秀松さんはこの次男坊のために、就職口を捜してやり、次男坊信夫は就職先をいつの間にか無断で辞職して、詩や小説というものを書いて、秀松博士を唖然とさせたが、しまいには秀松博士は暮らしの金を与えて好きな事をさせていた。次男坊は詩というものを書いて、とうとう半人前から一人前になり、一人前からすぐれた詩人にかぞえられ、その詩の中で父というものの肖像画を何枚も描いて、そうして三十六歳でいちはやく死んでいた。かれはこの世に笑いと詩をのこし、愛妻昌子と、一女初枝とに何やら普段からたくさんの笑い話を言いのこして行った」

この文章を読む自分の眼が、これらの活字を殆ど愛撫してゐるのに私は気づく。
もう瞭だらう。幸福の相貌とは、この國の芸術家、詩人、文士にはめずらしい、父と子の幸福な関係にあつた。

津村信夫・明治四十二年神戸に生まれ、昭和十二年に結婚。十六年、長女誕生。昭和十九年、鎌倉にて没。