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2020.01.16「あまく危険な香り」其の二
ひさしぶりに神之池に来て、池畔のボート屋で一艘借りて漕ぎだした。対岸の奥さまのお宅が見る間に小さくなる。こんなに力いつぱい漕いだのは何年ぶりだらうか。ボートを浮御堂の杭に舫ふ。仰向けになり空を見上げると、花粉の兆しか光環がみえる。緩やかな波の動きを全身で感じ、膝を抱えるやうな姿勢で横になつた。睡い、このままで暫く睡らうか。…とその時、頭に何か中るものがある。鳥の糞かそれとも…、薄目を開けたが其の儘でゐると又一つ、頰にあたつて舟底に転げ落ちた。その一件を見ると、金平糖である。子供の悪戯かと思ひ、ピンク色のそれを池に放り投げ、浮御堂を見上げると、欄干に奥さまが凭れてゐた。
〈せっかく高価いものをあげたのに、鯉の餌じゃないのよ、それ…緑寿庵〉
〈奥さま、どうしてここに〉
〈一緒にたべない。こちらにいらっしゃいよ。ほら、わたしの手に掴まつて〉
奥さまの手があたたかい。わたしは難なく回廊の上に降り立つた。
〈偶然ですね〉
〈さうかしら。さういふことにしておきましょうか〉
今朝、神之池にきてボートを借り、此処に至るまでが、奥さまの掌の上の出来事のやうに感じられた。
あの日、奥さまがわたしの背中に頬をおしあてた時、わたしは驚きと喜びと混乱と幾分かの恐怖の只中にあつた。恐怖がわたしを押し留めた。本当は、ふりむいて奥さまを受けいれたかつた。さうすれば、わたしの腹にまきついてゐる晒木綿を、奥さまがするすると解いてくれる。

もうのがれられない。このままながされるしかない。何処に辿り着くか、それさへ奥さま任せで。
〈はい、お口をあけて〉
されるが儘に口をあけ、目を瞑つた。

2020.03.01「あまく危険な香り」其の三
私たちの間に偶さかなどはない。すべては御稜威のはからひだ。

彼が初めてわが家を訪れ、玄関の式台に上がり、自分の履き物を揃へやうと、此方に後姿を見せたとき、私は〈あっ〉と声を上げさうになり、かるい眩暈を覚えた。壁に手をついた私を、主人が怪訝さうに見てゐる。
彼の、男にしては色白で華奢な首筋、その〈ぼんのくぼ〉に目がとまつた時、私の〈あのひと〉が再び現れたと確信した。隠れてはゐても漲る力は外に顕れてゐる。華奢でいて芯があり、しなやかな筋肉は、私を横抱きにして軽々と二階まで運ぶに十分だ。私の瞳がよろこびで輝いてゐたのだらう。一瞬立ち竦んだ彼は、まじまじと私を見つめてゐた。
其れからは私に伏し目がちだつた彼だが、私が彼に後姿を見せると、くいいるやうな彼の視線を感じた。女は背中にも目があるのだ。

十年前、大学の山岳部に所属する〈あのひと〉は、天候の急変で山の尾根から滑落し、唯ひとり谷底に三日三晩横たはつてゐた。
どんなに寒かつたらう、寂しかつたらう、ひもじかつたらう。私は側にゐてあげたかつた。御稜威は私から〈あのひと〉を引き裂いた。

御稜威よ、私たちに何故さう酷い仕打ちをする。何故さう急いで死を貪る。孰れ私は〈あのひと〉を御稜威の影のもとへ送りとどけるつもりだつた。〈あのひと〉を私の膝を枕にして寝かせ、口に含んだ莫児比涅を、口うつしに与へ、残りを私が飲みほせば、御稜威の許へ二人して行くことが出来たものを。

〈あのひと〉とつきあい初めて間もない深夜、外でするどい口笛が聞こえた。二階の窓から下をのぞくと、バイクに乗つた〈あのひと〉の姿が黒黒としてみえる。うなじとサンダル履きの素足が、夜目にも白い。

〈こんなに寒いのに、素足なの?〉
〈そんなことよりこれ、預かつて。持つてゐるとヤバイんだ〉

と、渡されたのが、濃藍色の莫児比涅の壜だ。〈あのひと〉は数百年続いてゐる老舗の薬屋のひとり息子だつた。今も壜は私の化粧台の引き出しに、化粧品と紛れるやうにして潜んでゐる。これから、私たちに何がおきやうとこわくない。
やうやく私は満たされやうとしてゐる。彼が〈あのひと〉になるのも、あと少しの辛抱だ。

