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2022.01.21「わたしの冬物語」
江戸時代には街を流してあるき、家の中にゐるひとに声をかける、色々な商売があつたそうな。そのひとつに、猫の蚤をとる仕事があつた。
「えェ〜、ねこの蚤とろう〜、ねこの蚤とろう〜」
「ちょいと、うちのタマちゃん、おねがいしますよ」
たのまれると、蚤とり屋は商売モノの毛皮で、さしだされた猫をすっぽり包む。蚤は毛皮の方に移り、清潔な猫ができあがる。
今の猫の飼い主を悩ませるのは、春先の抜け毛だらう。私の場合は加へて、猫にくっ付く泥坊草の種だ。外来種で、正式な名前は、コセンダングサ(小栴檀草)という。うちの猫は近くの空き地で付けてくるらしい。仕方なく、抜け毛に使うブラシや櫛で梳くか、毛皮の代わりにアクリルの布で包んで種を取る。

一昔前子供の頃、年末になると、拝み屋といふ職業のひとがきた。神主に代つて神棚のまえで拝む仕事である。家に来る拝み屋さんは、五十歳前後の、主婦然とした人であつた。神棚の前に正座すると、先ず、「畏み畏み」から始まる祝詞を唱へる。私が中学生の頃までは、毎年来てゐた記憶があるが、その後のことはあまり記憶がない。
拝み屋が来たあとは間もなく、近くの神社でえびす講がひらかれる。昼日中、あれほど激しかつた凩は、日没頃になると嘘のやうに吹き止む。どこか遠くのほうで、豆腐屋のラッパがきこえる。雲一つない空のもと、鋸のやうな家並の地平線に太陽がしずむ。
えびす講には母や他の兄弟は、毎年出掛けるのを常とした。私は混雑を嫌つて、出掛けることはなかつたが、母が持ち帰るお宝は、いつも楽しみにしてゐた。長さ1メートル程の釣竿のやうな細い棒に、紙でできたサイコロや、小判、でんでん太鼓、その他色々なものが糸で吊り下げられ、それらがお互いに触れあつて、カラカラと乾いた音をたてる。その音で遠くからでも、母の帰宅がわかつた。
豆腐屋のラッパの音が、二箇所にふえる。遠くのほうで、下駄の音がする。思ひ出したやうに、吹き残りの風が、微かに窓をコトリと揺らす。今夜は初冬いちばんの冷え込になるだらう。

2022.02.16「森鷗外・空車(むなぐるま)」
石川淳「森鷗外〜傍観者の事業について」
「『空車』は大正五年日記の四月二十三日の条に『空車を艸し畢る』とあるのがそれで、翌月新聞に発表された随筆である。史伝の作品のほうでいえば、今や『澀江抽齋』を終えようとして、ついで『壽阿彌の手紙』をへて『伊澤蘭軒』に至る前である。
わたしは『なかじきり』のことをもっとも精彩ある文字だと書いておいたが、『空車』の風格はさらにその上に位するべきものかも知れない。わたしは今性急に、、もう文句抜きで、この全文をそっくり伝えたい念に駆られる。鷗外随筆の白眉たる文章なのだから、引用がやや長きにわたっても、読者の利益にしかなるまい」

夷齋先生言葉通り前半を引用し、
「余事は措いて『空車』の後半を左に録す。これは前半とはまた格別のもので、一語の注釈をも附け加える要はない」
といふ文章のあとは、後半の引用になる。しかし、ここでは先生に逆らつて、少し縮めることにする。
「わたくしの意中の車は大いなる荷車である。其構造は極めて原始的で、大八車と云ふものに似てゐる。只大きさがこれに数倍してゐる。大八車は人が挽くのにこの車は馬が挽く。此車だつていつも空虚でないことは、言を須たない。わたくしは白山の通りで、この車が洋紙をきん載して王子から来るのに逢ふことがある。しかしさう云ふときには此車はわたくしの目にとまらない。

わたくしはこの車が空車として行くに逢ふ毎に、目迎へてこれを送ることを禁じ得ない。
ー略ー
この車に逢へば、徒歩の人も避ける。騎馬の人も避ける。貴人の馬車も避ける。富豪の自動車も避ける。隊伍をなした士卒も避ける。送葬の行列も避ける。この車の軌道を横るに会へば、電車の車掌と雖も、車を駐めて、忍んでその過ぐるを待たざることを得ない。
そして此車は一の空車に過ぎぬのである。
わたくしはこの空車の行くに逢う毎に、目迎へてこれを送ることを禁じ得ない。わたくしはこの空車が何物をか載せて行けば好いなどとは、かけても思はない。わたくしがこの空車とある物を載せた車とを比較して、優劣を論ぜやうなどと思はぬことも亦言を須たない。縦いその或物がいかに貴き物であるにもせよ」

