山本健吉「那智瀧私考」

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那智滝

那智の瀧は言ってみれば、最も日本的な風景の一つである。私が行った翌年、アンドレ・マルロオが日本へ来て、根津美術館蔵の「那智瀧図」を見た感動から、本物の那智瀧を見たいと言い出し、案内した時のことを竹本忠雄氏が書いていた。その時マルロオは、「めったに私は自然というものに感動させられたことがなかったが…」と言いながら、あたかも一個の芸術作品を鑑賞するときのような様子で、自然との真の出会いの感動を語ったという。

竹本氏の記すところによれば、那智瀧からマルロオは何を得たのか、伊勢に行くまで分からなかったという。瀧に真向かった鳥居の辺りで、彼は一個の芸術を鑑賞するときの姿と少しの変わりもない感動の様子を見せながら、観る位置を徐々に後退して行き、ついにある一点で止まって、「ここが瀧を見るのに最高の位置だ」と言った。

彼が根津美術館で何を感じたかは、ひとまず措く。彼はたしかに、那智瀧の前に立って、期待を裏切られなかったのである。そして彼は、その歓びを高めるために、自分の見る位置を測定する。それは手に触れるような近さではいけない。
マルロオが距離を量ろうとするのは、ある聖なる後光が霧のように立ち籠めてくる、近すぎずまた遠すぎない、ある距離を求めてである。言いかえれば、「その本質そのものによって護持された遠さ」である。
それは、ほとんど藝術作品、それも東洋の藝術作品によって、享受者たちに要求されるある態度である。賛嘆をひきおこすことを目ざす藝術に対してでなく、崇拝をひきおこすことを目ざす藝術、言いかえれば、制作者の創造力が宗教的感情によって導かれている藝術が、おのずから強いる態度なのである。 そのような態度をマルロオに取らせたとすれば、それは、瀧がまさに藝術、しかも東洋の宗教的藝術であるかのようにマルロオには見えたということだろう。彼にとって那智瀧は、単なる自然でなくて、藝術に無限に近いものだった。しかもそれは、ある距離を置いて人をたたずましめる聖なるもの、日本人が神と称している超自然の力ある生命だった。

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