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1 水村美苗「本格小説
ブラームス・クラリネット五重奏曲ロ短調
小説の中で三枝姉妹の愛好するこのブラームスの名品を、私は滅多にきくことはないが、今回この作品を読んだのを幸いに、あらためて聴いてみた。

この曲は三枝家別荘の居間より、物語最後の場面にふさわしい。憧憬と諦念の交錯する第二楽章アダージョの旋律は、よう子の死後とり壊された、追分の別荘跡に佇む東太郎の胸の裡を吹く風だ。

「山荘があった場所に着いたときである。
ふいの空白が祐介の眼を射た。朽ち果てそうだった山荘は影も形もなかった。二本の杭とあたりの藪はそのままに、山荘があった跡に黒々と剥き出しになった土があるだけだった」
水村美苗「本格小説」
E・ブロンテの「嵐が丘」に想をえた、宇田川よう子と東太郎との、四十年にわたる愛の物語。

2 折口信夫講演「阿修羅像
この講演記録を読んで、興福寺阿修羅像の御姿は、日本人の無意識のなかにある日本固有の神のおもかげであつたかと私は得心する。さらに折口は続ける。

「日本の神がまだ日本人の心に定かな像を結ばない以前に、強烈な姿と宗教力を備えた「仏てふ神」の渡来によつて、余りにも早い「神々の死」を余儀なくされたのではないか。それはキリスト教によるギリシャの神々の死よりも、比べやうもなくはかなく微かで幽暗なことだけに一層いたましい」
浄きまなじり…昭和二十七年「春日大社・興福寺国宝展」東京開催時の講演より。
岡野弘彦「折口信夫伝」

3 1000の風、A Thousand Winds

死者は永遠に生き続ける…人々の記憶の中に。

「1000の風」は、アメリカの某コラムニストが紹介してから知られるやうになつた作者不詳の詩。私はアイルランドが発祥ではないかと想像してゐる。かの国は妖精のいるところで、いつも荒野には風が吹き抜けてゐる。

モーリス・ラヴェル「クープランの墓」より、前奏曲。
作曲の動機としてラヴェルは、クープランだけでなく、十八世紀のすべての作曲家への捧げものであると述べてゐる。この曲は、過ぎ去った十八世紀のヨーロッパといふアルカディアへのオマージュであらう。そして明治の日本が近代化のモデルとしたのは、言ふまでもなく十九世紀の西欧であつた。

4 川上澄生「初夏の風
「75歳になった川上澄生は短歌の形をかりてこう書く。

君の名は わたなべたかこ くりかえす。
わたなべたかこ わたなべたかこ

「生涯を一貫しているその歌いぶりに、私は川上澄生という人の、版画にも散文にも詩にも通じる生き方を感じる。だがその生き方は単に純朴とか質実とかいう言葉で片付けられるものではない。河野英一が言うような、センチメンタリズムやロマンチシズムと見られるものの根底にある、『かたくななまでのペシミズムの影』が、その作品に独特な陰影を与えている」
谷川俊太郎「俗極まれば仙」

5 ピエール・コーニッグ「ケース・スタディ・ハウス # 22」あるいは夢の形
ケース・スタディ・ハウス…「Arts & Architecture」というカリフォルニアを本拠地とした建築雑誌によつて、1945年から1966年の間展開されたプログラム。新しい住まゐ方の提案を盛り込んだ、核家族のための実験的な住宅というコンセブトで、多くの建築家が参加した。

ケース・スタディ・ハウス # 22…このプログラムの22番目の住宅。
設計…ピエール・コーニッグ、設計・竣工、1959ー1960年、敷地面積、280坪、延床面積、64坪、鉄骨造、住所ー1635 Woods Drive, Los Angeles 。

リビングルームから眺めるロサンゼルスの夜景は「夢の街」そのものであらう。ここには私達が住宅建築に対して抱く夢の形の一つの解答がある。現在でも雑誌の広告に使われることもある。

ヘンリー・マンシーニ作曲「Dreamsville」
テレビドラマ、ピーター・ガンの音楽。米国で1958〜1961年、日本で1961年に放映。

6 吉田秀和「ベートーベン・ピアノソナタハ短調作品111
ベートーヴェン・ピアノソナタ第32番ハ短調 作品110…1822年作曲。第一楽章 マエストーソ、第二楽章 アリエッタ。

7 江藤淳「幼年時代
江藤淳ー評論家。昭和七年生、四歳の時生母を喪ひ、中学生の時国を失ふ。
著書「漱石とその時代」「成熟と喪失」他多数。平成十年夫人を喪ふ。翌平成十一年自裁、享年六十六歳。以下に遺書を掲げる。

「心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ」

平成十一年七月二十一日  江藤淳

リヒャルト・シュトラウス「四つの最後の歌」〜第四曲「夕映えの中で」
おお、このひろびろとした静かな平和!
こんなに深々と夕映えに染まつて。
旅の疲れが重く私たちにのしかかつてゐるー
もしかしたら、これが死だらうか?