小竹葉に 打つや霰の たしだしに
率寝てむ後は 人は離ゆとも 愛しと
さ寝しさ寝てば 刈薦の
乱れば乱れ さ寝しさ寝て

2020.04.03「白檀の小扇」
偶然にたちよつたクレモナの教会で、品の良い、見知らぬ老人から声をかけられた。私が答へると…。

老人〈…さうですか、長野から遙遙こちらへ。昔話ですが、親の経営する会社に勤めてゐた長野の女性と、理無い仲になりまして、何もかも捨てて長野でその女性と一緒に暮らす約束をしたのです。
この教会が約束の日の、約束の場所でした。でも、その約束は果たされることはなかつた。お金持ちの坊ちゃんの生活しか知らない私には、先行きのわからない将来への不安に、耐へることが出来なかつた。その後、彼女は会社を退職し、ひとり故郷へと帰りました。
後悔しても、あの日には帰れない。だがどうしても、あのひとに謝りたい。たとへ、許されなくとも…せめて今の私に出来ることがあれば。私も歳をとりました。ご覧のやうな身体では長野への旅など出来るはずもない。
初めてお目にかかる貴方に、勝手なお願いであることは、重々承知してゐます。長野の…といふ町で、その女性を探しだし、これを渡しては頂けませんか〉

私〈さうですか、私に出来ることであれば、お力になりましょう〉

老人〈有り難うございます。よろしくお願いします。この中には、あの日彼女に渡す筈だつた婚約の品がはいつてゐます。どうか、これを彼女に〉

小筺を預かつた私は、長野県の…町で女性の居場所を探し当てた。

〈はい、…なら私の祖母ですが、既に他界しております。さうですか、祖母にそんなことが…全く存じませんでした。若い頃、大きな会社で働いてゐたことは聞いてゐましたが、そんな事があつたなんて。ただ祖母よりクレモナから…といふ人が来られたらお渡しするやうにと、手紙を預かつてゐます。間違ひなく、その御老人に宛てたものだと思ひます。どうか私に替りお渡し下さい。それと、お持ちいただいた品ですが、私が受けとるわけにもいきません。クレモナに立ち寄る折があれば、手紙とあわせて御老人にお返し下さい〉

私は手紙を受けとつた。宛名に〈忘れ難きあなへ〉とある。後日連絡を取り、クレモナの教会で老人と会ふことにした。

老人〈さうですか、既にあの人は…。すみません…この歳になって、こんな気持になるなんて。いろいろ有り難うございました。お礼代りと言つてはなんですが、その筺はそのままお持ちください。中の品は、貴方が心にかけてゐる方がいらしたら、その方に差し上げてください。お気に召すかわかりませんが〉

私は老人の頰を濡らすものを見て、小筺を受けとつた。後日、筺から何やら良い香りがするので開けてみると、繊細な細工を施した白檀の小扇がはいつてゐた。

ベイウインドウ

此所は念願叶つて滞在してゐる、シーランチ・コンドミニアムのNO.9、ムーアの別荘だ。青いクッションの置かれた窓際のベンチで横になり、月明かりの海を眺めてゐるうちに夢をみていたやうだ。それにしても…、クレモナには縁のない私が、どうしてあんな夢を。さうだ…、夢のなかの筺にはいつてゐた扇だが、こういふ詩を知つてゐる。津村信夫の詩だ。この詩の小扇も白檀にちがいない。

小扇  
     ー嘗つてはミルキイ・ウエイと呼ばれし少女にー

指呼すれば、國境はひとすぢの白い流れ。
高原を走る夏期電車の窓で、
貴女は小さな扇をひらいた。

2020.05.07「幸福の相貌」
随分と前、室生犀星〈我が愛する詩人の傅記〉を読み、初めて津村信夫の名を知つた。津村信夫の条で彼の作品はいくつか引用されてゐるが、なかでも父親を題材とした詩における、父親と彼との関係は、つよく私を惹きつける。