目迎へてこれを送る鷗外には、空車の載せてゐるものが見えていた。それは運命の力により、各人の担ふドラッジャリーだ。それには権威もない、貴賤も権力もない。
鷗外の目迎へてこれを送る先には、六年後の自分の遺言の文言があつた。

死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ  奈何ナル官憲威力ト雖 此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス 余ハ石見人 森 林太郎トシテ死セント欲ス  宮内省陸軍皆縁故アレドモ 生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヲ辭ス 森 林太郎トシテ死セントス 墓ハ 森 林太郎墓ノ外一字モホル可ラス 宮内省陸軍ノ榮典ハ絶對ニ取リヤメヲ請フ  手續ハソレゾレアルベシ  コレ唯一ノ友人ニ云ヒ殘スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス  大正十一年七月六日

2022.03.20「ほうとする」
若き日を炭焼きくらし、山出でし昨日か、既に 戦ひて死す     折口信夫

山にうまれ、山でそだち、炭焼きくらしてゐた若者は応召をうけ、山を出てはじめて海をみた時、ほうとしたことだらう。若者は自分の運命を見つめ、それを引きうける勁い精神があつた。

現代アートの杉本博司氏も、海を見てほうとするひとだらう。氏の「海景」シリーズは、常世の国の海、ほうとする海である。

「日本古代の神々の姿に思いを巡らす時、わたしは長かった縄文時代を考える。旧石器時代から新石器時代に移行して、それが1万年以上続いたコミュニティーは、世界史上類例を見ない。わたしが世界中を巡った果に至った境地は、日本列島は奇跡的に特殊だという思いだ。地球上にこれほど豊かな自然が育まれ、四季折々に表情を変える、そんな自然がかろうじて遺されている場所は他にはないのだ。文明とは過酷な自然を人間が克服することだ。文明とは森を切り、耕地を作り耕すことだ。縄文人は文明化を意図的に拒んだのだ。なぜなら森には神々がお住いになっていたからだ。森だけではなく水にも風にも、ありとあらゆる自然界の中に神々は住んでいると思えたのだ。森には多種多様な果実が実り、海からは魚介類が獲れた。豊かな自然の中に衣食住が営まれたのだ。森を切ることは神の祟を受けることだった。縄文人に文明化という選択肢はなかった。それよりも神々への祈りがより重要な課題だった。豊穣をもたらしてくれる神々との交信の技術が一万年の間に研ぎ澄まされていったのだ。神の声を聞くこと、それはとりもなおさず自然の声に耳を傾けることだった。日本語の語彙は豊かだ。色については西洋の七色に対して数百はあるだろう。群青、鈍色、草緑、鶯色、朱、碧玉色、藤紫、桃色、辰砂色ー。その他にも風の名前、気配の名前、日本語は特殊なのだ。文明が世界スタンダードとなり、稲作をどうしても受け入れざるを得なくなるまで、この地に住む人々は自然を壊さずに持ちこたえた。しかしついにシナ文明を移入し文字が伝わると、一気に日本的感性は文字化され詩集としての「万葉集」に結実されるのだ。「古事記」「日本書紀」から、かな文字の誕生、そして「源氏物語」に至るまでほんの数百年しか必要とされなかったというのは驚くべき事実だ。世界最初の小説でしかも最高峰の文学が生み出されたのは、一万年に渡る自然との交流のうちに、日本的感性と語彙が育まれていたからだ。
芸術新潮1月号、エッセイ杉本博司「私の内なる神々」

2022.05.03「女性でもなく、聖杯でもなく」
イタリアはミラノの「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」にある、レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画「最後の晩餐」。
キリストは十二使徒のまんなかに居り、目を伏せ、顔をやや左に向けて、なにか言葉を口にしさうにみえる。
遠近法の消失点はキリストの額に設定されてをり、この壁画に揺るぎない骨組を与へてゐる。キリストの右側の女性的にみえる人物はヨハネであるが、両者の間はVの字に大きく開いてゐる。この形が、女性の象徴であつたり、聖杯であつたりといふ想像をふくらませる。また、この空間は、この壁画の些か厳格すぎる遠近法を、心理的に和らげる効果を上げてゐる。さらに言へば、この逆三角形がこの壁画の中心なのだ。

