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1 谷崎潤一郎「夢の浮橋
五十四帖を読み終り侍りて
ほとゝぎす五位の庵に来啼く今日
   渡りをへたる夢のうきはし
この詞書を伴ふ一首は私の母の詠である。但し私には生みの母とまゝ母とあつて、これは生みの母の詠であるらしく想像されるけれども、ほんとうのところは確かでない。
谷崎潤一郎「夢の浮橋」

物語の書き出しにある五位の庵はこの作品の背景であり、作者は自身の居宅、潺湲亭〈せんかんてい〉をモデルとした。現在は某会社の所有となり、京都下鴨、糺の森近くにその面影を伝へるといふ。
過去は記憶の集積であり、未来は想像の裡にあるなら、その間にかけわたされた我々の日常もまた夢の浮橋なのだらう。
源氏物語を下絵とした、この美しい物語のために…モーツァルト「ロンド イ短調 K.511」

2 中村苑子「春の喇叭
中村苑子ー俳人、1913年ー2001年。
貌が棲む芒の中の捨て鏡
各人己の捨て鏡を探してみてはどうだらう。それに自分の貌がどのやうに写つてゐるか、見るのも一興だらう。
生の始めにー産声の途方に暮れていたるなり
生の終りにー音もなく白く重く冷たく雪降る闇…最後の句集「花隠れ」中の辞世の句。
花隠れ…男の「葉隠」に対する、女としての作者の志。

3 島本理生「ナラタージュ
正直なところ、私はこの小説にあまり心を動かされなかつた。だがヒロイン工藤泉へのシンパシーならある。
私から、泉さんへ
作詞・松任谷由実、唄・小林麻美「雨音はショパンの調べ」

耳をふさぐ 指をくぐり
心痺らす 甘い調べ
止めて あのショパン
彼には もう会えないの
*中略*
思い出なら いらないわ
Rainy Days 特別の人でなくなるまで
Rainy Days 暗号のピアノ
Rainy Days 断ち切れず 影にふり返れば
Rainy Days たそがれの部屋は Ah
Rainy Days 特別の人は 胸に生きて
Rainy Days 合鍵を回す Chopin

4 夏目漱石「夢十夜〜第一夜」
第一夜のためにードビュッシー「前奏曲集第1巻」から第6曲「雪の上の足跡」ー悲しみをこめて、ゆっくりと
第8曲「亜麻色の髪の乙女」と第12曲「ミンストレル」について、リヒテルが発言してゐる。
「ドビュッシーの前奏曲のうちで、私が弾かないのはこの二曲だけだ。『ミンストレル』と、この『亜麻色の髪の乙女』。この二曲にはあきれるよ。ドビュッシーには謝罪してほしいくらいだ」

彼岸へ行つたら私はこの発言について、リヒテルに真意を質すつもりだ。

5 橋本治「ムーンリバー」
「ずっと昔、夜になると月の光が辺り一面に降り注いで、まるでそれは光の河みたいだと思った。私の住んでいたところはなにもない田舎で、友達もいなかったけど、でも、そこには”寂しさ”だってなかった。私は夜になると、月の光がどこまでも地面の上を輝かせているのを見て、「この月の河って、どこまで続いているんだろう」って思った。
『たぶん、幅は1マイルくらいで』って、子供の私にとって、一番遠い距離はそれくらいだったから、『月の光が作り出す川の幅はそれよりもちょっと広いんだろう』って、そう思った。今なら地下鉄で二駅もない距離なのに、でも、子供の時の私には、『幸福と自分の距離は、1マイルちょっとぐらいなんだ』って、そう思えた。
私はそれから家を出て、「ひとりぼっち」っていうことを知ったのかもしれない。でも、私の胸の中には、いつも、あの一人で見た『月の河(ムーンリバー)』があるんだって、そう思ってた。私と MOON RIVER は、いつも一緒で、私は都会に出て変わったのかもしれないけど、でも、MOON RIVER のことを考えると、私は昔トム・ソーヤーで、あの、私に『幸福までは1マイルとちょっとあるんだよ』って教えてくれた月の光は、ハックルベリー・フィンだったんだなって、そう思うの。
いつだって、どこに行ったって、夜になれば月の光は輝いて、『幸福って、やっぱりあるよ。もうちょっとだよ。でも、ずーっと”もうちょっと”のまんまだよ』って、そう教えてくれたり、いじめてくれたりする。
夢を見るのってそういうことだし、絶望とかっていうのもそんなことだって気がするけど、でも、いつか私は、『やーい、お気の毒さま』って言って、その向こう側に渡って行くんだ。いつかー。そんな時って、ちょっと寂しい時なのかもしれない。でも、その時までは、『あなた』と一緒…」

