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1 ロレンス・ダレル「アレクサンドリア四重奏ークレア
「それは、ある晴れた日に、全く思いがけなく、何の予告もなしに、しかも、実に楽々と、姿を現したのである。
そう、ある日、僕は、震える指で四つの言葉(四つの文字!四つの顔!)を書き記していることに気がついたのだ。世界がはじまって以来、あらゆる物語作者は、この言葉をもって、聴衆の注意を惹くために、己の数ならぬ存在を賭けてきた。それは、成年に達した芸術家という、昔ながらの物語を予告しているにすぎぬ言葉だ。僕は書いた。「昔、ある時…」全宇宙が、親しげに、僕をこづいたような気がした」

この文章で、ロレンス・ダレルの「アレクサンドリア四重奏」四部作はしめくくられてゐる。そして私の「アレクサンドリア四重奏」も、この作品でおしまひにすることとする。

2 トルーマン・カポーティ「真夏の航海」
「彼女は話をやめて、妹を見た。
『グレディ、あなたどうしてこんな死んだような夏のニューヨークに残りたいの』
こんなことくり返し言うのはやめてほしい。そして、グレディは両親が自分を一人にして旅に行ってくれることを願っていた。今はその船出の朝だ。
グレディには隠していることがある。それは誰にも知られたくないことだった」

マンハッタンに住むセレブでプロテスタントの、グレディ・マクニールは、華々しい社交界デビューも間近だ。その彼女が数ヶ月前に、駐車場で働くクライド・マンザーといふ男の子と出会つた。彼はブルックリンに住むユダヤ人だ。今年の夏は、両親も姉もゐない。彼女は大きく羽ばたくつもりだつた。二人の関係が深まるほど、二人の距離が開いていく、…なんだらうこの感覚は。

生前未発表の作品。若書きで未完成だが、随所に光る描写がある。その内の一カ所。
「明るく降りそそぐ木漏れ日は帳のようだった。彼らのうしろのベンチで、少年がポータブル蓄音機を膝に乗せ、バランスを取っていた。手巻き式の蓄音機から流れるクラリネットのソロが空中で鰻みたいに螺旋を描いた」

「クラリネットのソロが鰻みたいに螺旋を描いた」

この楽器の音色の特徴を的確に捉へてゐる。言い得て妙とはこのことだ。クラリネットはスイング時代が全盛で、モダンジャズの時代になると殆ど誰も演奏するものがいなくなつた。柔らかい音色が時代に合わなくなつたせいだらう。

3 シモーヌ・ヴェイユ「重力と恩寵」その2
ギュスターヴ・ティボンによる序文より
「ここで問われているのは、哲学ではなくて、生である。シモーヌ・ヴェーユは、一個人の体系を組み上げようとするどころか、むしろ全力を傾けて作品のなかの自分を目立たなくするように心がけている。彼女の唯一の願いは、神と人々のあいだに遮蔽物を設けないことーー〈創り主と創られたものたちが互いに秘密を打ち明け合えるように〉消え去ることだった。彼女は自分の天才などもののかずにしていなかった。真の偉大さは〈なにものでもなくなること〉に存することを知りすぎるほど知っていたからだ。〈私のうちにあるエネルギーや天賦の才などがなんであろう。そうしたものに私はいつも飽き飽きしているから姿を消すのである……〉彼女の願いはかなえられた。彼女の文章のあるものは、個人をこえた響きを発するほどの高みに達している」

4 S・フィッツジェラルド「夜はやさし」
主人公のディック・ダイヴァーは精神科の医師。入院患者のニコルと、結婚し二人の子供をまうける。一方、女優のローズマリーは17才でディックとニコル夫妻に社交界で出会い、ディックを愛するやうになる。病気の妻と多くの人付き合ひの中で、彼は次第に疲れてゆく。妻とも離婚して、アメリカに帰り、各地を転々として、ゆつくりと破滅に向かつてゆく。

彼は彼女に口づけした瞬間、四月のこのひとときはもう二度と見つからないだろう、永遠に探し求めても無駄だろうと悟った。
いうまでもなく人生はすべて崩壊の過程である。魂の真っ暗闇の中では、来る日も来る日も、時刻はいつでも午前三時なのだ。

「人間というものは大体において、一生のうちに得意な意気軒高たる時代を一度は持つものだが、ディック・ダイヴァーのこの時代が丁度それに該当する。ひとつには、自分には人を惑わすようなところがあり、自分の注ぐ愛情が、健康な人々の間ではどこか異様なところがあるということに、全く考えが及ばなかったからだ」

ディックに褒められたり、何かプレゼントを贈られたひとは、そのなかに、ディックの大切な何かが込められてゐるのに、全く気づかなかつた。それは彼の真心と言ってもいいし、打算のない気前の良さは、彼の貴種としての証であつた。

