塚本邦雄「聖母咒禁」

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聖母咒禁

飲食ののちに立つなる空壜のしばしばは遠き泪の如し

花舗に喇叭水仙を求めつつナルシス神話を想起する星菫派もさることながら、猫を見て漱石を、河童と聞いて龍之介を、はたまた下世話に屋台の蕎麦を啜つたあとで金を払ひながら落語を思ひ浮べるていどのことならば、市井人の日常にたまたまあり得ることであらう。だが然し、その日常茶飯事、ティー・タイムを加へて月に百回がほど、たとへば箸置きに黒檀の箸尖をかちりと置き、銀の匙を紅茶茶碗の受皿にばたつと投げる瞬間、私はこの、葛原妙子の一首を心の中に蘇らせて、しづかに目を宙にすゑ、生きてかくあることのむなしさを嘆くならひをもつやうになつてしまつた。禍々しい歓びと言ふべきであらうか。殊に「晩夏光おとろへし夕べ酢は立てり一本の壜の中にて」の酢の壜の、その空壜を眼前にする時、「しばしばは」ならず、「しばしば」壜の形象はうるみ、ふくれ、二重三重の暈を伴つて、刻々に遠離り、あらぬ世のものとなる。あらうことか飽食のあとの睡氣に、みだりがはしい涙をたたへ、脂に穢れた唇をナプキンで拭ひなどしてゐるのだ。その唇で、「遠き泪のごとし」「遠き泪のごとし」などと咒文のやうに不知不識に称へながら、かかる單純な措辭に咒縛された自分を憫むのである。

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