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1 ベートーベン「ピアノソナタ作品109」ー五味康祐「西方の音」より
ピアノソナタ第三十番ホ長調作品109。ブレンターノ夫人の娘、マキシミリアーネに献呈。

あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
この さびしさ を きみ は ほほゑむ 会津八一

2 登録商標・ジョン・コルトレーン
彼の最高の演奏は、1950〜60年の活動において実現してゐる。インパルス移籍以降の演奏は、無駄な努力、精進と言ふべきであらう。

GIANT STEPS :1959
John Coltrane(ts), Tommy Flanagan(p), Paul Chambers(b), Art Taylor(ds)

3 ヴァントゥイユ「ピアノ三重奏曲イ短調
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」に、作曲家ヴァントゥイユの名前が出てくる。
ヴァントゥイユ邸・アクソノメトッリク ドローイング  

4 ラヴェル「ピアノ三重奏曲イ短調」承前
モーリス・ラヴェルの作品に、私が愛好してやまない同名の曲がある。

ピアノ三重奏曲イ短調…モーリス・ラヴェル作曲、1914年。ヴァイオリン、ピアノ、チェロ。

5 ドラゴンクエスト・ロトの墓
実はもう一点、おなじところで手に入れた油絵があり、それには「ロトへの道」といふ裏書きがある。いずれお見せできると思ふが、「リンクの冒険」でも、ロトの墓は水辺にあつたと記憶してゐる。

6 マイルス・デービス「『カインド・オブ・ブルー』〜ブルー・イン・グリーン」
マイルスの最高の演奏は、1950〜60年の彼自身のコンボにおいて聴くことができる。
BLUE IN GREEN : 1959 年
マイルス・デービス(tp)、ジョン・コルトレーン(ts)、キャノンボール・アダレイ(as)、ビル・エバンス(p)、ポール・チェンバース(p)、ジミー・コブ(ds)

7 アントン・ウエーベルン「軽い小舟にのって」
軽舟に乗って逃れよ、Op.2(1908)、アントン・ヴェーベルン作曲、シュテファン・ゲオルゲ作詞。

ブロンドの、青く明るい 夢の力のこの酩酊をみよ。 恍惚をもたぬ酔ひ心地の よろこびがひらけてくる
甘美な戦慄があたらしい悩みで、おまへたちをつつまないやうにと。この春をみたす静寂の愁ひこそ望ましきもの。  

8 シェンキエヴィッチ「クオ・ヴァディス
皇帝ネロが君臨する古代ローマ時代の壮大なドラマ。十代の頃、夢中になつて読みふけつた。女奴隷エウニケがペトロニウスの彫像に口づけする場面が印象的である。彼女は愛する主人ペトロニウスと共に従容として死を受け入れる。

