折口信夫「ほうとする話」

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ほうとする

ほうとする程長い白浜の先は、また、目も届かぬ海が揺れてゐる。其波の青色の末が、自づと伸しあがるやうになつて、あたまの上までひろがつて来てゐる空である。ふり顧ると、其が又、地平をくぎる山の外線の立ち塞つてゐるところまで続いて居る。四顧俯仰して、目に入る物は、唯、此だけである。日が照る程、風の吹く程、寂しい天地であつた。さうした無聊の目を「目+爭」、らせるものは、忘れた時分にひよっくりと、波と空との間から生れて来る——誇張なしにさう感じる——鳥と紛れさうな刳り舟の影である。
遠目には、磯の岩かと思はれる家の屋根が、一かたまりづゝぽっつりと置き忘れられてゐる。炎を履む様な砂山を伝うて、行きつくと、此ほどの家数に、と思ふ程、ことりと音を立てる人も居ない。あかんぼの声がすると思うて、廻つて見ると、山羊が、其もたつた一疋、雨欲しさうに鳴き立てゝゐるのだ。
どこで行き斃れてもよい旅人ですら、妙に、遠い海と空とのあはひの色濃い一線を見つめて、ほうとすることがある。沖縄の島も、北の山原など言ふ地方では、行つても行つても、こんな村ばかりが多かつた。どうにもならぬからだを持ち煩うて、こんな浦伝ひを続ける遊子も、おなじ世間には、まだまだある。其上、気づくか気づかないかの違ひだけで、物音もない海浜に、ほうとして、暮しつゞけてゐる人々が、まだ其上幾万か生きてゐる。
ほうとしても立ち止らず、まだ歩き続けてゐる旅人の目から見れば、島人の一生などは、もつともつと深いため息に値する。かうした知らせたくもあり、覚らせるもいとほしいつれづれな生活は、まだまだ薩摩潟の南、台湾の北に列る飛び石の様な島々には、くり返されてゐる。でも此が、最正しい人間の理法と信じてゐた時代が、曾ては、ほんとうにあつたのだ。古事記や日本紀や風土記などの元の形も、出来たか出来なかつたかと言ふ古代は、かういふほうとした気分を持たない人には、しん底までは納得がいかないであらう。

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