マルセル・プルースト「失はれた時を求めて」

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temps
少したって、陰気に過ごしたその一日と、明日もまた物悲しい一日であろうという予想とに気を滅入らせながら、私は何気なく、お茶に浸してやわらかくなったひと切れのマドレーヌごと、ひと匙の紅茶をすくって口に持っていった。ところが、お菓子のかけらの混じったそのひと口のお茶が口の裏にふれたとたんに、私は自分の内部で異常なことが進行しつつあるのに気づいて、びくっとした。素晴らしい快感、孤立した、原因不明の快感が、私のうちにはいりこんでいたのだ。おかげでたちまち私には人生で起こるさまざまな苦難などどうでもよく、その災厄は無害なもので、人生の短さも錯覚だと思われるようになった…ちょうど恋の作用が、何か貴重な本質で私を満たすのと同じように…。というよりも、その本質は私の内部にあるのではなく、それが私自身だった。私はもう自分を、つまらない、偶然の、死すべき存在とは感じていなかった。一体この力強い喜びは、どこからやってきたのか?
私はカップをおき、自分の精神の力の方に向きなおる。真実を見つけるのは精神の役目だ。しかしどうやって見つけるのか?深刻な不安だ、精神が精神自身も手のとどかないところに行ってしまったと感じるたびにかならず生じる不安だ。
精神というこの探求者がそっくりそのまま真っ暗な世界になってしまい、その世界のなかでなお探求をつづけねばならず、しかもそこではいっさいの蓄積がなんの役にも立たなくなってしまうようなときの不安だ。探求?
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