notes15

1 泉鏡花「縷紅新草」
《梗概》
辻町糸七は、従姉妹のお京の墓参のため寺へやつて来た。同行のお京の娘、お米と会話するうちに、三十年前、自殺をしやうと彷徨つた若き日のことを回想する。その夜に出会つた娘、初路は武士の娘であつたが、家が没落したため、はんけち工場で働いてゐた。初路が考案し、刺繍した二匹の赤蜻蛉の図案が評判になつた。それを妬まれて、図柄が猥らだと歌を唱ひ囃され、そのことから、城のお濠に身投げしてしまふ。その初路の墓「糸塚」も、お京と同じ寺にあつた。

「大城下は、目の下に、町の燈は、柳にともれ、川に流るゝ。磴(いしだん)を下へ、谷の暗いやうに下りた。場末の五燈(しょく)はまだ來ない。
あきなひ帰りの豆府屋が、ぶつかるように、ハタと留った時、
『あれ、蜻蛉が。』
お米が膝をついて、手を合せた。
あの墓石を寄せかけた、塚の絲枠の柄にかけて下山した、提灯が、山門へ出て、すこしづ ゝ 高くなり、裏山の風一通り、赤蜻蛉が静(そっ)と動いて、女の影が……二人見えた。」

故三島由紀夫は、澁澤龍彦との対談で「縷紅新草」の読後感を、「無意味な美しい透明な詩」、「神仙の作品」などと言ふ表現で、心うたれたことを語つてゐる。
若くして逝つた初路のために、ヴィヴァルディ「ヴィオラ・ダモーレ協奏曲ニ短調 RV 394」
第二楽章のラルゴが、哀切きはまりない。

2 フィリップ・ジョンソン「タウンハウス」
「この住宅は一般にはジョン・D・ロックフェラー一世夫人の『ゲストハウス』として知られているものです。マンハッタンの中心部にある「タウンハウス」の住所は東五十二丁目二四二番地で、西五十三丁目にあるニューヨーク近代美術館から歩いても十分ほど」中村好文「住宅巡礼」

玄関を一歩入ると現れるコートハウス。マンハッタンの喧噪の中の、別世界。

ハンプトン・ホーズのベストアルバム「Hampton Hawes Vol.1:The Trio」から「Easy Living」
ハンプトン・ホーズ(p)、レッド・ミッチェル(b)、チャック・トンプソン(d)
この曲を聴きながら中庭の池を眺められたら、…命がちぢまつてもいい。

3 竹内まりや「ポートレイト〜ローレンスパークの想い出」
作詞:竹内まりや 作曲:安部恭弘
東京には珍しい大雪になつた。雪が小やみになつたのを確かめ、私たちは世田谷区下馬の住まひを後にして、ひざまで積もつた雪を踏みしめ、駒沢公園へとむかつた。駒沢陸橋の下をとほり、柿の木坂にさしかかつた時、鋭い口笛の音がした。見上げると五階建てのアパートの最上階の窓のひとつに、明るい照明を背にした人影が見える。われわれは祝福されたらしかつた。
そのあとのことはよくおぼえてゐない。記憶にのこつているのは、雪の夜の静寂を破る鋭い口笛の音と、黒い瞳「M」の、手袋越しの温もりだけだ。
まりやの「ローレンスパークの想い出」を聞くと、いつもあの「遠い日」が呼びおこされる。

4 阿修羅「われわれはどこから来たのか」ゴーギャン
「『われわれはどこから来たのか、われわれは何なのか、われわれはどこに行くのか』。そしてこの問いに何の答えも持ちあわせないとすれば、『哲学はみな、一時間の労苦にも値しない』と、パスカルの言葉を転用しつつ、ベルグソンはいいきってさえいる。この問題提起が、画家ゴーギャンによる大作のタイトルとおなじ言い回しによることについて、ベルグソンがどれほど意識していたかどうかは不明である。ゴーギャンは、問題の言い回しについて、『複音書に比すべきテーマ』と書き、それをタイトルとした絵画について、『哲学的な作品』と明言している。ベルグソンがゴーギャンの作品タイトルを借用した可能性は、否定しさることはできないが、その可能性よりは、パスカルから得た可能性のほうが高いかもしれない。というのも、パスカルは、つぎのように書いているからだ。
『彼等からこうした〔自分および友人達の名誉や財産についての〕心づかいを全部取り除いてやればいいさ。なぜって言えば、そうすれば、彼らは自分を見つめ、自分が何であり、どこから来て、どこへ行くのかを考えることになろう』
では、パスカルは、このような問題提起を、どこから得たのか。おそらく、その問いそのものが、久しい以前から、普遍的な問いとして共有されていたのではないだろうか。筒井賢治は、この問いかけが普遍化していくプロセスを、次のように跡づけている。
まずペルシウスが、これを当時のローマ社会を風刺するために使った。次にテオドシウスが、独自のキリスト教理解からこの問いに答えようと試み、またそれによって、この問題意識を共有する人々を宣教のターゲットに据えた。そしてアウグスティヌスは、この問題に答えるものこそ、ローマの伝統的な神々ではなく、キリスト教の神とその教会に他ならないのだと説いた。パスカル、ゴーギャン、そしてベルクソンが、おなじような言い回しで問題提起をしたのは、このように紀元後一世紀あたりからの問いの共有があったものと思われる。」
「ベルクソン」篠原資明

