われわれはどこから来たのか・ゴーギャン

ローレンスパークの想い出
c 目つむりてゐても吾を統ぶ五月の鷹
阿修羅
白洲正子は、興福寺の阿修羅像について、自身の著書「両性具有の美」の中で以下のやうに述べてゐる。
「ふつうの憤怒相とはちがい、紅顔の美少年が眉をひそめて、何かにあこがれる如く遠くの方をみつめている。その蜘蛛のように細くて長い六臂の腕も、不自然ではなく、見る人にまつわりつくように色っぽい」 
この文章は正面の顔について述べてゐるのであらう。
NHKの「阿修羅 天平の謎を追う」といふ番組の中で、東大元教授は、右は苦悩、左は反抗、正面は見る人により、悲しみとも、怒りともとれる顔、と説いてゐた。
私には、右の顔は「われわれはどこから来たのか」、正面の顔は「われわれは何なのか」、左の顔は「われわれはどこに行くのか」と、それぞれの顔が自問してゐるように思へる。御存知、ゴーギャン最後の大作の題名と同じである。私は以前からゴーギャンのこの作品のタイトルについては疑問があった。彼が発明したものか、それとも何かから借用した言ひ回しなのかと。
最近、篠原資明著「ベルクソン」といふ本を読んで、どうやら答えを見出したやうだ。
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