川端康成「犠牲の花嫁」

田園住宅   ベートーヴェン「弦楽四重奏曲嬰ハ短調」
犠牲の花嫁

「この世は一つのものでございます。萬物が犠牲になり合つて形作つてゐる一つのものでございます。ですもの、何かの犠牲になつて死んでも、ほんとは死ぬのではございません。あなたがお兄さまに秀子さまをお譲りなさいましても、あなたは秀子さまをお失ひになつたのではございません」
私は唯じっと娘を見てゐた。
「それから……」
と、娘は疲れた紅雀のやうに弱々しく紅らめた頬を伏せた。
「私にはあなたの目が分ります。私をあなたの花嫁にしてやるとおつしやってゐます。だがこれだけお約束下さいますならば、若し庭の黄菊が萎れましたら、あなたの血を注いでやって下さいますならば、若し椎の梢の百舌鳥が飢ゑましたら、あなたの小指を投げてやつて下さいますならば」
「おお、犠牲の花嫁!」
私は娘の清らかな膝の上に額づいた。
「私は秀子でございますよ。秀子でございますよ」
荒海の波のやうな峰を離れて、夜空の月が私達の方へ静かに歩いて来た。

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