5 寺山修司「目つむりてゐても吾を統ぶ五月の鷹」
画のなかにある、独特な手の指のかたちは、エル・グレコ作「聖衣剥奪」の、キリストが胸に当てた右手から借用した。この指のひらきかたは、できる人と、できない人とにわかれるといふ。

エッシェンバッハ演奏、ショパン「二十四の前奏曲〜第一曲ハ長調 Agitato」
「Agitato・アジタート」激情的に、急速に。
アルペジオの、やや明るさを感じさせる美しい旋律。それは何かの始まりを告げてゐるが、いささか力づよさに欠ける。そして期待をふくらませて間もなく、曲は終わってしまふ。
これでアジタートとよべるのか。コルトーはこの第一曲を「愛される女性の熱つぽい期待」と評したが、この演奏ではさうした印象はもてない。期待は期待でをわり、やがて空しくなる。そこには熱つぽさも、激情も感じられない。だがこの演奏は私を惹きつけてやまない。
吉田秀和氏が「黒の詩集」といふ題名で、このエッシェンバッハのアルバムに解説を書いてゐる。

「ドイツの青年ピアニストのひくこの《前奏曲集》を一口で呼ぶとすれば、〈黒の詩集〉とでも名づけられるのではないか。ここには憂愁から絶望に至る、憤怒から悲哀を経て諦念に至る音階が鳴らされている。(中略)エッシェンバッハでは、第一曲からして、もう〈喘ぎ〉としか呼びようのないものになっている。」
エッシェンバッハの他に、アルゲリッチ、ポリーニ、コルトー、ルドルフ・ゼルキン、アシュケナージ演奏の、この曲のアルバムをもってゐるが、私にはエッシェンバッハの演奏がすべてである。これは不幸なことなのだらうか。

6 「私の夕暮」、あるいは三島由紀夫「暁の寺」
「夕焼の本質などといふものはありはしません。ただそれは戯れだ。あらゆる形態と光と色の、無目的な、しかし厳粛な戯れだ。ごらんなさい、あの紫の雲を。自然は紫などといふ色の椀飯振舞をすることはめつたにないのです。夕焼雲はあらゆる左右対称にたいする侮蔑ですが、かういふ秩序の破壊は、もつと根本的なものの破壊と結びついてゐるのです。もし昼間の悠々たる白い雲が、道徳的な気高さの比喩になるなら、道徳に色などがついてゐてよいものでせうか?」
三島由起夫「豊饒の海・第三巻 暁の寺」

十七歳のとき私は私の夕暮れを一枚の絵に描いた。今回の作品はそれを下絵としてゐる。

ある少年の死のために。チャイコフスキー「弦楽セレナーデ・第三楽章〈悲歌〉」

7 R・シュトラウス、ホフマンスタール「薔薇の騎士」
吉田秀和「ばらの騎士」
「みんなはよく、「二十世紀の生んだオペラは二つしかない。ドビュッシーの『ペレアス』とアルバン・ベルクの『ヴォツェック』と」という。それはある意味では正しいのだけれど、完全に正しくはない。というのは、この二作、特に『ヴォツェック』はたしかに正真正銘二十世紀の生んだオペラにはちがいないのだが、スタイルとしては十九世紀のオペラの伝統に完全に則したものであり、十九世紀、それも後半のイタリア・ヴェリズモの線上にある。
ところが『ばらの騎士』は、オペラというジャンルが、アクチュアルな芸術としての生命を終えてしまった、あるいは、もうそうなったも同然であり、したがって滅亡した、あるいは滅亡の寸前の危機にあるという認識があってはじめてかかれた台本によっているのである。そして、この危機の認識こそが二十世紀の刻印なのである。

