塚本邦雄「還らざるべし」

須菩提 c 雪の女王
還らざるべし

昭和二十年代後半から四十年代にかけて、現代短歌の世界には、画期的な名編輯者が輩出した。中井英夫、杉山正樹、冨士田元彦、このベスト三の名は、短歌史に明記されてゐるが、その第一陣中井英夫の登場は最も印象的である。辣腕家として、かつ先駆的な美学の持主として、忘れ得ぬ一人であり、殊に新人発掘には並びない手腕を発揮した。

忘れ得ぬ感動的な「特輯」が、「短歌」編輯長時代に数多あるが、その中の最たるものは昭和三十五年十月の「われ、深き淵より汝を呼べり」であらう。これは昭和三年八月生まれの佐々木悠二と呼ぶ無期懲役囚の短歌をクローズアップした、大胆にして一種スリリングな試みであつた。殺人犯として入獄以来、その時十年を閲してゐたと伝へる。
殺人を犯したのは昭和二十四年十二月、作者二十一歳四個月であつた。従つて作品「血塗られし過去」は回想の形式で展開され、やがて大団円に導かれる。力作と認めうる。

草の根より我を見張りてゐしごとき蜥蜴のいたく澄みし目に遇ふ
賜らば死刑も肯ひゆくべしと述べつつ泪とめどなかりき
辛うじて私に生が残されし二十四年十二月二十四日寒かりき
砂塵より眼まもると覆ふ掌の血塗られし過去ふいに顕ちくる
親族恋ふわが眼の色も涸れしむるばかりに灼けて夏の塀立つ

塚本邦雄「還らざるべし」

homegallery2notes2
home
notes2
gallery2