レオナルドほどの聡明な人物が、人間に神を描けると思つてゐたはずがない。ヨハネとキリストとの間は、永遠なるもの、人間の目には決して見ることができないが存在してゐるものの象徴なのだ。

2022.05.20「砂は生きてゐる」
ウクライナといふ国に関しての私の知識は、今のロシアがソ連だつた時、スターリンの政策で、ウクライナ人数百万が餓死した事と、ピアニストのリヒテルの生まれ故郷のある土地だといふことだけだ。リヒテルは言ふ。

「私が生を享けた町ジトミルは今で言うウクライナにありますが、私の生まれた一九一五年にはウクライナは存在せずロシアでした。『小ロシア』です」
此処らへんの歴史的経緯はよく解らないし興味もないが、アタマに「小」と名がつくのは褒められたことにはならないだらう。リヒテルは自分で自分のことを「流浪の民」と称してゐたくらいだから、故郷に特別な思い入れがあるとは思へないが、それでも、ロシアの侵略で、古里が廃墟になつたら残念だらう。幸い今のところジトミルは、爆撃が一度あつただけのやうである。

数ある世界の国旗の中で、日本の国旗がいちばん美しいと思つてゐるが、ウクライナの国旗もなかなかいいじゃないか。下半分が小麦の黃、上半分が空の青。政治的主張皆無で、ウクライナの国土その儘を表した国旗である。ウクライナ人で自国の国旗を嫌う国民はゐないと思ふが、日本には国旗の「日の丸」、国歌の「君が代」に反対し、日本が嫌いな日本人が大勢ゐる。そんなに日本が嫌なら出ていけばいいとこちらは思ふが、決して出ていこうとしない。日本が嫌いでも能力がなく、外国では生活の宛がないからだらう。日本といふ親のスネ噛りするしか能がない連中である。日本を支へる気など一切ない彼らに、一言忠告する。

「何時までもあると思ふな、国と金」

国歌「君が代」の歌詞の中で、「細石の巌となりて」の意味がわからない人もいるだらう。細かい石や砂が、自然と大きくなり、巌になるだらうか、といふ疑問である。尤もだ。しかし此処に易しく疑問を解いた一文がある。下に記す。

「砂なんて、おっかしなもんだなあ」と〈富なあこ〉が云った。
「うう」と〈倉なあこ〉が云った。
「この砂だよ、…こうやってみると、なんでもねえ、ただの砂だ。ただ砂だってだけだ、ほれ、これだけのもんだ、なあ」
「うう」と云って〈倉なあこ〉はあたりを眺めまわした。
「ところがおめえ、これはこんなふうに砂っ粒だけみてえに見えるけれど、これでそうじゃあねえ、これでちゃんと生きているんだぜ」
「まさか」と〈倉なあこ〉が呟いた。
「そう思うだろう、誰でもそう思うんだ。これはこれで生きているし、生きている証拠にはおめえ、絶え間なしに育ってるんだぜ」
「砂が」と〈倉あなこ〉、「育つってかい」
「おうよ」と〈富なあこ〉が云った、「それもただ育つだけじゃねえ、育って大きくなりながら、だんだん川をのぼるんだ、だんだんにな」
〈富なあこ〉は続けた、「海に近えところはこまっけえ砂さ、それが上へのぼるにつれて、砂利になり石ころになり、その石ころがもっと大きくなってるもんだ」
「うう」と〈倉なあこ〉は考えこみ、呟くように云った、「その勘定だな」
「知らねえ者は極楽よ」と〈富なあこ〉は溜息をついた。

山本周五郎「対話〈砂について〉」

2022.07.31「さらばマスコミ」
日本在住のピアニスト、イリーナ・メジューエワさんに「ピアノの名曲」といふ著書がある。そのなかのムソルグスキーの項に、こんな文章があつた。
「ロシア人は精神的なものを非常に大切にしています。人生や死について真剣に考える。いろんなレベルがありますが、ウオッカを飲んで酔っ払っている人も一応考えています」