5 松田聖子
あらゆる男は土と霊とからできている。どんな女もその二つながらを養うことは出来ない。

6 吉田直哉「七平さんのリクエスト」

稲垣武「怒りを抑えし者〈評伝・山本七平〉」ー「モーツアルトの鎮魂曲」

山本は青年時代から、モーツアルトの音楽に耽溺していたらしい。ただそれは自分の心の中だけにとどめて、それへの讃仰を語ったことはなかった。モーツアルト・ファンである私も、山本とモーツアルトの話をしたことはなかったし、彼もモーツアルト信徒であることなど露知らなかった。
吉田直哉は、手術直後に山本の病床を見舞ったとき、「お見舞いに何でも持ってきますが、何がよろしいでしょうか」と聞くと、山本はモーツアルトの音楽の録音カセットを所望した。
「何よりも一番聞きたいのはレクイエムなんです」と至極明るい調子で言う。
吉田は病床に鎮魂ミサ曲を持ってくるのは縁起でもないと思い、
「だけど、一応ご病人ですからね。いくら何でもレクイエムを病室にお持ちするわけにはいきません。そりゃ駄目です」
「コピーでいいんです。コピーなら本物のレクイエムじゃないでしょ」
「そんな…レクイエム以外ならお持ちしますから」
コピーなら本物ではないから構わないだろうというのも、妙な理屈だが、それほどレクイエムを聞きたかったのだろう。しかし吉田はやはりレクイエムは不穏当と思い、山本が注文した他の曲、フルートとハープのための協奏曲、ポストホルン、ピアノ協奏曲十二・十五番など八曲のテープを翌日病室に届けた。しかし山本の願いを強引に拒否したという悔いは残った。
これほどのモーツアルト・ファンながら、それまでは多忙のため、ゆっくり音楽を聞く暇はあまりなかったらしい。山本の愛読者だった漫画家の手塚治虫は制作の際、いつもクラシック音楽をBGMとして流していたというが、山本の場合は原稿を書いたり資料を調べたり、思索にふけったりするときは、静寂でなければならないたちだった。
手塚治虫は山本が亡くなる少し前に亡くなったが、山本もメンバーの一人だったデザイン会議が熊野で行われたとき講師として手塚が招かれた。当時、手塚は半蔵門病院に入院中だったが、病院から抜け出して出席した。会議の後のパーテイで手塚は山本に「あなたを心から尊敬していました。先生の本を愛読しています」と言い、「お会いできて、もう思い残すことはありません」と語ったという。

7 わたしが愛した猫たち
2006年7月1日に、殺されて道路沿ひにある設楽学園の土手に横たはつている「しろ」を、わが家の裏窓から見つけた。おそらく6月30日に毒殺され、犯人は交通事故を装つて道路脇に置いたものと思はれる。毒殺といふ推定は、猫など容易に捕まるものではないからだ。その姿は頭を左にして、普通に寝てゐるやうに見へた。その日のうちに火葬した。
翌年、こんどは「ミケ」が殺された。おそらく9月7日に毒殺され、「しろ」が横たへられてゐた位置の、少し右側に「しろ」と同じ姿勢で、頭を左にして横たはされていた。車に乗って帰宅中、発見したのは、9月8日。その日のうちに火葬。確信をもつて言ふ。犯人は隣組の男である。証拠がないのでどうにもならない。この悔しさ、寂しさ、無念さ。

2000年の初夏、お母さん猫が4匹の子猫をつれてわが家にやつてきた。子猫は皆色ちがいで、オスの「しろ」、メスの「くろ」、メスの「三毛」、オスの「白地に黒」であつた。元々うちには飼い猫がいて、新顔と折り合ひがつきさうもない。当分外で面倒をみることにした。一ヶ月ぐらいして、白地に黒のオスがどこか行方不明になつてしまった。遊びに行つてそのままどこか居着いてしまつたのだろう。今でも元気でやつていると信じてゐる。お母さん猫は子離れをしてどこかへ出て行き、それからしろが車にでも接触したのか、左足をけがして戻ってきた。獣医に診せると骨折だと言ふ。入院して元気に戻ってきた。病院から戻ってきたしろに真つ先に飛びついたくろが、事故にあつた。こんども入院したが、翌日獣医からの連絡で、死んだのを知つた。
うちの中にいる猫も老衰で死んだ。元気で遊びあるいていた残された2匹も、上に書いたやうに毒殺されたが、凧に乗ってとうに天国に行き着いてゐることだらう。天国が許したなら、私も猫たちのところへ行くつもりだ。毎年咲くサフィニアが、風にそよぐたびに彼らのことを思ひ出す。