8 ルイス・カーン・空へのファサード
カーンは、ソーク研究所のこの中庭の植栽について、友人のルイス・バラガンに助言をもとめた。バラガンは答えた。
「私なら、一本の木も、一枚の葉もここには植えません。ここは庭ではなく、石のプラザであるべきです。ここをプラザにしたなら、空へのファサードを得られるでしょう」

「よき建築は、よき遺跡を生す」…カーンは地元産の石を好んで使つた。「木と石は買うものではありません。見出されるべきものなのです。これらの素材は自然からの贈り物として、感謝の気持ちを込めて、真正に取り入れなければなりません」
 
9 飯田龍太「麓の人」よろこびの影
緑陰をよろこびの影すぎしのみ…飯田龍太 「麓の人」所載。
「三十八年一月亡くなった伊藤凍魚氏の遺句集『氷下魚』が刊行され、その出版記念と追悼の句会が札幌で催された。刊行に尽力された依田由基人氏とふたり、招かれて渡道した折の作である。着いた日は、
〈梅雨雲は青野につづき楡の街〉
といつた天候であつたが、翌日は晴れた。北大構内は大勢の観光客であふれ、バスガイドのマイクがあちらでもこちらでも囀る。人波を離れて楡の木の下へ行くと、芝の上に真つ白なレースのハンカチが落ちてゐる。新婚の持ちものと思はれた。この句に前書きをつけなかったのは以上のやうな風景とは別の感慨がこころにあつたためである」
「自選自解 飯田龍太句集」

この句について私のおもひをいへば、孫引きだけれど、かうとでも言ふほかはない。
Heart dances, but not for joy.

10 吉田秀和「モーツァルトクラリネット協奏曲 K.622
「そうして、洗練などというところも、はるかにのりこえてしまって、もう個性的な刻印さえ残されていないような、この異常な完成の上に、クラリネットが鳴らされる。それは、あんまり平静なので、かえって、耐えがたい悲しみをきくものによびおこさずにいない。それを、人生と音楽に向けられた彼の告別ときくのは、私のきき方でしかないのだろうか。
このアダージョを両側からとりかこむ、第一楽章アレグロと、第三楽章のアレグロ・ロンドについては、何をつけ加えたらいいだろう?
あるひとが『私にはこの二つのアレグロのぴったりあった言葉としては、《冬ものがたり》の中のつぎの句以上のものは思いあたらない』といっていた。
《Heart dances, but not for joy》
気のきかない話だが、私は、その人の真似をしたい」
吉田秀和「モーツァルト・クラリネット協奏曲 K.622」

11 藤原隆信「平重盛像」
「最後の部屋に、名声高き傑作、隆信の『重盛像』が、ただ一点、ぽつねんと配されている。西欧絵画にたいするこのうえなく切実な尋問(interrogatoire)が、ここに始まるのだ。

ほかのいくたの傑作のあいだにこれを復活せしめた力は、まさしくヨーロッパ的酵母(ferment)以外のなにものでもないが、しかし、『重盛』は、その瞑想の気韻を失わずに〈空想美術館〉入りした点に留意すべきである。あたかも蛮人彫刻がその蛮性を失わずにおなじ美術館入りをとげたように。しかもなお、この陥穽を仕組んだ傑作は、西欧美術による世界制覇という現実を根底から疑問化せずにはいないのだ。いや、〈空想美術館〉によってそこに仲間入りさせられながら、しかもこの美術館そのものを疑問化せずにいないのである。」 アンドレ・マルロー「黒曜石の頭蓋」

12 洲之内 徹「気まぐれ美術館・美しきもの見し人は」
「遺稿集の最後に、死の一ヶ月前、七月四日付で、入院中の新潟大学付属病院から誰かに出した、次のような手紙が収録されているが、彼女の健気さには感動させられる。