9 F.L.ライト・何時か見た夢
窓の外に見える建築物は、F・L・ライト設計ジェラルド・サスマン邸。設計はできたものの着工はされず、つひに夢に終つた家。  

10 寺山修司・ゆさぶりやまず
冒頭の一句は、寺山修司の作品。好きな句なのだが、寺山となると何故か、からかひたくなるときがある。

11 「銀河鐵道の夜」〜「九、ジョバンニの切符」
「ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむってゐたのでした。胸は何だかおかしく熱り頬にはつめたい涙がながれてゐました。
ジョバンニはばねのやうにはね起きました。町はすつかりさつきの通りに下でたくさんの灯を綴つてはゐましたがその光はなんだかさつきよりは熱したという風でした。そしてたつたいま夢であるいた天の川もやつぱりさつきの通りに白くぼんやりかかりまつ黒な南の地平線の上では殊にけむつたやうになつてその右には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置はそんなに変つてもいないやうでした。
ー略ー
下流の方は川はば一ぱい銀河が巨おおきく写つてまるで水のないそのままのそらのやうに見えました。
ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかゐないというやうな気がしてしかたなかつたのです。
けれどもみんなはまだ、どこかの波の間から、
『ぼくずいぶん泳いだぞ』と云ひながらカムパネルラが出て来るか或はカムパネルラがどこかの人の知らない洲にでも着いて立つてゐて誰かの来るのを待つてゐるかというやうな気がして仕方ないらしいのでした。けれども俄にカムパネルラのお父さんがきつぱり云ひました。
『もう駄目だめです。落ちてから四十五分たちましたから』
ジョバンニは思はずかけよつて博士の前に立つて、ぼくはカムパネルラの行つた方を知つてゐます、ぼくはカムパネルラといつしよに歩いてゐたのですと云おうとしましたがもうのどがつまつて何とも云へませんでした。すると博士はジョバンニが挨拶に来たとでも思つたものですか、しばらくしげしげジョバンニを見てゐましたが
『あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがたう』と叮ねいに云ひました。
ジョバンニは何も云へずにただおじぎをしました。
『あなたのお父さんはもう帰つてゐますか』博士は堅く時計を握つたまままたききました。
『いいえ』ジョバンニはかすかに頭をふりました。
『どうしたのかなあ。ぼくには一昨日大へん元気な便りがあつたんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね』
そう云ひながら博士はまた川下の銀河のいつぱいにうつつた方へじつと眼を送りました。
ジョバンニはもういろいろなことで胸がいつぱいでなんにも云へずに博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持つて行つてお父さんの帰ることを知らせやうと思ふともう一目散に河原を街の方へ走りました」
校本  宮澤賢治全集 第十巻

私が初めて読んだ「銀河鐵道の夜」は初期形で、ブルカニロ博士が登場し、ジョバンニが天気輪の柱の丘で目を覚ます場面で、ジョバンニにかう告げる。

「ありがたう。私は大へんいい實驗をした。私はこんなしづかな場所で、遠くから私の考へを人に傳へる實驗をしたいとさつき考へてゐた。さあ歸つておやすみ。お前は夢の中で決心したとほりまつすぐに進んで行くがいい」
角川書店 昭和文學全集第14巻 宮澤賢治集

最終形で、ブルカニロ博士が登場する場面が削除された結果、銀河鐵道で巡る夢は、ブルカニロ博士の「實驗の結果」といふ枠が外されて、スケールが一層大きくなつた。
今回ひさしぶりに読んで、いちばんこころに残つたのは、ジョバンニの孤独である。

12 安西水丸「草のなかの線路」
「思い出すことがある。
明日は東京へ帰るという日、ぼくと千香は古い朽ちかけた造船所のような建物を見つけた。海からの帰り道だった。陽は西に傾いていたが、まだ太陽には熱がこもっていた。
建物のなかには暗くひんやりした空気があった。
〈電車の道よ〉
建物の横手に出たとき、千香が言った。二本のレールが建物に沿って草叢のなかへ延びている。何かの工事に使った線路だろうか。ぼくと千香は線路上を歩いた。左右にバッタが跳ねた。線路は二十メートルほど行くと丈のある草の手前でと切れていた。ぼくたちはそこで引き返した。
〈おじちゃん〉
〈何?〉
ぼくは西陽に照らされた千香の顔を見た。
〈もう一度、線路を歩きたい〉
〈よし行こうか〉
〈千香が一人で歩いてみる〉
〈じゃ、ここで見ているからね。行ってきな〉
千香は一人で線路を歩いた。水着を入れた赤い小さなディパックを背負っている。
〈草のなかの行き止まりの線路か〉
ぼくは独り言のようにつぶやいた。まるでひさ乃の人生みたいだ。千香には行き止まりの先まで、ずっとずっと歩いてほしかった。頭の上をムギワラトンボが飛んでいた。
〈おじちゃん、もう一回行く〉
千香はまた草のなかの線路を歩いていった。ぼくは立ったままで千香のうしろ姿を見た。どこかで秋の虫が鳴いていた」

和田誠さんの、安西水丸評〈彼の絵はのほほんとしている〉、にならつて、〈のほほん〉のふりをしてみた。〈のほほん〉は難しい。しかし〈のほほん〉は楽しい。

13 尋常小学唱歌〈海〉・春の岬旅のをはりの鷗どり
子供のとき、熱を出してねてゐると、体が水にうかんでゐるやうに、ゆらゆらと…そのときの夢でもみてゐるのだらうか。仰向けになつて、波にゆられてゐる。ここはどこの海だらう…
〈そこは鵠の岬だ。岬の海に、おまへはうかんでゐる〉
そういふ声は…
〈私はおまへのたましい。おまへは鷗、旅のをはりの鷗どりだ。おまへは旅ををへ、わたしはこれから旅にでる〉
私のたましいは、去つていつた

