notes8

1 俵万智「サラダ記念日
「気がつけば君をめぐりているだけのこのつれづれのエリック・サティ」
つれづれの〈エリック・サティ〉は、サティのどの曲だらう。雰囲気から相応しいのは、月並みだが〈ジムノペディ第一番〉であらうか。明るく静かで抑制のきいた透明さ、これらに於いて両者が結びつく。
〈沙拉紀念日〉は〈サラダ記念日〉のシナ語訳。日本人による翻訳で、シナで出版された。あの国でどれだけ読者を獲得できたものか。おそらく微々たるものだらう。他国の文化に無関心なのはシナの国民性である。これを中華思想といふ。現在では共産主義から宗旨替へして、カネが彼らの信仰の対象である。彼等が他国の文化に敬意を払ふやうになったときが、シナが真の先進国になつたときであらう。
2 大岡昇平「花影
「もし葉子が徒花なら、花そのものでないまでも、花影を踏めば満足だと、松崎はその空虚な坂道をながめながら考えた」

ただ〈花〉といへばわが国では櫻のことをさす。この約束事の成立したときが、日本が日本になつたときなのであらう。
「漢字というものがあるために、繰りかえされる誤解なのだが」とA・マルロー。「愛と死と音階によって日本はシナと全く異なる文明をつくった」

モーツアルト、ピアノ協奏曲第九番 K271、第二楽章。

3 宮沢賢治「『春と修羅』ー無声慟哭
おまへの頬の けれども
なんといふけふのうつくしさよ

ここにある〈けれども〉という接続助詞の愛しさが、わたしをとらへる。
わが影向の けれども
なんといふけふのうつくしさよ

4 泉鏡花「春晝後刻」・水の女
「否、はじめてお目にかゝりました貴下に、こんなお話を申上げまして、最う気が違つて居りますのかも分かりませんが、貴下、眞個に未来と云ふものはありますものでございませうか知ら」

「君とまたみるめおひせば四方の海の水の底をもかつき見てまし」

フランク・マルタン作曲〈ハープ、ハープシコード、ピアノと二群の弦楽オーケストラのための、小協奏交響曲〉より、第二楽章アダージョ。
ハープシコードにささえられたハープの独白。

〈ほんとうに未来と云ふものはありますものでございませうか知ら〉

5 大橋純子「ビューティフル・ミー
怖々手をのばし 腕にふれてみる
やっぱりあなたが 隣りにいるのね
優しいぬくもりが まるで嘘のよう
都会の迷路で めぐり逢った愛
ねえ私 子供の頃から
一度もきれいと 言われないけど
きっと今夜は 美しいはず
あなたの愛の 魔法で
*snip*
生まれて来て よかった

6 泉鏡花「草迷宮
生れない前に腹の中で、美しい母の胸を見るやうな…かうした夢と幻は、それは男女の愛と母子の愛が同時に成立する理想の世界であつた。

ラフマニノフ作曲〈パガニーニの主題による狂詩曲〜第十八番変奏〉
一度聞いたら忘れられない美しい旋律である。映画音楽やCMに幾度となく使はれてゐるわりには、この曲に対する印象はうごかない。甘く美しいだけではなく、意外に勁さをもつた曲なのだらう。また私を音楽の世界に導いてくれた、いくつかの曲のうちのひとつでもある。

7 堀辰雄「風立ちぬ」
それらの夏の日々、一面に薄の生ひ茂つた草原の中で、お前が立つたまま熱心に繪を描いてゐると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を横たへてゐたものだつた。さうして夕方になつて、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合つたまま、遙か彼方の、縁だけ茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆はれてゐる地平線の方を眺めやつてゐたものだつた。やうやく暮れようとしかけてゐるその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのやうに…-」

現在では〈風立ちぬ〉ときいて、松田聖子を思い出す人が多いことだらう。唄の〈風立ちぬ〉は、別れをきつかけとして心の旅に出、初めて見へてくる生の意味、そして「一人で生きてゆけそうね」といふ決意が生まれてくる物語である。堀の〈風立ちぬ〉は、恋人の死を契機にして、生の意味を明確に意識し始める。それは「常にわれわれの生はわれわれの運命以上のもの」といふ認識である。かうしてみると、両者は意外に近い関係にあるのかもしれない。

8 保田與重郎「日本の橋」と「オーヴェルニュの歌」
オーヴェルニュの歌第一集より、第二曲〈バイレロ〉…作曲家カントルーブが、フランス中南部オーベルニュ地方の民謡を採譜、編曲した作品。男女の羊飼の、川を挟んでの応答歌。これも一度聞いたら忘れられない旋律。
万葉の相聞のうたが、微かな私語の無限の拡大として、はるかオーヴェルニュにまで繋がつてゐたやうである。われわれはこの二つの間に架け渡された橋を自由に行き来して、魂を遊ばせる贅沢を許されてゐる。