現在ウクライナを侵略中の、ロシアのプーチン大統領も、ウオッカを飲みながら深く思索したうえで、戦争を遂行してゐるのかもしれない。彼は暗殺された安倍元総理の死に、深い哀悼の意を表してくれた。
世界中で元総理の死に、哀悼の意を表さないのは、中国人と朝鮮人だけである。中国人といへば、モンサンジョン著「リヒテル」に、こんな件があつた。
「そのうえカラヤンは、ふだんの態度も不愉快でした。ある日しゃべっていたときに、何かの拍子に『私はドイツ人なんです』と言ったら、彼はこう答えたんです…『じゃ、私は中国人だ』」

カラヤンの発言の真意は何処にあったのかよく解らないが、良い意味は含まれてゐないだらう。中国人といへば精神性の欠如と民度の低さで有名である。中国人の家来、朝鮮人も同様で本家に負けてはゐない。
シナ・朝鮮の毒饅頭を食らつた、NHK、朝日、毎日を筆頭とする日本のマスコミも、暗殺された元総理の死に大喜びだ。これを国賊、売国奴といふ。
今日本といふ天秤は平衡状態にある。これが180度回つてまた平衡状態となる。同じやうにみえて、別の世界になる。此のとき今のマスコミはすべて消滅するだらう。

2022.10.17「抱瓶」
手を休め、紐で結へた腰の抱瓶を、ぐるりとお腹ほうにまわす。なかのお酒は、わたしの腰で揺られ、わたしの温もりで人肌の圓やかなお燗がついてゐるだらう。これを飲んだ時の、あのひとの嬉しさうな顔をはやくみたい。
両の手でそつと、瓶をおさへてみる。あのひとの胤をやどしたやうな心地よい重さ、温もりだ。
気を取り直して包丁を握る。唐墨の切りわけは、存外むずかしい。厚くても薄くてもいけない。でも、…もう少し。
きのうは、あのひとの情熱の在処を知りたくて、ちょっと悪戯をしてみた。

庭で食卓を飾る花を選んでゐるあのひとに叫ぶ。
〈…ちゃん何処、はやく来て。背中に虫が、はやく早く〉
〈そんな大騒ぎしなくても、なんのこと〉
〈他人事ね、背中に虫がはい回つてるの。ゴキブリだつたらどうしよう。はやく検べてみて〉
わたしはソファの上にうつ伏せになり、Tシャツの裾をすこしもちあげてみせた〉
あのひとは私の背中を手のひらで撫でてから、
〈虫なんかいないけど。気のせいじゃない〉
〈そんな…、冷たいのね。よく検べたの。じゃ、こっちかな〉
わたしは仰向けになり、シャツの裾を乳房のうえまでまくりあげた。
微笑を絶やさない穏やかなあのひとは一変した。眼差しは大きく見開いて怒つたやうに見える。素早く両手首を掴んでわたしを立たせ、わたしを肩に担ぎ上げ、力強い確かな足取りで階段を登つてゆく。

うねるやうな大きな波の中に
響きわたる音の中に
息のかよふ天地万有の中に
溺れ、
沈み、
意識もなく、
この上のない喜び!

Richard Wagner〈Tristan und Isolde〉

2022.12.09「知足安分」
蕪村「北寿老仙を悼む」は以前、安東次男「北寿老仙のわかりにくさ」で、とりあげたことがある。安東先生には「ひぐらし」といふ題名の随筆がある。

「蜩といふ名の裏山をいつも持つ
この句のような環境で私は育った。わが生の瞭なものも、不分明なものも、ともに裏山にある」安東次男

私の実家の庭には小さな池があり、百日紅が水面に枝をひろげてゐた。毎年夏になると蜩が必ずやつてくる。先生作を借用すると、
〈蜩といふ名の池をいつも持つ〉、とでもならうか。
池の端には蹲があり、「知足安分」といふ四文字が彫つてあつた。この四文字の出典がよくわからない。「孔子」だと言ふ説もあり、禅宗の言葉だと言ふ意見もある。意味は「足るを知り、分に安んずる」で、明瞭である。

最近、西尾幹二「不自由への情熱」といふ文章を読んだ。

「あらゆることが許され、開放されている自由な世界では、自由であることこそが最大の不自由である。人は自由によって生きているのでは決してなく、実際には、適度の不自由と制限によって生の安定と統一を得ている。
人間は自由になって、それと同時に限りなく不自由になった。
現代人は幸福の原理を失ったのである。幸福とは制限の中の自足であり、不自由の中の自由である」

制限の中の自足、不自由の中の自由。これこそ「知足安分」そのものである。


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