フランク・ハーバート〈Dune/砂の惑星〉

l   海くれて
砂の惑星

ジェシカは頷き、瞑想室の扉を開いた。
「ポウル、お入り」
ポウルは渋々の体でゆつくり居間に入つてくると、他人であるかのやうに母親を眺めた。教母には油断のない目を向けたものの、今度は対等の者に対する会釈をしてみせた。背後で母親がドアを閉じる。
「若者よ」老女は語りかけた。「今度は夢の話を致さうか」
「おまへは何を求めてゐる」
「夢は毎晩見るのかえ」
「憶えておく価値のある夢を、毎晩見るわけではない。夢は全て憶えてゐられるが、さうする価値があるものもあれば、ないものもある」
「価値のあるなしは、如何にして見分ける」
「自ずと解る」
老女はジェシカをちらと見遣り、ポウルに視線を戻した。
「ゆうべはどんな夢を見た?それは憶えておく価値のある夢じゃつたか?」
「ああ」ポウルは目を瞑つた。「夢の中で、ぼくは洞窟の中に居て…それに、水…そして若い娘が…大きな目をした、ひどく痩せた若い娘がいた。眼が全体に青く、白目が全く無い。ぼくはその娘に話しかけたとき、おまへのことを……カラダン城で教母と会つたことを…話した」
それだけ言つて、ポウルは目を開けた。
「その奇妙な娘に話したと言ふ、わしと会ふ話じやがな…その通りのことが今日起こったかな?」
ポウルは夢の内容を思ひ返して答へた。
「さうだ。その娘にはおまへがここに来て、私に異質の烙印を押すと言つた」
「異質の烙印…」老女は怪訝な面持ちで、再びちらとジェシカに目をやつてから、ポウルに視線を戻した。「本当のことを話しておくれでないかい、ポウル。夢に見た通りのことが後で現実に起こる…そんな夢を、お前はよく見るのかえ?」
「ああ。それにその娘、前にも夢に出てきたことがあつた」
「ほう?では、それは知りびとの娘か」
「何れ出会ふことになるだらう」
「その子のことを話しておくれ」
再びポウルは目を閉じた。
「ぼくたちは、隠れ家のやうな岩場の中の狭い場所にゐる。そろそろ夜なのに、なかは熱くて、岩場に開いてゐる穴の一つから外を覗けば、砂の広がりが見える。ぼくたちは…何かを待つてゐる。ぼくは或る人々に引き合されることになっていて、娘は怯えてゐるが、それをぼくに知られまいとしてゐる。ぼくは興奮が甚だしい。彼女がかう言ふ…"ウスール、貴方が生まれた惑星…其処の水のことを話して"と」ポウルは目を開けた。「妙じやないですか。私の母星はカラダンだ。ウスールなんて惑星、聞いたこともない」
「その夢に続きはあるの」ジェシカが尋ねた。
「ええ。でも、たった今気づいたんですが、娘がウスールと呼んでいたのは私のことかもしれない」
ポールは三度目を閉じた。
「彼女が水のことを話してとうながす。私は娘の手をとって、これから詩を暗唱すると告げる。そして詩を詠むわけだけれど、いくつかの言葉は説明しないと伝わらない。例えば、砂浜、波打ち際、海藻、鷗」
「それはどんな詩じゃ」教母が尋ねる。
ポウルは目を開けた。
「ガーニー・ハレックが悲しいときに、抑揚をつけて詠う詩のひとつだ」
ポールの背後で、ジェシカが詩を詠誦しだした。

思ひだすは浜辺の焚火
潮の香り立つ煙
松の樹々が落とす影
くっきりと清浄で…揺るぎなき影
岬の水際に鴎たちはとまる
緑の上の白い点…
風が松の樹々を吹き抜け
砂浜の影を揺らせば
鴎たちはたちまち翼を広げ
舞いあがり
鳴き声で空を満たす
聞えるのは風の音
風は吹きゆく、浜辺のうへを
気づけば焚き火が
海藻を焦がしてゐる

「あれがさうだよ」ポウルは言つた。
老女は墨々とポウルを見つめた。
「お若いの、ベネ・ゲセリットの学監として、私は〈クウィサッツ・ハデラック〉を探し求めておる。真に我らの一員となれる男をな。ジェシカはお前の中にその可能性を見出しておるが、そこには母親の欲目もあらう。可能性だけなら、私にも見える。したが、それ以上のものではない」
老女は黙りこんだ。これは自分になにか答へさせたがつてゐるのだとポウルは思つたが、敢て何も言はず、老女の言葉を待つた。

稍々あつて、到頭老女は自分から口を開いた。
「黙つてゐると言ふなら、好きにするがいい。何にしても、お前には深みがある。それだけは認めやう」

〈ベネ・ゲセリット〉
主として女学生のための、精神と肉体を訓練する伝統ある学校。
〈クウィサッツ・ハデラック〉
精神力で時間と空間の間に橋を架けられる、男のベネ・ゲセリット。

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