ムーンリバー…「ティファニーで朝食を」の主題曲。主演、オードリー・ヘップバーン、主題曲、ヘンリー・マンシーニ

6 津村信夫「父が庭にゐる歌」
津村信夫…1909-1944年。
室尾犀星に「我が愛する詩人の伝記」といふ一冊がある。十一人の詩人のことを述べてゐるが、半数は早逝である。信夫も35歳で亡くなってゐる。

嘗てはミルキイ・ウエイと呼ばれし少女に

指呼すれば、国境はひとすぢの白い流れ
高原を走る夏期電車の窓で
貴女は小さな扇をひらいた。
 
7 川端康成「反橋」
「さらにいへば古典は過去のものでなく、ただ現代のもの、我々のもの、そしてつひには未来への決意のためのものである。神代の日の我が国には数多の天の浮橋があり、人々が頻りと天井と地上を往還したといふやうな、古い時代の説が反つて今の私を限りなく感興させるのである。水上は虚空と同じとのべたのも旧説である。「神代には天に昇り降る橋ここかしこにぞありけむ」と述べて、はしの語義を教えたのはほかならぬ本居宣長であつた。此岸を彼岸につなぐ橋は、まことに水上にあるものか虚空にあるものか」 保田與重郎「日本の橋」

8 吉田健一「私の食物誌」
「この県の山地はこのごろ流行する観光の見地からすればまったく奇のないもので、むしろ荒涼たる部類に属し、その中で日が暮れ始めて豚汁の晩飯になれば今日も一日が充実して終わったという感じがする。
豚が旨い証拠にこの辺りの村にもある食堂のようなものに入って何か注文するときには一応の名物になっている蕎麦よりもここの豚肉を使ったチャーシューメン、或いはカツどんを頼んだ方が報いられる。そのチャーシューメンのメンというのはどこかで大量に作られていて日本中に送り出される支那蕎麦なのだから問題にならなくてもそれだけにどこでもと同じ味がして、これに群馬県の豚の肉が加わって群馬県にしかないチャーシューメンが出来上がる。いつだったか、或るバスの停留所の近くにある食堂でこれでビールを飲んでいたらどういう回りり合わせだったのか東京で公演したウィーン歌劇団の「フィガロの結婚」の全曲をラジオが放送し始めてこんなのともあるものかと自分を抓って見たくなった」
エリック・グンナール・アスプルンド…1885-1940年、スウェーデンの建築家
中村好文…建築家。著書、「意中の建築」他多数。

モーツァルト「フィガロの結婚」

9 三島由紀夫「春の雪」
彼は優雅の棘だ。しかも粗雑を忌み、洗練を喜ぶ彼の心が、実に徒労で、根無し草のやうなものであることも、清顯はよく知つてゐた。蝕ばまうと思つて蝕ばむのではない。犯さうと思つて犯すのではない。彼の毒は一族にとって、いかにも毒にはちがひないが、それはまったく無益な毒で、その無益さが、いはば自分の生まれてきた意味だ、とこの美少年は考へてゐた。
自分の存在理由を一種の精妙な毒だと感じることは、十八歳の倨傲としつかり結びついてゐた。旗のやうに風のためだけに生きる。自分にとつてただ一つ真実だと思はれるもの、とめどない、無意味な、死ぬと思へば生き返り、衰へると見れば熾り、方向もなければ帰結もない、「感情」のためだけに生きること。…