父を喪つた冬が
あの冬の寒さが
また 私に還つてくる

父の書斎を片づけて
大きな写真を飾つた
兄と二人で
父の遺物を
洋服を分けあつたが
ポケットの紛悦は
そのままにして置いた


詩人の辻征夫がこんな指摘をしてゐる。

〈津村が近代以後の詩人群の中で際立っているのはその「幸福の相貌」においてであり、いわば幸福ということがこの詩人の素質であり才能だった〉

津村信夫の〈幸福の相貌〉とは何か。それを探るべく、あらためて〈我が愛する詩人の傅記〉を読み返してみる。

「信夫の詩に父をうたい、父を見詰めた作品が多い。父を見ること、父をうたうことは小説家の場合は、大ていその作家の出世作か処女作になっている。〈略〉
津村信夫は偉い父をあいしていた。偉い法学博士の秀松さんはこの次男坊のために、就職口を捜してやり、次男坊信夫は就職先をいつの間にか無断で辞職して、詩や小説というものを書いて、秀松博士を唖然とさせたが、しまいには秀松博士は暮らしの金を与えて好きな事をさせていた。次男坊は詩というものを書いて、とうとう半人前から一人前になり、一人前からすぐれた詩人にかぞえられ、その詩の中で父というものの肖像画を何枚も描いて、そうして三十六歳でいちはやく死んでいた。かれはこの世に笑いと詩をのこし、愛妻昌子と、一女初枝とに何やら普段からたくさんの笑い話を言いのこして行った」

この文章を読む自分の眼が、これらの活字を殆ど愛撫してゐるのに私は気づく。
もう瞭だらう。幸福の相貌とは、この國の芸術家、詩人、文士にはめずらしい、父と子の幸福な関係にあつた。

津村信夫・明治四十二年神戸に生まれ、昭和十二年に結婚。十六年、長女誕生。昭和十九年、鎌倉にて没。

2020.07.03「錬金術」
吉田秀和「やさしい名曲、懐かしい歌、の中には、こうして歌詞なんかどうでもよく、音楽だけが風のように、香りのように、そこにいたというだけで充分なものが少なくない」

いつも、なんの脈絡もなく、風のやうに、なにかのメロディーが頭のなかで鳴つてゐる。
〈メリーウイドウ〉のワルツも勿論だ。初めて聴いたのは小學六年生のときだつた。家には手回し蓄音機や電蓄もあつたが、レコードなどは普通の子供に買へる値段ではない。専らNHKのラヂオが貴重な音源であり、クラシック音楽入門の音楽番組で、数多くの名曲を紹介してゐた。〈胡桃割り人形〉の〈花のワルツ〉で、クラリネットのソロがはじまると、今でも瞼の裏が、あかるいオレンジ色の色彩に彩られる。〈金平糖の踊り〉では、チェレスタの繊細であえかな音色に魅せられた。

スビャトスラフ・リヒテルが〈メリー・ウィドウ〉について語つてゐる。辛辣で、核心をついた意見だが、嫌いではないらしい。

「〈メリー・ウィドウ〉は空疎さそのものによって卓越している。すべては戯れであり、魅惑であり、軽みであり、ウィーン風の優雅さにほかならない。どこかしら錬金術を思わせるところがある。無から、空から、宝石が生じている」

私にしても、浮世のことを暫し忘れてゐられるなら、この宝石を手にとつてみたい。たとへふれた一瞬、煙と消えさろうとも。

2020.08.15「必滅にして不滅」
アンドレ・マルロー〈反回想録〉
〈伊勢神宮は過去を持たない。二十年毎に建て直す故に。且つ又、其れは現在でもない。苟も千五百年このかた前身を模し続けてきた故に。人の手によつて制覇された永遠であり、時の奥底から来たり、人の運命と同じく必滅ながら、往年の日本と同じく不滅なのだ。神宮は杉の巨木のかたちづくる大聖堂の、祭壇にしてサンクチュアリ。ただし、西洋の大聖堂の円柱は、穹窿の暗がりへと消え、これらの杉の大木は祭壇を讃美するのだ。日本の祖先。太陽への捧げもの。光箭の葉ごもりへと掻き消えたる、果てしなきその垂直軸を以て〉

古殿地、新御敷地の小さな小屋は、以前の正宮の御正殿があつた場所である。次の遷宮には新たに御正殿が、この小屋の上に建つ。その中には新御柱が埋つてゐる。
新御敷地の玉砂利が敷き詰められた中心にある小屋に、凝然と佇む。砂利は夏の日ざかりを浴びて光を照り返す。寂寞たる小屋は、一切のものの源泉。即ち、必滅にして不滅、この國の過去であり、未来でもある。

