興福寺 須菩提像

l c 塚本邦雄「還らざるべし」
須菩提像

結核が再発し、本人の意志にかかわらず、入院しなければならなくなった。千川の日大病院で、結局そこがついのすみかになったのだが、死の前に彼は近くの焼け跡に自分の作品を運んで、いっぺんに火をかけたのである。
「習作にすぎない」ものをのこしたくなかったのだろうが、その結果あの光彩陸離たる夕景図も、この世ならぬ氷室のような能舞台も、珠玉の散文も、みんなこの世から消えてしまった。いまのこっているのは、喜多節世氏が大事に保存する「夢幻能論」と能評、それに病室で私あてに書いてくれた何通もの長文の書簡。あとはわずかなスケッチと水彩画だけなのだ。
あれほどすぐれた目をそなえた美の狩人、天才が実在したことを証明するためには、これらをよすがとして提出するほかない。次の手紙は死の直前、病院を抜け出して彼が少年のころから通いつめた東京国立博物館一階の彫刻室へ行ってきた「報告」の一節である。そのころまで奈良興福寺の仏像がそこに展示されていた。彼はその仏たちに別れを告げに行ったのだ。もちろん、この無断外出は、死を早めたのである。

「無事に帰つてきた、報告を書きます。
奈良興福寺の須菩提は、以前にもまして美しくなつてゐました。薄闇のなかに、途方に暮れてゐるやうな姿も悲しいものだが、その顔の表情は、静かで、微光を前方に認めたとでも云ふやうな、薄ら笑ひが浮かんでゐるが、或は、泣いてゐるのかも知れない。その彩色は雨に洗われたやうな色調となり、一層もの哀しい趣を呈してゐる。この仏の唯一の表情は、手にあるやうです。何かを、語つてゐる。何かに堪へてゐる激しさが、手にあらわれてゐる。
これはもう精神だけで創られたとしか、思はれない。大袈裟な表情や身ぶりもない。人に見せたいのでもない。もう祈りのやうなものしかないのです。
この彫刻室で覚える精神の安定感、静謐な美は、他に探しやうもないが、バッハの音楽を聴くのに似ているでせうか。絵画だと、マルティニ、チマブエ、ジョオットなどでせう。 

蕪村の次の句は、平凡な句ですが、僕は好きです。殊にあとのは。

行く舟や秋の灯遠くなりまさる
埋れ火の春に消えゆく夜やいくつ

ショパンの二十四の前奏曲のね、第四番を今度よく聴いて下さい。短い、それこそ束の間に消えてしまふ音楽だが、みじかい間に、いろいろの事を一度に思ひ出させる力を持つてゐます。
五月六日夜 松長幹太」

吉田直哉「敗戦野菊をわたる風」

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