〈…今日は快晴でした。真青なボール紙を巻いた海は、太陽の巨大な輪転機にかけられていました。地球はまるくって地球的に小さいのがよくわかりました。上越の山々、反対側には海、夢の佐渡ヶ島、巻でゴランになった角田山も見えるのです。昨日から抗ガン剤を打ちはじめました。副作用はさておき、おなかの痛みにはヘイコウしています。でも元気で過ごしています。〉

病勢がだいぶ進んでからのある晩、彼女は五階の病室の窓から、偶然、火事を見たのだった。夜の新潟の市街の遠くで起こった火事は、終始物音とては何一つ聞こえず、闇の中でただ火の色だけが見えているのだったが、その夜から、田畑あきら子の様子が変わった。
『ゴーキーが解った』
と彼女は言っていたそうだが、それまでの、病気に抵抗しようとする姿勢をやめ、痛み止めの麻酔薬の注射なども拒んだ。自殺の気配が見え、人のいない隙を見て、ベッドを降りて刃物の置いてある病室内の流しへ這っていこうとしたり、窓へ近寄ろうとしたりするので、危なくて目が離せなくなった、ということである。

ゴーキーについては、遺稿集の最初の頁に、〈プルーストの質問書による、田畑あきら子の解答。〉というのがあり、その中で、〈好きな芸術家は ?〉と自ら問うて、〈アーシル・ゴーキー。フランツ・カフカ。荒川修作。〉と答えている。
『お好きな銘句または信条の一つを。』という問いに対する答えは次のようになっている。

〈…美しきもの見しひとは、はや死の手にぞわたされけり。〉

まるで、彼女が彼女自身のために選んでおいた墓碑銘のようだ。『質問書』の日付は千九百六十八年五月。その一年後の千九百六十九年八月二十七日に、彼女は二十八歳で死んだ。」

美(うるは)しきもの見し人は
はや死の手にぞわたされつ、
世のいそしみにかなはねば。
されど死を見てふるふべし
美しきもの見し人は。

プラーテン〈訳・生田春月〉「トリスタン」

13 飯島真理「まりン」
真理には、〈まりン〉が、わたしには〈わたし〉がゐる。〈まりン〉は逆上がりの名手。〈わたし〉は、わたしにとつて時として最悪の敵であり、希に最高の友人であり、多くの場合傍観者であつた。

