中勘助「小品四つ」〜「小箱」

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小箱
ここに今はゐない妹の手細工のガラスの小箱がある。六枚のすり硝子の合せめをクリーム色のリボンでぴしりとしめあはせたもので、襞飾りがしてある。あんなに美しい指をもちながら兄弟ぢゆうでの無器用で、常づね私にからかはれて泣き顔をした妹もこればかりは笑はれまいと一所懸命こしらへたものか、たいそう手際よくできてゐる。いつものとほりけなしけなしほめてやつたらそれでも嬉しさうにちよつと首をかしげたことを思ひだす。なかにいれておいたいろいろな貝はいつかいりまじってどれが誰のとも見わけられないのはとりかへしのつかぬ寂しい気がするけれど、いづれも私にやさしく親しい指の拾ひあつめたものとおもへばなかなか思ひなぐさむところもある。
ここなる二ひらの帆立貝のひとつは藤紫に白をぼかし、放射状にたてた幾十の帆柱は無数の綺麗な鱗茸をつらねて、今しも迸りいでた曙の光がいろいろの雲の層に遮られたやうにみえる。他のものは暗紅に紫黒と海老色の帯をまとつて、ところどころ鳥糞ににた白い斑点がついてゐる。これはタばえの天の姿である。これらの二つをならべてその蝶つがひをからだとみれば、それはまた二羽の孔雀の競ひかに尾羽根をひろげたさまである。美しいかさねをきた子安貝、なないろのさざ波のよるとこぶし。巻貝、笠貝、雲がた貝。月日貝は幸ある子かな。くれなゐの朝日と、淡黄のタ月と、貴い父ははのかひなに抱かれて南の海に眠るといふ。あはれいみじきこれらのものよ。紅白の珊瑚の林に花とちり実と落ちた貝の殻は、龍の乙女が玉をみがいた踵にふまれて、その足指の白さに、爪のうすベにに、髪の紫に、瞳のみどりに染みてこの麗しい色は得たのであらう。わたつみの海の千ひろの底にしておのづからわが身にふさへる家をもち、ほどよい青の光の国に、あるひは螺鈿の穹窿のしたに、またはひとつ柱の迷宮のうちに、心しづかに夢みてすごす海のうからをねたく思ふ。
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