三島由紀夫「春の雪」

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春の雪
「雪の朝のことを思ふにつけ、晴れ渡つたあくる日も、私の胸のうちには、仕合せな雪が降りつづけてやみません。
何よりうれしかつたのは、清様のお心の優しさでした。あんな我儘なお願ひの底に、切羽詰まつた気持ちの隠れてゐることをお見抜きになり、何も仰言らずに雪見にお連れ下さつて、私の心にひそめてをりました最も恥かしい夢を、叶へて下さつたお心の優しさでした。
清様、あのときのことを思ひますと、今も恥かしさとうれしさで 身が慄へるやうな気がいたします。日本では雪の精は雪女でございますけれど、西洋のお伽噺では、若い美しい男のやうに覚えてをりますので、凛々しい制服をお召しの清様のお姿は、丁度私を拐かす雪の精のやうに思ひ倣され清様のお美しさに融け込むのは、そのまま、凍死する仕合わせのやうに思はれました」
 文の末尾の、
「この文は何卒お忘れなく御火中下さいますやうに」
といふ一行まで、手紙はなほ綿々とつづくのであるが、清顯はそのところどころに、きはめて優雅な言葉を費ひながら、迸るやうな官能的な表現があることにおどろいた。
読みをはつたときは、読む者を有頂天にさせる手紙だと思はれたが、しばらくしてみると、彼女の優雅の学校の教科書のやうな気がしだした。聡子は清顯に、真の優雅はどんなみだらさをも怖れないといふことを教えてゐるやうに思はれたのである。
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