10 山本周五郎「青べか物語〜芦の中の一夜」
彼は妻に死なれてから、ずっと独身でとおしたが、もはや独りではなく、彼女が彼といっしょであった。子供たちの眼があるので、口や動作には決してあらわさないが、心の中ではいつも互いに話しあっていた。
今日は竪川で伝馬が詰まっちまってな、高橋まで五時間もかかっちまっただよ。
そりゃたいへんでしたね、疲れ休めに酒でもつけましょうか。
いやよしにすべえ、おらあ酒を飲むと却ってあとが疲れるだから。
それだけがあんたの損な性分ねえ。
こういうふうな会話が、現実そのもののようにとり交わされるのである。自問自答とか、空想めいた感じは少しもない。彼がこんなふうに云ってもらいたい、と期待するときに、彼女はしばしば彼の意志にさからったり、子供のように拗ねたりすることさえあった。
「あのこはときどきうちへ帰りたがっただ」と船長は云った、「子供のようすをみて来てえだからってね、むりはねえさ、おら船が永島へはいると、ゴースタンをかけ、スローアヘーにするだ、そうするとあのこはあうちへ帰るだよ」
これは誰も知らなかったし、誰に気づかれることもなかった。ただ、永島へかかるときに限って、船を「後退」にし、「微速前進」にするのがわからず、頭がどうかしたんだろう、と云われたことがあった。
「いまでもみんなは、おらの頭がどうかしてると思ってるだよ」そう云って、船長は可笑しそうに喉で笑った、「ぶっくれの十七号船を貰って、こんなところで独りぐらしをしているのも頭がおかしいせえだってよ」
「独りぐらしだって」と船長はまた狡そうに笑った、「みんななんにも知っちやいねえだ、おらもこんな話は誰にもしやしねえだがねえよ」
幸山船長は黙った。
私は彼のうっとりした眼が、岸の上の黒い影絵のような松並木のあたりを見まもっているのに気づいた。やがて幸山船長は欠伸をし、まわりの芦畑を眺めまわした。
「もうじき芦刈が始まるだ」と船長は云った、「すると鉄砲撃ちがやって来るだ、あれだきゃうるさくってかなあねえだよ」

山本周五郎は大正十五年から昭和四年までの三年間、浦安(作中の浦粕)に住み、その間の印象をもとにして三十年後の昭和三十五年、「青べか物語」として発表した。作中の「沖の百万坪」は埋め立てられ、昭和五十八年に東京ディズニーランドが開業。

レスピーギ「ローマの松〜第三部ジャニコロの松」
満月が松を照らす。鳥が啼き、そよ風と夜の冷気とかすかに湿つた土の匂ひ。

11 グスタフ・マーラー「『大地の歌』・告別」
「音楽はまず、生への告別、死への憧れ…死はまた尽きることのない白雲の彼方にある永遠の故郷の青さに通じる普遍性そのものでもある…のモティーフの提示にはじまる。コントラファゴット、ホルン、タムタム、ハープ、チェロ、コントラバスといった一連の低音楽器によってこのモティーフが何回かくりかえされる。これは開始の合図であり、そこから始まる音楽がどんなものかを予告するものでもある。そこに突如としてオーボエの鋭い一声。何かの悲鳴のようでもあるが、私はまた黒い小旗が突風にゆられて身ぶるいするのを見せられるような気にもさせられる。」

第一部(スコアの第19ー157小節)

陽は山の彼方に没し
すべての谷には夕暮れが落ち
山陰は冷気で満たされる
見給え! 白銀の小舟のように漂う
月が紺青の天上の海に浮かび上がってくる
私は感じる、かすかな風のそよぎを
暗い松林の背後に!

川は闇を縫って心地よく歌い
花は夕暮れの光にその色を失う
大地は安らぎと眠りを深々と呼吸し
すべての憧れは今夢みんと欲する
疲れた人々は家路を辿る
眠りの中で 忘れられた幸福と
青春を新に学びとるために!
鳥たちは彼らの枝で静かにうずくまり
世界は眠りに落ちてゆく!

