notes5

1 フレデリック・ディーリアス「シナラ
アーネスト・ダゥスン作詞、フレデリック・ディーリアス作曲、バリトンと管弦楽のための音楽。1929年。
Last night, ah, yesternight, betwixt her lips and mine There fell thy shadow, Cynara ! Thy breath was shed Upon my soul between the kisses and the wine ; And I was desolate and sick of an old passion , Yea , I was desolate and bowed my head : I have been faithful to thee , Cynara ! in my fashion.

昨夜、ああ昨宵、たはれめとかたみにかはすくちづけを あはれシナラよ、なが影のふとさへぎりて、そのいぶき えひほうけたるわが霊の上に落つれば、 われはしも昔の恋を想ひ出でここちなやまし、 さなり、われこころやぶれて額垂れぬ。 われはわれとてひとすじに恋ひわたる君なれば、あはれシナラよ。 矢野峰人・訳
この翻訳を読むと、我々が文語を捨てて、いかに多くのものを失つたかがわかる。   

2 開高健「ポリネシアへの道」
ここに一冊の本がある。G.S ステント著、「 THE COMING OF THE GOLDEN AGE 」、邦訳名「進歩の終焉」。要約すると、「進歩それ自体に内在する負のフィードバックにより、芸術と科学の進歩が遠からず終わりを告げるであろう。そこからどういった社会が出現するか。それはポリネシアへの道である。高度な航海術とパイオニア精神によってアジアから南太平洋の島々へ移住した人たちは、約束の地を見いだした。そこでの努力や困難のない生活は、怠惰や安逸をもたらしただけだった。」 以上の前提で、さう遠くない将来に、ごく少数の非凡な人たちの働きのもとで、大多数は怠惰で贅沢な生活を続ける社会の出現を予言してゐる。この本が書かれておよそ三十年が経過した現在、我々は楽園への道をたどつてゐるのだらうか。それともー

3 虹たちぬ 、高浜虚子と森田愛子
昭和十八年鎌倉在住の俳人高浜虚子は、病を得て三国に帰郷した愛弟子、森田愛子を見舞ふ。そのとき虹がたつた。 「あの虹をわたって鎌倉へ行きませう」と愛子。 翌年疎開先の小諸で虹を見た虚子は、愛子に葉書を書く。「 虹たちて忽ち君の在るごとし、 虹きえて忽ち君の無きごとし」 虚子は二十一年、愛子を再び見舞ふ。翌二十二年三月、風邪で寝込んでゐる虚子の下に、愛子から電報が届く。「ニジキエテスデ ニナケレド アルゴ トシアイコ」
二十二年四月一日、愛子死去、享年三十才。「虹の上に立てば小諸も鎌倉も」

4 立原道造「優しき歌
「淺路さんは立原の寝台の下に、畳のうすべりを敷いて、夜もそこで寝ていた。おとなしいこの娘さんは、立原の死ぬまでその傍を離れなかった。どんなに親しくとも男にはできない看護と犠牲のようなものが、殆ど当たり前のことのように行われ、私もそれを当たり前のすがたに見て来たが、それは決して当たり前のことではなかった。そしていまどきの人に出来ることではないと思ったが、それは私の思い上がりで、女の人はこういう恐ろしい自分のみんなを対手にしてやるものを沢山に持ち、それの美徳を女の人は皆匿して生きているように思われた」 室生犀星「わが愛する詩人の伝記」

浅路さん…立原の婚約者、水戸部アサイ。
詩・立原道造、作曲・柴田南雄 OP.13 「優しき歌」独唱、ピアノ 

5 ロス・マクドナルド「縞模様の霊柩車
リュー アーチャーになりたいと思つたことはなかつた。彼は透明人間にすぎない。カリフォルニアやサンタバーバラの乾いた空気に憧れた。

「ALONE TOGETHER」ーアルバム「TAKE TEN」より。Paul Desmond- alto sax, Gim Hall- guitar, Gene Cherico- bass, Connie Kay- drums
作品となつた舞台の青空には、ポール・デスモンドの音色がよく似合ふ。さういへば彼もまたカリフォルニア出身であつた。

