山本健吉「供養塔」

l c 南洲残影
供養塔

人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり 旅寝かさなるほどの かそけさ

この歌の入つてゐる連作の全体と、詞書とを掲げて置かう。名高い連作だから少し気が引けるが、この歌ほど詞書と連作全体の中に置いてみて、精彩を発揮する歌もないのだからー。

 供養塔
 数多い馬塚の中に、ま新しい馬頭観音の石塔婆の立つてゐるのは、あはれ  
 である。又殆、峠毎に、旅死にの墓がある。中には、業病の姿を家から隠    
 して、死ぬまでの旅に出た人のなどもある。

人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり 旅寝かさなるほどの かそけさ
道に死ぬる馬は、佛となりにけり。行きとゞまらむ旅ならなくに
邑山の松の木むらに、日はあたり ひそけきかもよ。旅びとの墓
ひそかなる心をもりて、をはりけむ。命のきはに、言ふこともなく
ゆきつきて 道にたふるゝ生き物のかそけき墓は、草つゝみたり

歌集「海やまのあひだ」では、大正十二年の制作になつてゐる。発表は大正十三年四月、創刊号の雑誌「日光」である。

「日本の山海道の間道をなす道には、至る処で行路病者の古い、新しい墓を見た。又さうでなくても、馬一匹仆れた山道には、馬頭観音の石塔婆を建てるなど、人や動物の、我我の身辺から俄に消えて行つたものを祀る塚が多かつた。毎日、山を越え、坂を渡つてゐる間に、必その幾つかを見た。私の悲しみは、故人の悲しみがよみがへつて来るものの如く、その間つねに新しく覚えた。…道に建て残された石塔を見ると、なるほどかうも、行路の旅に人間も馬も倒れ死んでしまふものだつた事を知る。それほどにも感じた事のないありふれた事に、これ程深く、いと遙かなものを心に感受するのは、長い旅寝を重ねる間の極度の心しずまりによるものであらう」自家自註

迢空が感じ取つたものは、孤独な古代の旅だつた。心細い古代の旅が、今もなほ細々と続いてゐることは、この旅で目に触れた古いのや新しいのや、数多くの旅死にの墓、馬塚の供養塔が、語りかけたくるのである。
山本健吉「釋迢空歌抄」

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