泉鏡花「春晝後刻」

松の針   ビューティフル
水の女
此の春の日の日中の心持ちを申しますのは、夢をお話しするやうで、何とも口へ出しては言へませんのね。何うでせう、此のしんとして寂しいことは。矢張、夢に賑かな處を見るやうではござんすまいか。二つか三ッつぐらゐの時に、乳母の背中から見ました、お祭の町のやうにも思はれます。
何為か、秋の暮より今、此の方が心細いんですもの。こう、あの、暖かさで、心を絞りだされるやうですわ。こんな時には、肌が蕩けるのだつて言ひますが、私は何だか、水になつて、其の溶けるのが消えて行きさうで涙が出ます、…。
暖い、優しい、柔かな、すなほな風にさそはれて、鼓草の花が、ふつと、綿になつて消えるやうに魂がなりそうなんですもの。極楽と云ふものが、アノ確に目に見えて、そして死んで行くと同じ心持なんでせう。
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