6 ワーグナー「ヴェーゼンドンクの五つの歌」マチルデの夢
ワーグナー作曲、マチルデ・ヴェーゼンドンク作詞「ヴェーゼンドンクの五つの歌」第五曲
ワーグナーは、当時愛人だつたマチルデ夫人に、誕生日のプレゼントとしてこの曲を贈つた。「トリスタンとイゾルデのための習作」といふタイトルがつけられてゐる。

波うつ潮のなかに 高まる響きのなかに 世界の息のかよふ万有のなかに 溺れ 沈み 意識なき至上の快楽よ   
ワーグナー「トリスタンとイゾルデ~愛の死」  

7 スタンリィ・エリン「鏡よ、鏡
「カルミナ・ブラーナ」…ソプラノ、テノール、バリトン及び合唱のための世俗的歌曲。カール・オルフ作曲、1937年初演。
「鏡よ、鏡」、スタンリィ・エリン作、1972年、帯封つき代金返却保証のかたちで出版された。

「オリム・ラクス・コルエラム、Olim lacus colueram」、カルミナ・ブラーナ第十二曲。

「昔は私も湖水に住まつてゐた、昔は私も美しい姿をしてゐた。私が以前、白鳥だつた時分には。なんとまあ情けないこと、今は、まつ黒焦げにされちまって。 くるぐる、またぐるぐると焼串持ちが回してゆく、今では私を給仕男が配つてゆくのだが、私を薪がすつかり焦がして、何とまあ情けないこと、今はまつ黒焦げにされちまつて。 今では角皿の上に載せられ、飛び回ることもできない、がちがち咬み合ふ歯がみえる。何とまあ情けないこと、今はまつ黒焦げにされちまって」  

8 小川未明「赤い蝋燭と人魚」北方の海の色は
「あるとき、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色をながめながら休んでいました。なんというさびしい景色だろうと人魚は思いました。自分たちは、人間とあまり姿はかわっていない。それだのに、やはり魚や、けものなどといっしよに、冷たい、暗い海の中に暮らさなければならないというのはどうしたことだろうと思いました。せめて、自分の子供だけは、」 

「赤い蝋燭と人魚」小川未明作、1921年。 
交響詩「人魚姫」、アレクサンダー・ツェムリンスキー作曲。  

9 シェーンベルク「グレの歌」憩えかし!
「グレの歌」ペーター・ヤコブセン原作、アルノルト・シェーンベルク作曲。

「海にも陸〈くが〉にもありしざわめきは、たそがれの訪れにより鎮められぬ。 飛びゆきし雲も天空の隅に、安らかにとどまりたりき。 静寂は森をつつみ、おもむろに闇にとざされゆく。 青き海、汝は自らゆりかごをゆり、眠りを誘いよせたり。 西空に陽は紫の光をなげかけつつ降り行き、明日の栄光を海のしとねのなかに、夢みんとすなり。 鬱蒼たる森林のなかには、木の葉一つそよとだにせず、いとかすかなる物音も耳にはいらず。 わが魂よ、憩えかし!」

10 ディーリアス「田園詩曲」
邦題、「田園詩曲」…ウオルト・ホイットマン原作、フレデリック・ディーリアス作曲、1932年。

ソプラノ、バリトン、管弦楽のための音楽。 ディーリアスの音楽の中で一番好きな作品。「トリスタンとイゾルデ」の、はるかなる谺。
WOMAN I ascend, I float to the regions of your love, O man, All is over and long gone, but love is not over. MAN Dearest comrade, love is not over.

11 スコット・フィッツジェラルド 村上春樹 訳「冬の夢」
ミネソタ州にあるホワイト・ベア湖が、「冬の夢」の舞台、ブラック・ベア湖のモデルとなつた場所である。村上春樹は招かれて、湖畔のウオルトン夫妻を訪ねる。夫人に一番好きなフィッツジェラルド作品はと問はれ、村上は答える。

「そうですね、『グレート・ギャツビー』は何と言っても文句なく素晴らしいと思います。」と僕は答えた。「でも個人的にということであれば長編なら『夜はやさし』、短編なら『冬の夢』が好きです。」
「私とまったく同じセレクションね。」とウオルトン夫人はにこにこしながら言った。「特に『冬の夢』は昔から好きで何度も読みかえしているのだけれど、何度読んでも飽きることがないのよ。」
僕もそれに同意した。「冬の夢」にはフィッツジェラルドの小説を構成する主要なファクターが実に無駄のない素直なかたちで凝縮されている。甘く哀しく苦く、救いがない。