なお2006年殺された「しろ」は、gallery 7 パラダイスの「しろ」と同じ猫である。彼は迷い込んだ子猫の面倒をみるやうな気の優しい猫であつた。

竹馬やいろはにほへとちりぢりに 万太郎

8 マイルス・デイヴィス「ビッチェズ・ブリュー」
Bitches Brew …この意味がわからない。結論を先に言へばマイルスの一時期の口癖のやうなものだらう。Bitch …「名」メス、淫乱、アマ、嫌な難しいもの。Bitches …「自動」不平を言ふ、愚痴をこぼす。Brew …「名」酒、ビール、「自動」酒を造る、起こりさうな、「他動」企む、その他。こういふふうに並べてみても、なにも解つたことにならないが、何かの感じは伝わる。また日本語表記の、「ビツチェズ・ブリュー」もどんなものか。しらべた限りでは、「ビチィズ・ブルー」のほうが、いいと思ふのだが。いずれにしても意味がよくわからないことでは、だうでもいいことだ。
私は、モダンジャズの歴史は、マイルスの「クールの誕生」から「カインド・オブ・ブルー」で終わつたと思つてゐる。又私の偏見である。乱暴ではあるが、大筋では間違つてゐないと思つてゐる。思へば短い一生であつた。クラシック音楽は、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンで終はつたといふ言い方と同義かもしれない。その一方、シューマンからドビュッシー、バルトーク、武満徹、これらの音楽も大好きなのであるが。マイルスは「クールの誕生」でジャズを生み「ビチィズ・ブルー」で、モダンジャズに最後のとどめを刺した。これが結論である。

「ビチィズ・ブルー」のリリースが、1970年だから彼は44歳。やるべきことはやり尽くした。好きな画でも描いて、少し早いが晩年を過ごした方がよかつたと思ふ。彼の画はなかなかすばらしい。「マイルス」という名前を外しても、一人の画家として、世界に通用するいいものを持つていた。
三つ子の魂が、さうさせなかつたのだらう。

9 T.カポーティ・草の竪琴
「玄関のホールには鏡のついた帽子掛けがあり、ドリーのヴェルヴェットの帽子が掛かっていた。日の出頃、微風が家を吹き抜けていったとき、かすかに震えるヴェールが鏡に映って見えた。
そして僕は、ドリーが僕たちを置いて去っていったことを、はっきりと悟ったのだ。ほんの数分前に、彼女は人知れずこの世を去っていった。僕は、彼女のたどる道を心のなかで思い描いてみた。広場を横切り、教会の前に出て、あの丘にたどりつく。インディアン草が彼女の足許にきらめいていた。あの場所までは行きつかなければならないのだ」
*snip*
彼が大好きだつたドリーは亡くなつた。家出してドリーやキャサリンと、木の上の家に住んだことや、他に様々なことがおこつた後に、彼女やキャサリンとの楽しい暮らしは永遠に失はれた。主人公はドリーに求婚したことのある判事と共に、あの場所へと向かふ。

「僕たちは、どこに向かって歩いているのだろう。静かに目を見張り、墓地の丘のあたりを見渡した。それから腕を組んで、夏の太陽に焼かれて九月の光沢を帯びた草原へと下っていった。乾いて、さらさらと弦をかき鳴らしている草の穂に、色彩の滝が流れていた。僕はドリーが話してくれた草の竪琴の調べを、判事が聞きとってくれたらと願っていた。去っていった人々の声を集め、そして語る草の竪琴。人々の物語をいつまでも忘れずに語り伝える草の竪琴の調べを。僕たちは静かに耳を傾けていた」

10 カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」
「わたしが興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れるか」
「特にこの本の中心に、真の愛を非常にロマンチックな方法で見つけることが出来るという希望を置きたかった。こういうふうにしても死を打ち負かすことが出来る、これは世界のどの文化をみても存在する、一種の深い神話です」
以上のように、イシグロはこの作品の執筆の動機を語つてゐる。この本は細部まで淡々と、抑制された筆致で書き込まれてゐる。しかしこの作品においては、神は細部に宿らなかつた。それなりに読ませはするが、社会がクローン人間を作り、臓器提供に利用するといふ設定を最後までわたしは受け入れることが出来なかつた。上に掲げた彼の発言を読んでも、かういふ設定をしてまで小説といふものは書かなければならないものなのか。しかし以下のイシグロの発言を読むと疑問は氷解する。依然としてこの小説が好きになれないとしても。

