吉田直哉「七平さんのリクエスト」

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七平さんの

意表をつかれ、やがて目からウロコが落ちるー山本七平さんのお話を伺うと、いつもその二つの連続だった。
私の場合、当時テレビディレクターとして担当していたNHK特集で「聖地からの日本人論ー山本七平イスラエルを行く」という番組を撮るため、一ヶ月近い旅を御一緒できたのが、何よりの幸せであった。成果でも最高の学識ゆたかなガイドの講義つきで「聖書の旅」をしたことになったからである。
ガリラヤ湖畔のレストランで「ペテロの魚」を食べながら伺った話が思い出される。
クロダイに似た魚をオリーブ油でフライにし、塩とレモンで食べるだけの料理なのだが、名物になっているのは、この魚が実は、マタイ福音書のなかで神秘的な役割を演じたからだ。
イエスと弟子たちがカペナウムに着いたとき、神殿税を徴収する者たちがペテロに「あなたたちの教師は二ドラクマを納めないのか」ときいた。家に入ってきたペテロより先にイエスは言う。「シモン(ペテロのこと)よ。彼らをつまずかせないために、ガリラヤ湖へ行って釣り針をたれ、最初に釣れた魚をとりなさい。その口をあけると一スタテル貨幣がみつかるであろう。それをとって、私とあなたの分として彼らに与えなさい」と。
聖書にしるされた奇跡のひとつとして、この話は私も知っていた。だが七平先生は、この魚の習性を知るともっと感慨深い、と言われる。ペテロの魚というこの魚は、しばしば口に小石を入れてあがってくるのだそうだ。
なぜかというと、この魚は口の中で卵をかえし、口の中で子育てをする。ひとり立ちできるほど大きくなると、口に石をふくんで子らを追い出す。湖底に落ちた銅貨などを口に含むこともあって、そういう魚があがって欧米でニュースになったことがあるという。
「イエスの物語は、このあたりの伝承と密着しているのです。彼の根拠地はガリラヤでした」

膵臓癌の大きな手術を受けたあと、国立がんセンターの病室で七平さんは、「それならぜひモーツァルトのレクイエムをお願いしたい」
と言われた。リクエストをおっしゃってください、お持ちしますと私が言ったときである。
「いや、レクイエムはちょっと…。ポストホルンとか幻想曲とか、モーツァルトのほかのを」
「いや、『涙の日』がききたいんです」
エンギでもない、と私は縁起にこだわった。
「やれやれ。リクエストでも、ダメですか」
ーー番町協会での御葬儀で、ベームのCDの「涙の日」を何度もリピートしたのだが、そのお声がよみがえり、目に熱い液体があふれた。

Lacrimosa 涙の日

悲嘆の日なるかな
人、土より蘇りて
犯せし罪を審るべければ
嗚呼天主よ、之を赦し給へ
慈悲深き主、イエズスよ
彼等に安楽を与へ給へ、アメン

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