村上春樹「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」より「ホワイト・ベア湖の夢」

12 小川未明「金の輪」
二人の子供を亡くした体験から生まれた作品とも言はれてゐるが、怖い作品。怖いと言へば、未明といふ筆名にも、私は不気味さを感じる。すなわち、 未だ明るからず。この筆名は、彼が在学中、師の坪内逍遙によつて与へられた。
曰く、「ゲーテは、美はトワイライトにありと言つたが、同じ薄明でも、黄昏は、これから暗くなるのだし、暁は、これから明るくなるのだから、『未明』がよからう。」

13 ライト設計「ピーターソン コテージ」・浪のしたにも都のさぶらふぞ
君とまたみるめおひせば四方の海の水の底をもかつき見てまし

幼馴染みの彼は、アメリカに旅立つた。ウィスコンシン州にあるミラー湖の辺のコテージに、二泊の予定だつた。だが無事に到着したといふ連絡を最後に、戻ることはなかつた。

子供時代、彼の好きな童話は、アンデルセンの〈雪の女王〉だつた。そして、まゆちゃんのことを〈ゲルダ〉みたいだと言つてゐた。それで私たちは、彼のことを〈カイ〉とよんだ。〈ゲルダ〉に対しての〈カイ〉といふ意味と、彼の名の漢字には、〈貝〉がふくまれてゐたからである。
彼は失はれた〈まゆちゃん〉を求めて、山荘を彷徨ひでたのだらう。カイがゲルダを探し求めて…、オルフェのやうに。

わたしのユーリディス、今夜はまるでお前が近くにゐるやうだ
お前が目に見える、たしかに見える。
いとしい人
お前がたしかに見える、お前をこの手に…夢ではないのか
いや、いや
これは本当だ、わたしは死ぬのだ

ダリウス・ミヨー作曲 歌劇〈オルフェの不幸〉


Frank Lloyd Wright:Seth Peterson Cottage,Lake Delton Wisconsin

ミラー湖南岸の岩棚に建つこの珠玉の小品には、ロックスプリングス近郊で採れる天然の赤味がかった砂岩、フィリピン・マホガニーの合板パネルと装飾板が使われている。湖は1860年にデル川を堰き止めて造られた。この人里離れた82平米の住宅は、ライト最晩年の住宅作品である。暖炉が正方形プランの中央にあり、その組積みの壁が建物の南側を二つに分割している。このようにワークスペース、つまり台所で空間を区切ることにより、ライトはワンルーム住宅に近いものを作り出している。扉を要するのは浴室だけである。三方を壁に囲まれた台所は天窓から採光している。
このコテージは、ミラー湖州立公園の西端に位置し、1966年にウィスコンシン州天然資源局が取得して以来、荒廃するに任された。コテージは国定歴史地区登録物に加えられている。1989年にミラーレイク協会が、20万ドル以上と見積もられた費用をかけてコテージを保存、修復するため委員会を結成した。修復はセス・ピーターソン・コテージ保存協会が行った。現在建物は有料で借りることができる。

14 川端康成「伊豆の踊子」
「少し話してから彼は言つた。
〈何か御不幸でもおありになつたのですか〉
〈いいえ、今人に別れて来たんです〉
私は非常に素直に言つた。泣いてゐるのを見られても平気だつた。私は何も考えてゐなかつた。ただ清々しい満足のなかに静かに眠つてゐるやうだつた。

私はどんなに親切にされても、それを大變自然に受け入れられるやうな美しい空虚な氣持だつた。何もかもが一つに融け合つて感じられた。
船室の洋燈が消えてしまつた。船に積んだ生魚と潮の匂ひが強くなつた。眞暗ななかでしょうねんの體温に温まりながら、私は涙を出委せにしてゐた。頭が澄んだ水になつてしまつてゐて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も殘らないやうな甘い快さだつた」

あなたはどこにおいでなのでせうか。
花のやうに咲ふあなたは、いまどこにおいでなのでせうか。

いい人ね
それはそう、いい人らしい
ほんとにいい人ね、いい人はいいね

遠くから微かに太鼓の音が聞えてきます。
あなたはどこにおいでなのでせうか。

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