安西水丸「草のなかの線路」

銀河鉄道の夜 c 海
草のなかの線路

ひさ乃は病院から出ることなく逝った。五月のさわやかに晴れた週末だった。仕事場に電話を受け慌てて駆けつけたが、すでにひさ乃は仏になっていた。白い顔は眠っているように見えた。喉の腫瘍は悪性の癌だったのだ。
遺体の引き取り手は誰もいなかった。葬式は「ほおずき」の客だけでひっそりとすませ火葬場で骨にした。骨壺に骨を拾うとき、ぼくは千香の手を持って箸をそえた。少女の瞳から考えられないような大粒の涙が落ちた。

長い雨期がすぎて、夏になった。八月は猛暑がつづいた。千香は秋には四国にある身寄りのない子供たちばかりの施設に預けられることになった。松山の親戚たちが決めたことらしい。もちろん千香はまだそのことを知らない。ぼくはまったくの無力だった。
八月の終わり、ぼくは千香を連れて海水浴に出かけた。友人が房総半島の岩井海岸にある別荘を貸してくれたのだ。
二人で東京駅から内房線に乗った。夏も盆すぎとあって、電車は思ったより空いていた。千香は母の死を忘れたかのように無邪気にはしゃいだ。
二泊三日の海水浴は、ぼくと千香の最後の旅だった。

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