9 ロス・マクドナルド、そしてマーヴィスタ・ハウジング
ロサンゼルスはマリーナ・デル・レイの北に3キロの荒蕪地。1947年ここに〈マーヴィスタ・ハウジング〉といふ、百戸の分譲住宅が計画された。実際に建てられたのは52戸。九メートル巾の道路を中心にして、左右に歩道を含む巾十二メートルの前庭があり、半世紀以上経過した現在、見上げるばかりに成長したメラレウカ等の街路樹が深い緑陰をつくる。全戸がグレゴリー・エインのオリジナルの設計を尊重し、増改築後も見事な統一感を保つてゐる。これは住民がコミュニティを作り、増改築に関する建築協定を定めた成果である。

10 安東次男「花づとめ
蜩という裏山をいつも持つ
山陰寄りの小盆地で育った少年も、今では郷土のたたずまいを定かに覚えていないが、この句のような環境で私は育った。そのことに若干の感慨なしとしない。わが生の瞭らかなものも、不分明なものも、ともに裏山にある。

11 塩野七生「レパントの海戦」
「レパントの海戦は、まずはじめに、血を流さない戦争があり、次いで、血を流す政治とつづき、最後に再び、血を流さない戦争になって終わった、歴史上の一事件であった」

アゴスティーノ・バルバリーゴ〈〜 1571年〉…ヴェネツィアの名門、バルバリーゴ家出身の指揮官。神聖同盟軍左翼の総指揮をとる。ヴェネツィア艦隊総司令官の補佐役として、副司令官の立場にあつた。レパントの海戦において、トルコ艦隊右翼との戦闘中、右目に重傷を負ひ三日後に死亡。

外交を、隣組の付き合ひと同じに考えてゐる、この国の政治家、官僚、国民のために、ヴェネツィア外交官バルバロの演説を再度引用する。

駐トルコ大使バルバロの、ヴェネツィア元老院に於ける報告演説。
「国家の安定と永続は、軍事力に因るものばかりではない。他国が我々をどう思つてゐるかの評価と、他国に対する毅然とした態度に拠ることが多い。ここ数年、トルコ人は、我々ヴェネツィアが、結局は妥協に逃げるといふことを察知してゐた。それは、我々の彼らへの態度が、礼を尽くすといふ外交上の必要以上に、卑屈であつたからである。結果として、トルコ人本来の傲慢と尊大と横柄にとどめをかけることが出来なくなり、彼らを、不合理な情熱に駆ることになつてしまつたのである」

12 サン・テグジュペリ、堀口大学訳「夜間飛行」
アンドレ・ジッドの序文より
「僕は、支配人リヴィエールの人物により多く驚嘆する。彼は自分では行動しない、しかし他人に行動させる。彼の一徹な決定の前には、弱気は一切許されない、またどんな小さな過失も彼は仮借なく処罰する。彼の厳格さは、一見、非常無道とさへ思はれる。しかしその厳格さは、人間に向けられるのではなく、人間の持つ欠点に向けられるのであつて、彼は人間の欠点を矯正しやうと言い張るのだ。僕は特に作者に対し、自分にとつて極めて重大な心理学的重要性を持つ逆説的な真理、…すなはち人間の幸福は、自由の中に存在するのではなく、義務の甘受の中に存在するのだといふ事実を、明らかにしてくれた点に感謝する者だ。この小説中の人物は、皆がそれぞれ、その義務とする危険な役割に、全身的、献身的に熱中し、それを成就した上でのみ、彼らは幸福な安息を持ちうるのだ。また読者には、リヴィエールが、決して非情な人間ではなく、(彼が行方不明になつた操縦士の妻の訪問を受けるくだり以上に感銘深いものはまたとあり得ない)彼がある一つの命令を下す場合、部下の操縦士がこれを実行する以上の勇気を要するのだと言ふことが読者に感知される。
彼は言ふ、『愛されやうとするには、同情さへしたらいいのだ。ところが、僕は決して同情はしない、いや、しないわけではないが、外面には現さない……僕は時々、自分の力に自分ながら驚くことがある』彼はまた言ふ、『部下のものを愛したまへ、ただ彼らにそれと知らさずに愛したまへ』」