オペラは十七世紀、フィレンツェで生まれた。それが、オペラセリア、オペラブッファと流行の変遷があり、十八世紀にモーツアルトによつて、オペラはその頂点を迎える。それはオペラが少数階級のものから、社会の広い階級のものに移っていった経路でもあった。そうして十九世紀とともに、ヨーロッパの多くの国々での民族的思潮に呼応するオペラの発生となって展開された。オペラは、十九世紀を通じ、二十世紀でいえば映画のような存在となった。
大勢の人たちの認識としては、オペラは滅亡に瀕するどころか、繁栄を極めていた。ただオペラは、あんまり「オペラ」になりすぎていた。
簡単にいえば、オペラは繁栄のためにかえって、当初の祝典劇的な非日常性を失って、急速に娯楽にすぎないものに堕しつつあった。

ばらの騎士は、古きよき時代をなつかしんで書かれた回顧的な作品ではない。この劇は、マリア・テレジア治下のヴィーンでの貴族社会の喜劇であると同じくらい、架空のそれにおけるコメディーであり、その役目は、創造的人間に贈られるべき『真』をおくるにあった。
しかし、また、これは二十世紀初頭の『現代』の話でもいけなければ、恐らく十九世紀の話でもいけなかっただろう。それでは、日常性を超えた祝典的性格が充分に自然に芸術化されないからである。しかし、祝典的なものが自然に芸術化されなければ、オペラは成立しないのだ。ここには、それがある。オペラ本来の『真』が生まれてくるのは、そこからである。このオペラをきいて、誰もが感じる元帥夫人の悲しみと諦念の美しさにしても、それが『真』に支えられていなかったなら、一片のセンチメンタリズムにすぎなかったろう。

現代の時点からふりかえると、元帥夫人が、女性だけでなく、このオペラをみるすべての公衆の心をとらえるのに成功しているのは、ことわるまでもないことであり、その元帥夫人に歌を与えたのは、ホフマンスタールであるのと同じくらい、シュトラウスであることも、言いそえるまでもない。彼女には、第一幕と第三幕に、比類のない明察と恋の入りまじった歌が与えられている。
『今日か、明日か、それとも明後日か。そう前に自分にいってきかせたのに。これはどんな女にもふりかかってくることのはず。わたしにもわかっていた。自分で誓いをたてたはず、落ちついて耐えていこうと』
『正しいやり方で、あの人を愛そうと誓った。彼がほかの女性を愛したら、その愛を私が愛せばよい。でも、それが、こんなに早くやってくるなんて。この世には、他人に起こった話だったらとても信じられないようなことが、いろいろ、ある。でもそれを体験した人なら、信じられるし、どうしたらよいのかもわかってくる…』
こういうことばのすべてが、歌の中で、三重唱と二重唱の中で、私たちにきこえてくるわけではない。しかし私たちは、元帥夫人の歌う声の中に、悲劇が来て並々でない決意をうながし、そうして立ちさってゆくのをきくわけである。それは、明らかに言葉の問題だが、同時に言葉がわかるわからないの問題ではない。というのはきき手は判断できなくとも、シュトラウスの音楽が、その伝達を可能にしているのだから。
そうして、そのあとにくるゾフィとオクタヴィアンの二重唱。
『ぼくの感じるのは君だけ。きみひとり。ほかの一切は夢のように、ぼくから消えさった』
『これは夢。現実ではあり得ないことかしら。二人で、二人っきりで、いつまでもいられるなんて…』
ー略ー
これは古いオペラのパロディーではない。舞台なしに、音楽だけを聞いていれば、この音楽が、たとえ『エレクトラ』のあの無調に迫った、いや局部的には無調でさえあった音楽にくらべ、穏健になったように思われるのは、視覚的なものからの印象が強く働きかけているからで、実際の音は歌も、それからいたるところに顔を出す管弦楽の間奏もきわめてモダーンである。
しかし、また、これは前衛音楽ではなかった。シュトラウスはここで純粋音楽を書いたわけではない。ホフマンスタールとR・シュトラウスは『オペラ』というジャンルを、もう一度、救い出そうとしたのである」

《登場人物のなかで、最も魅力的な役柄の元帥夫人を演じる時の、歌手たちの言葉》

ルネ・フレミング「元帥夫人が抱く恐れは、誰でもない私自身の恐れだと正面切って認めるのが辛い晩もある。そんなときは、公演が終わったあとも元帥夫人の悲しみから抜け出すのがむずかしいの」