〈松原遠く消ゆるところ 白帆の影は浮かぶ〉

亡くなつた姉のこえだ。やはり、子供のときの夢だらうか

〈干網浜に高くして かもめは低く波に飛ぶ〉
〈見よ、昼の海〉
〈見よ、昼の海〉

春の岬旅のをはりの鷗どり
浮きつつ遠くなりにけるかも 三好達治

「昭和二年、二十七歳の春、作者は当時伊豆湯ヶ島に転地療養中の梶井基次郎を見舞って、そのあと下田から船で沼津へ渡ったらしく、その船中での感興である。本人から直接聞いた話だからまちがいあるまい。
じつは、私はこの詩について、かれこれ二十年ほど前に書いたことがある。そのとき私は、作者は岬に立って海を眺めているものとばかり思い込んで、青年が立ち去るにしろ鷗がただよいながら沖へ流されるにしろ、〈つつ〉とは文理を無視した無茶な使い方だ、歌人ならここを〈ゐて〉とは書いても〈つつ〉というようなあいまいな接続の認識は持つまい、という意味のことを書いた。物の象(かたち)がやっとはっきり見えかかったときに一歩退いて韜晦するのは、良くも悪くも三好の抒情の本質だというようなことを私は言いたかったのだが、それから十年ばかり経って、こちらは生意気ざかりの独断もそろそろ忘れかけたころに、とつぜん一枚の葉書が舞いこんだ。内容は、貴君の言われることにさらさら異議があるというのではないが、あれは船で遠ざかってゆく印象を詠んだもので、たまたま気にかかったから一筆したためる、というような簡単なものだった。差出人は、むろん三好達治である。
私は半ば呆れ、半ば感動させられた。船で作者が遠ざかるにしたところで、〈つつ〉という助詞使用が無理であることに変りはないのに、三好達治という詩人の人柄はその葉書にじつによく出ていて、なかなかこういうことで時機はずれのペンを常人はとれぬもの。その後また両三年経って、その話を詳しく聞く機会にめぐまれたときには、三好さんの余生はもうあまりなかった。
いまでは私は、この詩の〈鷗どり〉は、湯ヶ島に残してきた梶井の映像がとりわけつよい、と思っている。〈つつ〉は、別れにしのびぬ三好の繋情であったと読めぬか。そういえば詩人と最後に別れたとき、三好さんはかなり酔っていて、足のことか心のことか、おまえはいそぎすぎるとしきりに私に言っていた。〈春の岬〉は叙景歌ではない」

安東次男「花づとめ〜春の岬」

14 カズオ・イシグロ「日の名残り」
スティーブンスは音楽にあまり縁がなさそうだが、私の独断で彼のために、ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第一番」。
この作品を名曲の一つに数へてもいいだらう。私はこの曲をきくと、なみだがにじむことがある。何故のなみだか、よくわからないが。

「イシグロの長編小説『日の名残り』の主人公スティーブンスは執事である。彼は以前、政界の名士であるダーリントン卿に仕えてゐて、有能な執事として自他ともに許してゐた。しかし彼には第二次大戦前夜から戦後にかけてのダーリントン卿の重大な失敗を救ふことなどもちろんできなかつたし、そして自分自身の私生活もまた失敗だつたと断定せざるを得ない。旅の終わりにそのことを確認して、スティーブンスは海を見ながら泣く。夕暮れである。桟橋のあかりがともる。
中略
そして今、イシグロがイギリス小説に新しくもたらしたものは、時間といふもの、歷史といふものの、優美な叙情性かもしれない。わたしは、男がこんなに哀れ深く泣くイギリス小説を、ほかに読んだことはない」
ハヤカワ文庫「日の名残り」解説・丸谷才一

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