〈リヴィエール語録〉
あの二人の搭乗員、ともすれば死んでしまふかもしれないあの二人の搭乗員は、幸福な生活を続け得た二人かもしれない。自分は何者の名において、彼らをその個人的な幸福から奪い取ってきたのか。ところで、ひるがえつて思ふに、それらの幸福の聖殿は、蜃気楼のやうに必ず消へてしまふものなのだ。老と死とは、彼リヴィエール以上にむごたらしく、それを破壊する。このことを思ふなら、個人的な幸福よりは永続性のある救はるべきものが人生にあるかもしれない。ともすると、人間のその部分を救はうとして、リヴィエールは働いてゐるのかもしれない。
愛する、ただひたすらに愛するといふことは、何といふ行き詰まりだらう。リヴィエールには、愛するといふ義務よりもいつそう大きな義務があるやうに、漠然と感じられるのだ

人間の生命には価値はないかもしれない。僕らは常に、何か人間の生命以上に価値のあるものが存在するかのように行為してゐるが、しからばそれは何であらうか。

人間の幸福は、自由の中に存在するのではなく、義務の甘受の中に存在する。

13 ショーソン「愛と海の詩」

モーリス・ブショールの詩をテクストにした、独唱と管弦楽のための歌曲集。第三曲〈愛の死〉の最後の部分は全曲完成前に、ピアノ伴奏〈リラの花〉として発表された。

リラの花咲く季節もばらの花咲くときも
この春には二度と戻つてはこないだらう
リラの花咲くときもばらの季節も過ぎ去つてしまつたのだ
カーネーションの花咲くときもまた
風向きは変り空はどんよりと曇つてゐる
私たちも最早リラの花や美しい薔薇を
摘みに喜び勇んで行くことはあるまい
春の季節は悲しく花ひらくことも出来ないのだ
ああ過ぐる年私たちを晴れやかに照らしにやつてきてくれた
あの年喜びにみちたやさしい春よ
私たちの愛の花は最早すつかり色あせてしまつたのだ
ああ、おまえの口づけでさへその花を
目ざめさせることが出来ないとは
お前、いったいどうしたというの
花は開かず楽しげな太陽もなくさわやかな日陰もないとは
リラの花咲く季節もばらの花咲くときも
死んでしまったのだ…私たちの恋とともに、永遠に

ショーソン最後の作品〈終りなき歌〉は、ピアノと弦楽4重奏の伴奏というめずらしい歌。
歌詞の最後の一節

過ぎし日の幸せはその甘美な光を
わたしの額に注いでくれるだらう
緑の藺草がわたしを絡めることだらう

そしてわたしの胸はときめきながら
やさしい抱擁のなかで
あのひとの思ひ出を偲ぶだらう

14 リヒャルト・シュトラウス:四つの最後の歌より〈眠りにつこうとして〉

冒頭のシンコペーションのモチーフが幾重にも重なりあって、ひそやかに進むと、その動きに便乗する形で歌がそっとはいってくる。第一詩節の終りを、ホルンが柔らかくしめくくると、それを引きついで、ヴァイオリンのソロが前奏のシンコペーションのモチーフに誘われて、子守唄のように揺れる歌をppのエスプレッシーヴォで延々と歌う。
音楽は現在に響きながら、過去を身近に呼び戻したり、時には未来を予感させ呼び出す働きをする。
これはまことに素晴らしい作品である。詩人は…歌人は…疲れきって、ただただ眠ることを欲するのだが、それでいて、この曲は何と生命にみちみちていることだろう。

はじめてリヒャルト・シュトラウスの〈四つの最後の歌〉をきいたのは、千九百五十四年ミュンヘンでのこと。この時のドイツの町々はまだ戦禍の跡も生々しく、ミュンヘンでも至るところ全壊半壊の建築物が残っており、オペラ劇場も壁の一部がわずかに見られる程度。その夜の演奏会のプログラムの中心が〈四つの最後の歌〉だった。
音楽の与えた感銘は鮮烈だった。最後の歌が終って、まず来たものは長い長い沈黙。拍手は、美人の歌手を暫時ステージで立ち往生させたあと、やっと来た。しかし一旦始まったとなると、猛烈きわまりないもので、いつ果てるともなく続いた。でも、それも無理はなかった。人々は今、自分達の巨匠の生んだ最後の作品をきき了えたところだ。その人は光輝赫々たるキャリアのあとに襲ってきた汚辱まみれの晩年を非ナチ化裁判の末、やっと切り抜けたかと思ったら、翌年死んでしまったのである。
その人が死ぬ前年に書き上げた文字通りの〈最後の四つの歌〉。
彼の最後の歌は比類のない練達の技に支えられ、意識の明確と幻想の深さとが入り混じる音楽、驚くばかりの輝きと闇とが隣りあった音楽、そうして生と死が絡みあう場としての音楽となった。

吉田秀和:永遠の故郷

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