安東次男「澱河歌の周辺」

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・春水浮梅花 南流菟合澱
 錦纜君勿解 急瀬舟如電
・菟水合澱水 交流如一身
 舟中願同寝 長為浪花人

・君は水上の梅のごとし花水に
 浮で去ること急カ 也
 妾は水上の柳のごとし影水に
 沈でしたがふことあたはず

前二首は、「春水 梅花ヲ浮カベ、南流シテ菟ハ澱ニ合フ。錦纜ヲ 君ヨ解クコト勿レ、急瀬ニ舟ハ電ノ如シ」、「菟水 澱水ト合フ、交流シテ一身ノ如シ。舟中 願ハクハ同ニ寝テ、長ク浪花ノ人ト為ラン」と読める。菟とは宇治川、澱とは淀川である。解は用いるまでもあるまい。わたしもできることならあたたといっしょに流れをくだって、いついつまでも浪花に住みたい。あるいは浪花に帰りたい、と女が男に甘えてみせるのである。川船で浪花へ戻る男を送って伏見あたりの妓楼の女が口にすることばを、蕪村流に代弁してみせたとも読め、またもっと深刻な男女の仲のこととも受取れるが、いずれにせよ、ままならぬ身体と心のことをそれとなく男に伝える、女のなまめいた台詞である。「澱河歌」は「馬堤曲」と対をなす、あるいは反歌ともみなすべき作品であるから、もちろんここにも「馬堤曲」同様、「女に代って意を述べ」ながら、そこに蕪村自身の懐旧の情が色濃くにじみ出ていると見てよいが、それを蕪村は、なぜわざわざ、川くだりに託して歌ったのであろう。
「澱河歌」三首を通観するとき、三首目の和詩は、他の二首にくらべてあまり出来のよい作品ではないかに見える。そうした作品であればなおのこと、蕪村はその欠陥のあるところを自分でもよく知っていたろうが、しかもなお何故あえて執心したのか。思うに晩年ますます画技に熟達した詩人は、巧まずして画家の目で捉えた一情景の映像を、不用意にも詩あるいは句に表現したのではあるまいか。
眼を惹くのはむしろ前二首であって、端的にいってこれは、きわめてきわどい暗喩を底に秘めた、一種の情詩ではなかったかと思う。つまり「菟」とは男性の、「澱」とは女性の象徴とも読めるのである。さらにまた、二つの川を菟、澱と書き現した場合の文字の視覚的印象にも、蕪村は興をそそられたであろう。
そうした詩人にとって、「菟」とは老いたる川のイメージから一転して、回春の希いを秘めた男性のシンボルとして用いられた、と見て良い理由がある。またその晩年、春情を女ごころや女体に託して好んで詠んだ蕪村のことだから、当然そこには女人の像と彼自身の像とが二重写しとなってエロチックに映発していたことも、充分に想像できる。詩の「妾」とは女から男への呼びかけであるとともに、蕪村から女への呼びかけ、ひいては、自分自身の情念のほてりに問いかける老詩人の声でもあろう。そこには「水上の梅花」がとりもなおさず「江頭の柳影」と、流れ去って帰らぬ流転の姿がそのまま沈んで動かぬ常住の姿とも目に映る。蕪村の詩観もおのずから現れていようが、それを無常迅速ふうの哲理としてでなく、一種の絵肌として捉えたところに、この三首目の和詩にしてもいかにも蕪村らしい目が働いている。「菟水合澱水、交流如一身」とは、まぎれもなく情交の描写でなければなるまい。とすれば、「南流菟合澱」とこの詩句との間にはさまれた、「錦纜君勿解 、急瀬舟如電」(錦のとも綱をどうか解かないでください、この急流に舟はいなずまのようにくだるのですから)という条りは、老年の自覚においてはじめて可能になった春情の両面を、描き出してあますところがないように思われる。痴情のかぎりを思うことによって、むしろ自らは益々慎むこと深く、そこに油然として湧いた老詩人のエロチシズムの極であろう。

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