ロッテ・レーマン「元帥夫人を歌うと、いつも心からの喜びでいっぱいになる。その魔法にかかって、言葉と音楽が本当に私の一部のように、まるで私が創作したもののように、内から湧きあがってくる。元帥夫人が幸福に浸るゾフィーとオクタヴィアンを残して、ドアを閉めて出ていくとき、私はいつも、自分自身の人生の一時代のドアを閉めて、微笑みながら退場する、そんな感覚なの」

8 久世光彦「『花筐〈はながたみ〉』ー帝都の詩人たち」平成十三年、都市出版社
私が卒業した小学校の校舎は、今は建て替へられ、昔を偲ぶよすがはない。私がかつて通学した校舎は幽霊が出たし、怪談話は当たり前であつた。現在の校舎には入つたことはないが、怪談はおろか幽霊の方で敬遠するやうな造りであろう。愛着のあつた幼稚園は廃園になり、中学校と高等学校も建て替へられたとか。
かへる日もなきいにしへを こはつゆ艸の花のいろ

どうしたことからか、ヒッチコック映画「ダイヤルM」の主題曲を聴くと、今はない小学校の校舎を追想するやうになつた。ディミトリ・ティオムキン指揮オーケストラ演奏のスタジオ録音盤である。最初にテーマをヴァイオリン独奏が甘く奏でると、切ないやうな感情がこみあげ、いつでも「かへる日もなきいにしへ」を偲ぶことが出来る。こんなことを思ふのも跫音もなくやつてくる、「<死>と親しむ季節」に近づいたからであらうか。

アルバム「ALFRED HITCHCOCK presents...SIGNATURES IN SUSPENSE」より、「Theme from Dial M for Murder」Dimitri Tiomkin & His Orchestra

はるかなるものみな青し 海の青はた空の青

9 ドラクロア「ショパンの肖像」
アンドレ・ジッド、中野真帆子訳「ショパンについての覚え書き」
「ショパンは提示し、仮定し、仄めかし、説得するが、断言することはほとんどない。そして、演奏の中に躊躇いがあるほど我々は彼の楽想を理解する。ラフォルグがボードレールについて『信仰告白的調べ』と絶賛したことを私は思い浮かべるのだ。」

ショパンの音楽は、ピアノの音への信仰告白なのだらう。彼はピアノの音の向かうに、いつたい何を見てゐたのだらうか。その疑問に答えを見出すべく、ショパンに関する何冊かの本を読み、新にアルバムも購入した。結論はだせそうにないが、私のなかでショパンの占める領域がひろがつたことだけはたしかである。また「二十四の前奏曲」の演奏で、一番好きなのがエッシェンバッハ、次にアシュケナージの演奏だが、二人とも指揮者に転向してしまつた。これは偶然なのだらうか。

10 ラヴェル「ダフニスとクロエ」
《梗概》
「舞台はレスボス島で、羊飼達のゐる場面から始まる。ダフニスとドルコンはクロエの接吻をあらそふダンスを踊り、ダフニスが勝ち取る。しかし海賊が島を襲ひ、クロエは攫はれてしまふ。絶望したダフニスに、ニンフ像が祭壇から降りてきて、ダフニスを巨大な岩に案内すると、それはパン神へと姿を変へる。クロエを誘拐した海賊は彼女にダンスを強ひる。するとパン神が現れ、怖気づいた海賊は逃げ去る。最後のシーンでは、ダフニスとクロエがパン神とシランクスの愛を讃えるダンスをし、興奮の極の「全員の踊り」が、ラヴェルを終生夢中にさせたパン神的〈パニック〉なテーマで曲をしめくくる。」ベンジャミン・イヴリー「モーリス・ラヴェル ある生涯」より

私が初めて買つたLP盤は、エルネスト・アンセルメとスイスロマンド「ダフニスとクロエ」演奏会用全曲盤であつた。日本におけるLPの黎明期である。三千六百円といふ購入価格は、貨幣価値の変動を考慮すると、現在の三〜四万円に相当するであらう。つけ加へておくと、当時海外レコードの輸入は一般には禁止されてゐた。一ドルが三百六十円の時代である。

11 折口信夫(釈迢空)「近代悲傷集ー『きづつけずあれ』」
私はこの詩に深い共感を懐く。私の墓もかうありたい。だが「亡き後なれば、すべもなし」である。作者の折口には、石川県の羽咋に養子の春洋との父子墓があり、分骨が折口家の菩提寺願泉寺に納められてゐる。