第二部(スコアの第158ー302小節)

松の木陰には冷ややかな風が吹き通い
私はここに立って、友を待つ
最後の別れを告げようとして
友よ、私は君と並んで
この夕べの美しさを楽しもうと待ち侘び
君はどこにいるの? こんなに長いこと一人にしておくなんて!
 
柔らかな草に覆われた道の上を、
琴を手に、あちらこちらと歩きまわる
おお、この美しさ、永遠の愛と生に酔い痴れた世界

第三部(スコアの第303ー375小節)

管弦楽のみの間奏
葬送の行進曲

第四部(スコアの第376ー458小節) 第一、二部の音楽の変奏。

(彼は)馬から下り、別れの盃を(彼に)差出す
(彼は)(彼に)尋ねる、どこにゆくのか?
なぜまた、そうしなければならないのか? と
(彼は)答える、その声は曇っていた
おお、わが友よ
(私は)この世で幸福に恵まれなかった!

どこに行くか、だって? 私は行く、深山の懐に
わが孤独な心の安らぎを求め、漂泊の旅に出る
私の故郷を、終の棲み家を求め、さまようのだ
もう二度と遠くにさすらいの旅に出ることはあるまい
私の心は安らか、己の時を待つ

第五部(スコアの第459ー508小節)

愛すべき大地は春ともなれば至るところ
花は咲き乱れ、新に緑する!
至るところ、そうして永遠に
はるか彼方、遠くまで永遠に青く光りつつ
永遠に……永遠に!

「ミッチェルはつぎのような説明を試みる。『ここで重要なのはテクストの辻褄合わせではなく、マーラがそれにつけた音楽の論理も考えあわせて考えることだ。また、詩の後半に現れる二人は、実はどちらも作曲者マーラーの分身であり、とどのつまり、この告別の歌は友人の間での別れというより、人生への決別、遁世、死への歩みを歌ったものなのである』と。この曲が『人生への別れ』に通じる音楽であるというのは多くの人の唱えるところだ。ミッチェルの説にどれだけの説得性を見るかは別として、この音楽が現世に背を向け、はるか彼方への無限の憧れに通じてゆくものであるとするには、私も異存ない。」吉田秀和「永遠の故郷ー真昼〜告別」

ドナルド・ミッチエル…マーラー研究家

12 安東次男「与謝蕪村」〜「『北寿老仙をいたむ』のわかりにくさ」

北寿老仙をいたむ

君あしたに去(い)ぬゆふべのこゝろ千々に
何ぞはるかなる
君をおもふて岡のべに行つ遊ぶ
をかのべ何ぞかくかなしき
蒲公(たんぽぽ)の黄に薺(なづな)のしろう咲たる
見る人ぞなき
雉子(きぎす)のあるかひたなきに鳴を聞ば
友ありき河をへだてゝ住にき
へげ(変化)のけふりのはと打ちれバ西吹風の
はげしくて小竹原(をざさはら)眞すげはら
のがるべきかたぞなき
友ありき河をへだてゝ住にきけふハ
ほろゝともなかぬ
君あしたに去ぬゆふべのこゝろ千々に
何ぞはるかなる
我庵(わがいほ)のあみだ仏ともし火もものせず
花もまいらせずすごすごと彳(たたず)める今宵ハ
ことにたうとき

「寛政五年、早見桃彦が亡父晋我五十回忌追善のために編んだ、俳諧撰集『いそのはな』に収める。詩のあとに『釈蕪村百拝書』とあり、別行に『庫のうちより見出しつるま々右にしるし侍る』とある。
題にいう北寿(老仙)は、早見晋我、通称次郎左衛門の隠居後の号である。下総國結城郡の本郷で酒造業を営んだと伝えられ、…」

