バッハ:マタイ受難曲

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マタイ受難曲

バッハの〈マタイ受難曲〉は、私ごとき人間には過ぎた曲である。でも私はひそかに自分は昭和のイエスではないかと想ったときがあった。嗤うのはたやすいだろうが、こうした実感なしでどんな受難曲の聴き方があろうか。自分がいちばん惨めなとき私は十字架にかけられたイエスを視てきた。エリ・エリ・ラマ・サバクタニ、そう叫ぶ神の子を。私は日本人で、カール・バルトの弁証法神学を一生懸命勉強したが、私という人間の体質はいささかも変わらなかったのを知っている。むろん、勉強の仕方が至らなかったからに決まっているが、どう仕様があろう。むしろ〈マタイ受難曲〉を聴いて感動するのをそれは妨げないことの方が驚きではないか。
マタイを聴いて、私が最も驚きかつ感動するのは囚人バラバにかわってイエスを十字架にかけよ、と叫ぶ群衆の凄まじい迫力を描いたあたりである。不吉な減七和音で、〈バラバ!〉と叫ぶ群衆の劇的迫力は言語に絶するものがある。
凄まじい迫力でそれを作曲できるというのは、つまりはバッハの中に神を冒涜する群衆が棲んでいるからではないのか?

五味康祐

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