宮澤賢治「銀河鐵道の夜」

l c 草のなかの線路
銀河鉄道の夜

そのときすうつと霧がはれかかりました。どこかへ行く街道らしく小さな電燈の一列についた通りがありました。それはしばらく線路に沿つて進んでゐました。そして二人がそのあかしの前を通つて行くときはその小さな豆いろの火はちやうど挨拶でもするやうにぽかつと消え二人が過ぎて行くときまた点くのでした。
ふりかえつて見るとさつきの十字架はすつかり小さくなつてしまい、ほんたうにもうそのまま胸にも吊されさうになり、さつきの女の子や青年たちがその前の白い渚にまだひざまづいてゐるのかそれともどこか方角もわからないその天上へ行つたのかぼんやりして見分けられませんでした。
ジョバンニはああと深く息しました。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになつたねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない」
「うん。僕だつてさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。
「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう」ジョバンニが云ひました。
「僕わからない」カムパネルラがぼんやり云ひました。
「僕たちしつかりやらうねえ」ジョバンニが胸いつぱい新らしい力が湧くやうにふうと息をしながら云ひました。
「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ」
カムパネルラが少しそつちを避るやうにしながら天の川のひととこを指さしました。ジョバンニはそつちを見てまるでぎくつとしてしまひました。天の川の一とこに大きなまつくらな孔がどほんとあいてゐるのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすつてのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云ひました。
「僕もうあんな大きな暗の中だつてこわくない。きつとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう」
「ああきつと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだらう。みんな集つてるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あつあすこにゐるのぼくのお母さんだよ」
カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。ジョバンニもそつちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむつてゐるばかりどうしてもカムパネルラが云つたやうに思はれませんでした。何とも云へずさびしい気がしてぼんやりそつちを見てゐましたら向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだやうに赤い腕木をつらねて立つてゐました。
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ」
ジョバンニが斯う云ひながらふりかえつて見ましたらそのいままでカムパネルラの座つてゐた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかつてゐました。ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そして誰にも聞えないやうに窓の外へからだを乗り出して力いつぱいはげしく胸をうつて叫びそれからもう咽喉いつぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまつくらになつたやうに思ひました。

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