安東氏は「結局のところ私には『北寿老仙をいたむ』という作品を、もうひとつ理解しかねるところがある。」と前置して、まづ、成立年代は延享二年(晋我が不帰の客となつた直後)といふ定説に疑問を呈する。つぎに、作中の「岡」が「結城近郊の丘」であるといふ説を、危険な推定であるとして退け、「この丘は、全くの想像中の丘であってもよい。」としながら、「その丘を探せという抗いがたい命令もきこえてくる。」と述べる。さらに、「友ありき河をへだてゝ住にきけふハ」の「けふハ」について、
「詩における時間の経過は、過去から未来へ流れるとばかりは限るまい。」
「結局、『けふハほろゝともなかぬ』とは、雉子の声に擬した亡友追慕の情だ、という解にたどりついた。」
「友が死んだその日から声を聞くことはできない。そういう現実とは別に、ある日ある時、友の声をもう聞くことができないというつよい感慨が、作者の胸元につき上げている。『けふハ』とは、そういう一瞬の感慨であろう。それを『ほろゝともなかぬ』と雉子の声で表現したところが、たぶん、この詩で最も工夫のこらされたところである。」と説く。

さらに「へけ」に対する従来の注釈を排し、「『へけ』は普通に読めば『へげ(変化)』であるし、『へけのけふり』は、変化(へげ)めく煙であろう。」とする。

「蕪村の詩句は、たぶん実際に強い西風の中に佇ちつくしての感慨ではあろうが、『へげのけふり』も『西吹風』もただそれだけのこととは思えない。そう読まなければ、篇中突如として作者を襲う『のがるべきかたぞなき』の激情は、充分に理解しがたい。これは釈蕪村の、必ずしも晋我の霊を弔うというだけではない。決定(けつじょう)の姿であろう。そのクライマックスを置くことによって、次の『けふはほろゝともなかぬ』という沈潜がいっそう活きてくるし、ひいては『……すごすごと彳める今宵ハ ことにたうとき』という結尾が、読者を、深々と安堵の闇に誘うのである。『我庵のあみだ仏ともし火もものせず 花もまいらせず……』とは、失意虚脱の状をいうのではあるまい。正念念仏すれば、仏像はもとより、燈明も供華も要らぬというのだろう。」

13 宮澤賢治「よだかの星」

よだかは自分が星になって燃えているのをみる。この感動的な結末を読み終えたあとには、〈銀河鉄道〉のときと同じような非痛感が残る。〈銀河鉄道の夜〉で最後近く、カムパネルラの指さす〈石炭袋〉、あの深淵は〈よだかの星〉のどこに見出されるのか。改めて〈よだかの星〉を読み直してみてぼくは、最後の、昇っていってもいつまでも小さなままでいっこう近づかなかった星の世界に、見まわすと自分自身も入りこんでいることに気づくときの、壮大なイメージの幻惑性に驚いたのである。この幻惑性・この眩暈とは、よだかが自らの内部そのものをあの存在の暗黒に完全にとってかわらせてしまっていることの表れにほかならないのではないだろうか。よだかが犠牲にしたものとは即ち未来時だったのである。
詩人にとって、未来時を犠牲にして詩作品の永遠性を獲得する試みは、詩の不可能性それ自体の歌であるほかないからである。そしてこの悲劇性、不可能性が、詩人の原罪であり、作品冒頭のよだかのみにくさ、というかたちで消しがたく刻印されていたと考えるのである。

天沢退二郎〈よだかはなぜみにくいか〉

14 クリフォード・シマック「都市〜第五話〈パラダイス〉」

本書は、遠い未来のいつの日か、地球の主人公となる〈犬類〉の語る、過去の伝説的存在〈人類〉についての物語である。機械文明の超高度な発達の結果は、最初つくりあげたマンモス・シティを、やがて次第に消滅させてゆく。人々は先祖伝来の家を捨て街を捨てて、都市はいつか廃墟となり、かっての人類文明の使命を果たし終わり、滅びゆく姿を象徴するかのように、ただ淋しく立つばかりだ。少数の、これに抵抗する人々の力も、移りゆく時の流れの前には空しい…物語はここに始まって、つぎつぎと人間を襲った悲運を…人間を、より高度な文明に飛躍させるはずだった精神感応力をなぜ失ってしまったかを…本来、協力してこそ新人類として繁栄したはずのミュータントと、なぜいがみあわなければならなかったを…人間の持つ能力が、いかに限られた惨めなものでしかなかったかを覚らされた木星の世界を…膨大なときの流れの奏でる一つの叙事詩として我々の前に展開する。
ハヤカワ文庫・あとがきより

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