ヴァントゥイユのソナタ

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スワンの恋

その前の年、彼はさる夜会で、ピアノとヴァイオリンで演奏されたある音楽を聴いたことがあった。初めのうちは、楽器が作り出す音の物質的特徴しか味わえなかった。そしてヴァイオリンの、細く、手ごたえのある、密度の高い、曲をリードしていくような小さな線の下から、突然ピアノのパートが、巨大な波となって打ち寄せ、さまざまに形を変えながら、しかしひとつながりになって、平らに広がり、たがいにぶつかりあい、まるで月光に魅せられて変調した波が薄紫色にたち騒ぐようにわき上がってこようとしているのを見たとき、それだけでもうすでに大きな快感を覚えた。けれどもある瞬間から、自分を喜ばせるものの輪郭をはっきり識別もできず、それに名前を与えることもできなかったのに、突然魅惑されてしまい、まるで夕べの湿った空気のなかにただようある種の薔薇の香りが鼻孔をふくらませる特性を持っているように、通りがかりに彼の魂をいっそう広く開いていったその楽節ないしはそのハーモニーをーー彼にもそれがなんだか分からなかったが、拾いあげようとしていた。
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ゆったりとしたリズムで、楽節はスワンを導き、まずここに、ついであちらに、さらにまた別のところにと、気高く、理解を超えた、しかも明確な幸福に向かって進んでいった。そして突然、それが到達していた地点で、しばし休止した後に、急に方向を変え、新にもっと速く、細かく、憂わしげな、とぎれのない、またやさしい動きで、未知の目標に向かって、スワンを引きずっていった。それから楽節は姿を消した。スワンは、三たびこれに出会いたいものだと、熱狂的な思いで心に願った。そして事実それはまたあらわれたが、前以上にはっきりと語りかけるわけではなかったし、それが与える官能の喜びはむしろ前より浅いものでさえあった。けれども家に帰ると、彼にはやはりその楽節が必要になった。彼はあたかも、通りがかりにちらりと見かけた女によって、生活のなかに新しい美のイメージを持ちこまれた男のようだった。

プルースト「失はれた時を求めて〜スワン家の方」

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