中勘助「小品四つ」〜「あしべ踊」

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中勘助
ここに葦の葉の模様のついた淡卵色の粗末な小血がある。これはさる頃の葦辺踊りのときのものでいまだにうす赤く菓子のあとがついてるが、私は近頃ながらく病床にゐたあひだこれをなつかしいものにして枕もとにおき、そのをりの旅のみやげの春日の鹿をならべてあかず眺めてゐた。皿のふちにずらりと鼻をならべた赤や茶や紺青やの鹿の輪は葦辺踊りの美しい子たちの姿である。まづ私はほどよい行燈のあかりに照された座敷に人形のやうに坐つてゐた点茶の太夫と、この菓子皿を手にうけて金魚みたいに浮いてきたかはいい子を思ひだす。それからさつと三方にあがる幕と、雨のやうに降りかかる三味線の音と、豊にまろらかな立唄の声と、両花道からしづしづと鰭をふりながらあらはれる踊り子の緋鯉の列と……とりわけ鮮に幻に残つてるのは、錦絵から飛んで出たような囃子の子たちの百羽の銀鳩が一斉に鳴くやうに自由に生きいきと声をそろへた ほう いや のかけ声、いい姿勢に撞木をとつてきりりんきりりんと緩かにうち鳴らした鉦の音である。その囃し子のまんなかに太鼓を打つた花形の子は上方風の柔和な顔に梅幸に似たうけ口をしてゐた。私はその夜の唄をしるしたたたう紙を忘れずにもつて帰った。二つ折の紙の表に銀泥の水の地の、天には桜の花を、地には紫の土を染めだして、だらりに結んだ舞子の後姿がついてゐる。その髱(たば)と襟のあひだには白い頸筋、鬢のしたにはふつくらした頬がみえて、帯の模様は青柳に燕である。またスぺードの2の裏にその夜の踊り子のなかのたてものの写真のついたトランプもある。それはさしかざす絵日傘のかげになまめく顔や顔のなかで子安貝の背に彫つてはめたやうなすずしい眼ざしをした子で、伊丹幸の□□□□といふ。
たとへばこの胸の冬の空にたまたま過ぎてゆくこれらの暖かい雲の影はつねに憂鬱な私をしておぼえず寂しくほほゑませることがある。孟宗の枝に寐るあの鳩と、私と、どちらがより多くの夢をもつであらうか。
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