わたしは人攫いにさらわれ、舟にのせられ売られてゆく。〈わたし〉がそれを眺めてゐる。
とても売らるる身を、夢幻や。ただ静かに漕げよ、船頭殿…。

冬野ゆく閑吟集こそかなしけれ声にうたえどわれは狂わぬ 馬場あき子

14 宮澤賢治「おきなぐさ」
私は去年の丁度今ごろの風のすきとほったある日のひるまを思ひ出します。
それは小岩井農場の南、あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がはでした。かれ草の中に二本のうずのしゅげがもうその黒いやはらかな花をつけてゐました。
まばゆい白い雲が小さな小さなきれになって砕けてみだれて空をいっぱい東の方へどんどんどんどん飛びました。
お日さまは何べんも雲にかくされて銀の鏡のやうに白く光ったり又かがやいて大きな宝石のやうに蒼ぞらの淵にかかったりしました。
山脈の雪はまっ白に燃え、眼の前の野原は黄いろや茶の縞になってあちこち掘り起こされた畑は鳶いろの四角なきれをあてたやうに見えたりしました。
おきなぐさはその変幻の光の奇術の中で夢よりもしづかに話しました。
「ねえ、雲が又お日さんにかかるよ。そら向かうの畑がもう陰になった」
「走って来る、早いねえ、もうから松も暗くなった。もう越えた」
「来た、来た。おゝくらい。急にあたりが青くしんとなった」
「うん、だけどもう雲が半分お日さんの下をくぐってしまったよ。すぐ明るくなるんだよ」
「もう出る。そら、あゝ明るくなった」
「だめだい。又来るよ、そら、ね、もう向ふのポプラの木が黒くなったらう」
「うん。まるでまわり燈籠のやうだねえ」
「おい、ごらん。山の雪の上でも雲のかげが滑ってるよ。あすこ。そら。ここよりも動きやうがおそいねえ」
「もう下りて来る。あゝこんどは早い早い、まるで落ちて来るやうだ。もうふもとまで来ちゃった。おや、どこへ行ったんだらう、見えなくなってしまった」
「不思議だねえ、雲なんてどこから出て来るんだろう。ねえ、西のそらは青じろくて光ってよく晴れてるだらう。そして風がどんどん空を吹いてるだらう。それだのにいつまでたっても雲がなくならないぢゃないか」
「いゝや、あすこから雲が湧いて来るんだよ。そら、あすこに小さな小さな雲きれが出たらう。きっと大きくなるよ」
「ああ、ほんとうにさうだね、大きくなったねえ。もう兎ぐらゐある」
「どんどんかけて来る。早い早い、大きくなった、白熊のやうだ」
「又お日さんへかゝる。暗くなるぜ、奇麗だねえ。ああ奇麗。雲のへりがまるで虹で飾ったやうだ」
西の方の遠くの空でさっきまで一生けん命啼いてゐたひばりがこの時風に流されて羽を変にかしげながら二人のそばに降りて来たのでした。
「今日は、風があっていけませんね」
「おや、ひばりさん、いらっしゃい。今日なんか高いとこは風が強いでせうね」
「えゝ、ひどい風ですよ。大きく口をあくと風が僕のからだをまるで麦酒瓶のようにボウと鳴らして行く位ですからね。わめくも歌ふも容易のこっちゃありませんよ」
「さうでしょうね。だけどこゝから見てゐるとほんたうに風はおもしろさうですよ。僕たちも一ぺん飛んでみたいなあ」
「飛べるどこじゃない。もう二か月お待ちなさい。いやでも飛ばなくちゃなりません」
それから二ヶ月めでした。私は御明神へ行く途中もう一ぺんそこへ寄ったのでした。
丘はすっかり緑でほたるかづらの花が子供の青い瞳のやう、小岩井の野原には牧草や燕麦がきんきん光って居りました。風はもう南から吹いてゐました。
春の二つのうずのしゅげの花はすっかりふさふさした銀毛の房にかはってゐました。野原のポプラの錫いろの葉をちらちらひるがへしふもとの草が青い黄金のかゞやきをあげますとその二つのうずのしゅげの銀毛の房はぷるぷるふるえて今にも飛び立ちさうでした。
そしてひばりがひくく丘の上を飛んでやって来たのでした。
「今日は。いゝお天気です。どうです。もう飛ぶばかりでせう」
「えゝ、もう僕たち遠いとこへ行きますよ。どの風が僕たちを連れて行くかさっきから見てゐるんです」
「どうです。飛んで行くのはいやですか」
「なんともありません。僕たちの仕事はもう済んだんです」
「恐かありませんか」
「いゝえ、飛んだってどこへ行ったって野はらはお日さんのひかりでいっぱいですよ。僕たちばらばらにならうたって、どこかのたまり水の上に落ちやうたってお日さんちゃんと見ていらっしゃるんですよ」
「そうです、そうです。なんにもこわいことはありません。僕だってもういつまでこの野原にゐるかわかりません。もし来年もゐるやうだったら来年は僕はここへ巣をつくりますよ」
「えゝ、ありがたう。あゝ、僕まるで息がせいせいする。きっと今度の風だ。ひばりさん、さよなら」
「僕も、ひばりさん、さよなら」
「ぢゃ、さよならお大事においでなさい」
奇麗なすきとほった風がやって参りました。まづ向ふのポプラをひるがへし、青の燕麦に波をたてそれから丘にのぼって来ました。
うずのしゅげは光ってまるで踊るやうにふらふらして叫びました。
「さよなら、ひばりさん、さよなら、みなさん。お日さん、ありがたうございました」
そして丁度星が砕けて散るときのやうにからだがばらばらになって一本ずつの銀毛はまっしろに光り、羽虫のやうに北の方へ飛んで行きました。そしてひばりは鉄砲玉のやうに空へとびあがって鋭いみじかい歌をほんの一寸歌ったのでした。
私は考へます。なぜひばりはうずのしゅげの銀毛の飛んで行った北の方へ飛ばなかったか、まっすぐに空の方へ飛んだか。
それはたしかに、二つのうずのしゅげのたましひが天の方へ行ったからです。そしてもう追いつけなくなったときひばりはあのみぢかい別れの歌を贈ったのだらうと思います。そんなら天上へ行った二つの小さなたましひはどうなったか、私はそれは二つの小さな変光星になったと思ひます。なぜなら変光星はあるときは黒くて天文台からも見えずあるときは蟻が云ったやうに赤く光って見えるからです。

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