小川未明「金の輪」 |
||
太郎は長い間、病気で臥してゐましたが、やうやく床から離れて出られるやうになりました。けれどまだ三月の末で、朝と晩には寒いことがありました。 だから、日の当たつてゐるときには、外へ出てもさしつかへなかつたけれど、晩方になると早く家へ入るやうに、お母さんからいいきかされてゐました。 まだ、桜の花も、桃の花も咲くには早うございましたけれど、梅だけが垣根のきわに咲いてゐました。そして、雪もたいてい消えてしまつて、ただ大きな寺の裏や、畑のすみのところなどに、幾分か消えずに残つてゐるくらいのものでありました。 太郎は、外に出ましたけれど、往来にはちやうど、だれも友だちが遊んでゐませんでした。 みんな天気がよいので、遠くの方まで遊びにいつたものとみえます。もし、この近所であつたら、自分も行つてみやうと思つて、耳を澄ましてみましたけれど、それらしい声などは聞こえてこなかつたのであります。 独りしよんぼりとして、太郎は家の前に立つてゐましたが、畑には去年取り残した野菜などが、新しく緑色の芽をふきましたので、それを見ながら細い道を歩いてゐました。 すると、よい金の輪の触れ合ふ音がして、ちやうど鈴を鳴らすやうに聞こえてきました。 かなたを見ますと、往来の上を一人の少年が、輪をまわしながら走つてきました。そして、その輪は金色に光つてゐました。太郎は目をみはりました。かつてこんなに美しく光る輪を見なかつたからであります。しかも、少年のまわしてくる金の輪は二つで、それがたがいに触れあつて、よい音色をたてるのであります。太郎はかつてこんなに手際よく輪をまわす少年を見たことがありません。いつたいだれだらうと思つて、かなたの往来を走つてゆく少年の顔をながめましたが、まつたく見覚えのない少年でありました。 この知らぬ少年は、その往来を過ぎるときに、ちよつと太郎の方を向いて微笑しました。ちやうど知つた友だちに向かつてするやうに、懐かしげに見えました。 |
||
輪をまわしてゆく少年の姿は、やがて白い路の方に消えてしまいました。けれど、太郎はいつまでも立つて、その行方を見守つてゐました。 明くる日から、太郎はまた熱が出ました。そして、二、三日めに七つで亡くなりました。 |
||
home notes5 gallery5 |