2020.09.01「シューマンが好き」
テレビで「アルゲリッチ・私こそ音楽!」といふドキュメンタリー作品を見た。家族にかこまれた彼女は女王蜂のやうでもあり、大きな子供のやうでもあつた。おそらく、その両方なのだらう。
序でに、「およそ女流ピアニストにショパンが弾けようとは思えぬ」といふのが持論だつた五味康祐を思ひ出した。五味が亡くなつた直後に出版された「人間の死にざま」に、彼のアルゲリッチ評が書かれてゐる。
文化会館における、アルゲリッチの演奏を、FM放送で聴いた五味康祐は、

「ギスギスした才女、かなりそれも甘やかされた温室育ちの、技巧ばかり早熟なお嬢さん芸」

と、あっさり切り捨ててゐる。五味はアルゲリッチを生で聴いたことがなかつたのではないか。いずれにせよ、アルゲリッチを評価するには、彼は短命にすぎた。

ドキュメンタリーのなかで、興味深い会話があつた。
「シューマンが好き。ベートーベンもだけど、やはりシューマンね。モーツァルトやシューベルトとは違う。むずかしい関係ね。特にシューベルトは何というか、直に何かを感じるのはシューマンね。
何かって?さあ、何というか、私の心の奥に、じかに触れてくる感情。魂のうごきというか、すごく自然に、突然に現れるの。何というか、常に…、音楽は聴くもので説明するものじゃないわ。音楽は感じるもの、説明できる?言葉を超えたものよ」

最後に、青柳いづみこ「ピアニストが見たピアニスト」から、
「私はシューマンとうまく行くわ、とアルゲリッチは言う。シューマンはきっと私のことが好きに違いないわ、と。ほんとうにそうかなぁ。シューマンはクララですら持て余していたのに、アルゲリッチがやってきたらパニックを起こしたのではないだろうか、と少し心配になってしまう」

2020.09.28「シューマンはいかが」
シューマンの作品には〈私小説〉ならぬ〈私音楽〉とよぶほかない、インティメイトなものがあり、それをよく体現してゐる作品に〈トロイメライ〉がある。彼と他の作曲家を隔てる夢見ごこちの、憧憬にみちた浮遊感は、この曲の人気の秘密だらう。作曲家のプフィッツナーは説く。

「このような旋律に接するとき、人々は全く中空に浮遊するのである。人々はそれを認めることはできても、それを論証することはできない」

秀和先生はシューマンの音楽を、密室的告白といふ。

「私はシューマンを、それまでの音楽家が考えもしなかった、ある種の精神の内奥での出来事を音を通じて表出しようとした、特異な音楽家と考えているので、…〈略〉
シューマンの音楽が、となりのラジオとか、何処からか大きな音で聞こえてくるなどというのは耐え難い」

アルゲリッチを斬り捨てた康祐先生は、彼女の好きなシューマンにも極めて手厳しい。五味康祐著「天の聲」〜 17「音楽にある死」より

「私は曲趣を一貫する倫理性を欲するものだ。悪漢ワグナーにさえそれは儼としてあり、多くの人に憎まれ社会通念に背き続けた背徳者のネガティブな倫理観というべきものがワグナー楽劇の底流に血を奔いて流れている。私はその意志の勁さに感動する。シューマンにはないものだ。意志薄弱な人間の、私同様な甘さがあるだけだ。シューマンがつよい意志で生きるのはあのライン川に身を投じる時だろう。紛れもなくその時甘い男はどっと倫理の血を迸らせた。精神錯乱ではない、最も正気なモラリストとしてーこう言っていいならリアリストになって、彼は死を選ぶのである。だが遅すぎたのだ」

エルネスティーネとの結婚が成就しないとなると、すぐさまクララに求婚する軽薄さに、康祐先生はシューマンの倫理性の欠如をみる。そこが我慢ならないらしい。

「〈ユモレスク〉に、クララがよくアンコールに使ったという〈花の曲〉に、あるいはきわめて叙情的なその歌曲の幾つかに聴き惚れることはある。だがこう言ってよいなら片々たる美にすぎない」

シューマンには上記の曲の他に、〈片々たる美〉は沢山ある。康祐先生は、案外シューマンが好きだつたのではないか。とうに魂の世界に落ち着いて、アルゲリッチのピアノで〈クライスレリアーナ〉を聴いてゐるかもしれない。

2020.11.01「真相はこうだ?」
ベートーヴェン:トリプル・コンチェルト
オイストラフ(Vn)/ロストロポーヴィチ(Vc)/リヒテル(p)/カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、録音1969年。