「私たちは、何かの目的のために生まれるわけではない。生まれるために生まれ、生きるために生きる。なぜ、生きていくのか、わからないままに、先の見えない暗闇を進んでいく。ある目的の下に生を受け、役割を果たして死ぬ彼らは、その点で私たちと全く異なって見える。だが、どんな圧力が彼らの生を限定し未来を縛ろうとも、命それ自体は、目的など無効にして、ただ生きようとするのだ。生きるために」
*snip*
「そのとき、わたしは胸に赤ちゃんを抱いているところを想像しながら、曲に合わせてゆっくり体を揺らしていました。いえ、単なる想像だけならまだよかったのですが、極り悪いことに、赤ちゃんに見立てた枕を抱いていました。そして、目を閉じ、リフレーンを一緒に歌いながら、スローダンスを踊っていました」
「オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで…」

11 石井桃子「ノンちやん雲に乗る」
ノンちやんは雲に乗つたのである。そこには熊手を持つたお爺さんがゐた。ノンちやんは、お爺さんを相手に、自分や家族のことなどを話したのである。同じ雲の上には、ノンちやんの同級生もゐた。

「すると、まあ…長吉じやありませんか!(中略)ハゲのある頭も、にくたらしいほど大きなからだも……。長吉はさも満足そうに、このきれいな雲に腰かけ、おじいさんのひざによりかかつていましたが、ノンちやんを見ると、いつものようにあかんべえをしました」
ー略ー
「長吉とはおんなじ級ですけれど……長吉はノンちやんのおとうさんの釣り友だちのうえせいさん(植木屋のせい吉さん)の息子で、学校の帰りに、ノンちやんにいじわるをするという以外に、ふたりのあいだのつきあいはありません」

池に落ちたノンちやんは、エスの鳴き声のおかげで無事に救ひ出された。それから大東亜戦争をはさんで十四五年後、ノンちやんは、お医者さんにならうとしてゐる。おにいちやんは飛行機乗りになつたが、星にならずに帰つてきた。おとうさんやおかあさんも無事のやうである。ノンちゃんの命の恩人〈エス〉について、この作品の最後のほうにこうある。

「ある日曜日の朝、ノンちゃんが、ごはんをやろうとしてよんでも、エスは小屋から出てきませんでした。その日の午後、大捜索の結果、家の床下に、すでにつめたくなつているエスが発見されました。
ちょうど日曜で家にいた兄さんに手つだつて、ノンちゃんは、エスが十五年という長い年月、わが家としてきた小屋をとりのけ、そのあとへエスのお墓をつくりました。兄さんはだまつて穴を掘りました。けれど、ノンちゃんは知つています。兄さんがどんなにかなしかつたか。兄さんはしあわせだつた自分の子供時代の半分を、その穴にほうむつたのです」

12 佐藤春夫・支那歷朝名媛詩抄「車塵集」 昭和四年刊行。
美人香骨 化為車塵 「楚小志」 〈美人の香骨、車輪の下の塵と化す〉

乳房をうたひて

浴罷檀郎捫弄處
露華涼沁紫葡萄     趙鸞鸞 唐の妓。

湯あがりを
うれしき人になぶられて
露にじむとき
むらさきの玉なす葡萄

13 折口信夫「死者の書 十三」

「死者の書」の中で長い眠りからよみがえるのは、謀反人大津の皇子の魂であるが、実はさらに過去の世の幾つもの重層した、天に弓引く天若日子の魂でもある。それはこの物語を構成する重要な要素の一つであるが、その鎮まらぬ日本固有の長い長い心の伝統と、その久しい民族心理をそれぞれの世々の女の民俗の中で伝承してきた女性の力こそ、折口がより心を添わせ身を添わせて語ろうとした大事な主題であったはずだ。それが単に物語の構成要素というだけにとどまらず、折口の心と身の奥深くに刻印のようにして刻みこまれた、彼自身の意志すらも超えて他界から働きかけてくるような、執ねき力として「死者の書」の成立や物語の内外にからんできているところに、折口の意図の達成を感じ取ることができる。 岡野弘彦

14 西行、そしてモーツァルト

モーツァルト〈交響曲第四十番〉を聴くとき、西行の富士の歌を思ひうかべる。第二楽章は、ヴィオラ、第二ヴァイオリン、第一ヴァイオリンとつづき、つぎに管楽器たちが互いに谺し、呼び交はす旋律は、どこまでも青い空に消えて行く。そこは死と生を超えた永遠の世界だ。

美しいものは、相矛盾するもののさまざまな結びつきを含んでいるが、とりわけ瞬間的なものと永遠なものとの結びつきを内包している。
ひとつの芸術作品には作者がいる。とはいえ、その作品が完璧であれば、そこには本質的に作者の名前を背後におしやるなにものかがある。
シモーヌ・ヴェイユ

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