塚本邦雄「煉獄の秋」

L.カーン   グレート・ギャツビー
夏の日の

夏のいと暑き日盛りに同じ男のよみたりける
夏の日の燃ゆるわが身の侘びしさに水戀鳥の音をのみぞ鳴く  伊勢集

「愛するものが愛されるものに囁く言葉と心のあはれを傳へる以外に相聞の意味はなく、贈答が男から女に女から男に、時には女から女に、男から男へのいづれであらうと作品の美しさはいささかも損なわれはしない。
水戀鳥、血の色の嘴を持つ赤翡翠に身をたぐへる男は、伊勢にとっては誰であったのかと、戸籍調べはその道の有志に委ねておけばよい。枇杷左大臣であらうと敦慶親王であらうと、今は彼女からは返歌さへ貰へぬほど疎まれた仲であつた。彼女は別の日別の男に遣る。

山川に聲きくよりは紅の人目ばかりもまづ見てしがな

しかし、かつての日の赤翡翠のくれなゐの聲には比べやうもあるまい。「夏の日の燃ゆるわが身の侘びしさに」の火は「水戀鳥」の水とひびきあひ(中略)いづれ火の性水の性、火中(ほなか)に立つて問ふのも、かけがへのない愛、その愛を貫くためであつた。
六百番歌合戀五十題の中にも寄水戀は見當らぬ。寄火戀もその場を與へられはしなかつた。伊勢はその二つを一つに象徴した稀有の一首を贈られて應へなかつた」

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