数々の賞に耀いたこの録音に関して、リヒテルが面白い証言をしてゐる。

「この録音は、悪夢のようでした。カラヤンとロストロポーヴィチの陣営と、オイストラフと私の陣営とが、対立しました。ロストロポーヴィチは、カラヤンの要求することなら何でも、唯々諾々とやってのけました。カラヤンのこの作品の捉え方は表面的で、明らかに誤っていました。第2楽章のテンポが遅すぎ、勿体ぶって、音楽の自然な流れを止めてしまいます。オイストラフも私も好みませんでした。しかしロストロポーヴィチは変節し、チェロが全面に出ようとしました。しかし、結局チェロが演じるべきであったのは、端役に過ぎないのです。カラヤンには私達が不満なことが、よく分かっていました。彼は何故だろうと自問していました。ある時点でカラヤンが、録音は終わりだと言いました。私はもう一回補足録音をしてくれとたのみました。
『いやいや、もう時間がない。写真を撮らなければならないから』
という返答でした。大切なのはそれだったんです。写真ですよ。しかも何と胸のムカつく写真でしょう。カラヤンは格好をつけ、我々三人は馬鹿みたいに、にっこり笑っています」

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上掲のCDジャケットを見れば、なるほど、「格好をつけた」カラヤンの後に、笑顔の三人がゐる。

偶々この場に遭遇した日本人がゐた。秀和先生の著書より。

「私の知人がある時用事で、カラヤンにどうしても会わなければならぬというので、録音の行われているベルリンのイエズス教会に行った。録音の休みに出てきたカラヤンは、常人とは思えない興奮ぶりで、そこにいた人々に大声で喚いたなり、さっさとスタジオに戻っていってしまった。この知人はドイツ語が分からないので、そばの人に聞いてみると、その日は、オイストラフ、リヒテル、ロストロポーヴィチと、ソ連の三巨匠を相手に、ベートーヴェンの三重協奏曲を録音している最中なのだが、ソリストと彼の意見がどうしても合わず、いつまでも侃々諤々、傍のものはただ、はらはらするだけで、手のつけようがないという有様だった。『いや、もう用件どころじゃない。散々でした。なんでも、ロストロポーヴィチが仲に入り、話をまとめようとしているらしいのですが』と、彼は私に話していた」

「ロストロポーヴィチは、カラヤンの要求することなら何でも、唯々諾々とやってのけた」、といふより、カラヤンとは元々ウマが合うのだらう。この二人には、ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」といふ希代の名盤がある。

2020.12.01「You don't have to worry」
古来日本では、男女、公私、身分の上下を問わず、和歌がコミュニケーションの手段であつた。翻つて、十七世紀ヨーロッパに於いては、恋人同士を繋ぐ、和歌と同じやうな、洗練された手段はなかつた。尼僧マリアネ・アルカフォラダよ、可哀想に…。
わが國では、短歌の伝統は連綿として途絶へない。今年の「河野祐子短歌賞」の受賞作が11月16日付で発表された。

河野裕子賞 家族の歌・愛の歌
草原に五歳の君をよびだして遊ばう大人の君に内緒で
埼玉県狭山市 永塚貞(69)

河野裕子賞 自由題
受理された退職届前髪は春風を受け春風を抜け
大阪市鶴見区 野呂裕樹(33)

河野裕子賞 青春の歌(中学生)
「うるさい」とそばにいる友笑うけど君がいないと私は静か
大阪府藤井寺市立第三中学校 上水遙夏(14)

河野裕子賞 青春の歌(高校生)
掲示板「中止」が目立つ紙一枚夏祭り無き夏が始まる
東京・学習院女子高等科 高橋憧子(18)

どれも、のど越しが良く、口当たり良く、上手い。それらが美点であり、憾みでもある。

私は、家族の歌・愛の歌部門、受賞作の「草原に五歳の君をよびだして遊ばう大人の君に内緒で」が気にかかる。この作品については、選者の意見もさまざまである。
母親が5歳の頃の子供と遊びたいという、切ない感じ。
好きな人の子供の頃に会ってみたいという、恋愛の歌。
今はもう相手にしてもらえない母親の寂しさ。

歌を〈読む〉ことは、歌を〈詠む〉こと。
私は〈五歳の君〉は、五歳だつた自分だと思ふ。私は過去に遡って、五歳の自分を自分で守る。君を苦しめてゐた全てのことから。So,you don't have to worry.

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