室生犀星は近代悲傷集が刊行された昭和二十七年、軽井沢の山小屋に折口を訪ねた。

「雨の多い年で見渡すかぎり濡れた木々、昆布色のうすぐらい曇った空気が、まだ午後の三時も廻らないのに、日暮れめいた鬱陶しい景色を幾重にも木々のかたまりを重ねて見せていた。迢空は白の碁盤縞の浴衣を着て、この人らしく戯談一つ言わない窮屈さで、とぎれがちな話を私たちは交わしていたが、この年の翌年の初秋にはもう迢空は死んでいた。だから後になって私は、この最後の訪問が憂鬱で鬼気の迫ったものであることを、無言と無言の間にいまから汲みとらぬわけにゆかない。」
室生犀星「我が愛する詩人の傳記」

遠つ世の戀のあはれを 傳へ來し我が學問も、終り近づく 「倭をぐな〜古き扉」

12 梶井基次郎「蒼穹」
「その夜私は提灯も持たないで闇の街道を歩いてゐた。それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の燈が恰度戸の節穴から寫る戸外の風景のやうに見えてゐる、大きな闇のなかであつた。街道へその家の燈が光を投げてゐる。そのなかへ突然姿をあらはした人影があつた。おそらくそれは私と同じやうに提灯を持たないで歩いてゐた村人だつたのであらう。私は別にその人影を怪しいと思つたのではなかつた。しかし私はなんといふことなく凝つと、その人影が闇のなかへ消えてゆくのを眺めてゐたのである。その人影は背に負つた光をだんだん失ひながら消えて行つた。網膜だけの感じになり、闇の中の想像になり…遂にはその想像もふつつり斷ち切れてしまつた。そのとき私は『何處』といふもののない闇に微かな戰慄を感じた。その闇のなかへ同じやうな絶望的な順序で消えてゆく私自身を想像し、云ひ知れぬ恐怖と情熱を覺えたのである。ー
その記憶が私の心をかすめたとき、突然私は悟つた。雲が湧き立つては消えてゆく空のななにあつたものは、見えない山のやうなものでもなく、不思議な岬のやうなものでもなく、なんといふ虚無!
白日の闇が滿ち充ちてゐるのだといふことを。私の眼は一時に視力を弱めたかのやうに、私は大きな不幸を感じた。濃い藍色に煙りあがつたこの季節の空は、そのとき、見れば見るほどただ闇としか私には感覺出来なかつたのである。」

「『蒼穹』は、青春の憂鬱の何といふ明晰な知的表出であらう。何といふ清潔さ、何といふ的確さであらう。白昼の只中に闇を見るその感覚は、少しも病的なものではなく、明晰さのきはまつた目が、当然見るべきものを見てゐるのである。」三島由紀夫

チャールズ・アイヴズ作曲
「ニューイングランドの三つの場所ー『ストックブリッジのフーサトニック河』」
湧きあがる不協和音、ポリフォニーの雲の合間から、田園風のメロディが途切れ途切れに聞こえる。それは全体像をあらはすことなく、最後は助けを求めるかのやうに白日の闇へと消へてゆく。

13 長谷川三千子「神やぶれたまはず」
作品の下の文章は、要点の抜書きを断念した結果の、最後のページの丸写しである。加へて、本書の帯の文章も引用する。
「昭和二十年八月十五日、終戦の玉音放送を聞いた人々の胸に、ある共通の心情が湧き起こった。歴史の彼方に忘れ去られたその一瞬をさぐる、精神史の試み」
これを読んで、一人でも多くの方々が、「神やぶれたまはず」を手にすることを願ふ。

「悲劇とは単なる失敗でもなければ、過誤でもないのだ。それは人間の生きてゆく苦しみだ。悲劇は、私達があたかも進んで悲劇を欲するかの如く現れるからこそ悲劇なのである。

歴史の最大の教訓は、将来に対する予見を盲信せず、現在だけに精力的な愛着を持った人だけがまさしく歴史を作ってきたということを学ぶところにあるのだ。過去の時代の歴史的限界性を認めるのはよい。但しその歴史的限界性にも関わらず、その時代の人々が、いかにその時代の、たった今を生き抜いたか、に対する尊敬の念を忘れては駄目である」 小林秀雄

日本は有色人種で唯一、独力で近代化を成し遂げた国である。大東亜戦争は〈長い間西洋と隔絶して、独特の知恵を育ててきた国〉である日本に与へられた、運命であり、宿命であり、使命であつた。

タウンゼント・ハリスの日記
「千八百五十六年九月四日午前七時に、水兵達が旗棹を建てに上陸した。荒い仕事、はかどらぬ作業。そしてこの日の午後二時半に、この帝國に於ける最初の領事旗を私は掲揚する。
厳粛な反省、変化の前兆、疑いもなく新しい時代がはじまる。敢えて問う、《日本の真の幸福》になるだろうか」

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