死者の書

 
弦楽セレナーデ   系図  
死者の書 「彼の人の眠りは、徐かに覺めて行った。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。
した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。
膝が、肱が、徐ろに埋もれてゐた感覺をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの―。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起こしかけてゐるのだ。
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見廻す瞳に、まづ壓しかゝる黒い天井を意識した。次いで、氷になった岩牀。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩傳ふ雫の音。
時がたった―。眠りの深さが、はじめて頭に浮かんで來る。長い眠りであった。けれども亦、浅い夢ばかりを見續けて居た気がする。うつらうつら思ってゐた考へが、現實に繋つて、ありありと、目に沁みついてゐるやうである。
あゝ耳面刀自」
折口信夫「死者の書」
 
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