蕪村のライフ・ワークの中から「晋我追悼曲」一篇のみを採り、他をかへりみぬのは私の独断であり、妄執に似たえらびに過ぎぬ。だが私はこのえらびを以て己が審美眼を験してきたし、この後もうたがはないだらう。傑作一篇のためには、他の諸作はもとより、その作者すら殺してもよい。否、むしろ作者はそれに殉じるのだ。ただ、一篇と生涯のつりあふほどの絶唱、代表作は稀有である。にも拘らず、作者はそれを幻覚しつづけて果てるのみであらう。幻覚が現実となつた時さへ、その多くは若書の佳篇を、悪み否み、葬りたいと希ふ例も少なからずあるのだ。そしてその時、作品はすでに作者の私有物ではなくなつてゐる。
北壽老仙を悼む
君あしたに去ぬゆふべのこころ千々に
何ぞはるかなる
君をおもふて岡のべに行つ遊ぶ
をかのべ何ぞかくかなしき
蒲公の黄に薺のしろう咲たる
見る人ぞなき
雉子のあるかひたなきに鳴を聞ば
友ありき河をへだてゝ住にき
へげのけむりのぱと打ちれば西吹風の
はげしくて小竹原眞すげはら
のがるべきかたぞなき
友ありき河をへだてゝ住にきけふは
ほろゝともなかぬ
君あしたに去ぬゆふべのこゝろ千々に
何ぞはるかなる
我庵のあみだ仏ともし火もものせず
花もまいらせずすごすごと彳める今宵は
ことにたうとき |