彼女は夫のがつちりした腕をながめた。この腕が、やがて一時間もすると欧州行の飛行機をささえるはずだつた。この腕が、一大都会の運命ほどの偉大なものの責めに任ずるはずだつた。こう思ふと、彼女の心が乱れた。この男が、数百万の男たちの中で、ただ一人、この珍しい犠牲のために準備されてゐるのだつた。
「いいお天気よ、あなたの道の行く手には星がまかれてをりますわ」 彼がにつこりして、 「さうだな」 彼女は夫の肩に手をのせ、肌のぬくもりを感じて寂しくなつた。これほど貴重な肉体が、危険にさらされてゐるなんて、なんと悲しいことだらう……。