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2020.01.16「あまく危険な香り」其の二 もうのがれられない。このままながされるしかない。何処に辿り着くか、それさへ奥さま任せで。 2020.03.01「あまく危険な香り」其の三 彼が初めてわが家を訪れ、玄関の式台に上がり、自分の履き物を揃へやうと、此方に後姿を見せたとき、私は〈あっ〉と声を上げさうになり、かるい眩暈を覚えた。壁に手をついた私を、主人が怪訝さうに見てゐる。 十年前、大学の山岳部に所属する〈あのひと〉は、天候の急変で山の尾根から滑落し、唯ひとり谷底に三日三晩横たはつてゐた。 御稜威よ、私たちに何故さう酷い仕打ちをする。何故さう急いで死を貪る。孰れ私は〈あのひと〉を御稜威の影のもとへ送りとどけるつもりだつた。〈あのひと〉を私の膝を枕にして寝かせ、口に含んだ莫児比涅を、口うつしに与へ、残りを私が飲みほせば、御稜威の許へ二人して行くことが出来たものを。 〈あのひと〉とつきあい初めて間もない深夜、外でするどい口笛が聞こえた。二階の窓から下をのぞくと、バイクに乗つた〈あのひと〉の姿が黒黒としてみえる。うなじとサンダル履きの素足が、夜目にも白い。 〈こんなに寒いのに、素足なの?〉 と、渡されたのが、濃藍色の莫児比涅の壜だ。〈あのひと〉は数百年続いてゐる老舗の薬屋のひとり息子だつた。今も壜は私の化粧台の引き出しに、化粧品と紛れるやうにして潜んでゐる。これから、私たちに何がおきやうとこわくない。 小竹葉に 打つや霰の たしだしに 2020.04.03「白檀の小扇」 老人〈…さうですか、長野から遙遙こちらへ。昔話ですが、親の経営する会社に勤めてゐた長野の女性と、理無い仲になりまして、何もかも捨てて長野でその女性と一緒に暮らす約束をしたのです。 私〈さうですか、私に出来ることであれば、お力になりましょう〉 老人〈有り難うございます。よろしくお願いします。この中には、あの日彼女に渡す筈だつた婚約の品がはいつてゐます。どうか、これを彼女に〉 小筺を預かつた私は、長野県の…町で女性の居場所を探し当てた。 〈はい、…なら私の祖母ですが、既に他界しております。さうですか、祖母にそんなことが…全く存じませんでした。若い頃、大きな会社で働いてゐたことは聞いてゐましたが、そんな事があつたなんて。ただ祖母よりクレモナから…といふ人が来られたらお渡しするやうにと、手紙を預かつてゐます。間違ひなく、その御老人に宛てたものだと思ひます。どうか私に替りお渡し下さい。それと、お持ちいただいた品ですが、私が受けとるわけにもいきません。クレモナに立ち寄る折があれば、手紙とあわせて御老人にお返し下さい〉 私は手紙を受けとつた。宛名に〈忘れ難きあなへ〉とある。後日連絡を取り、クレモナの教会で老人と会ふことにした。 老人〈さうですか、既にあの人は…。すみません…この歳になって、こんな気持になるなんて。いろいろ有り難うございました。お礼代りと言つてはなんですが、その筺はそのままお持ちください。中の品は、貴方が心にかけてゐる方がいらしたら、その方に差し上げてください。お気に召すかわかりませんが〉 私は老人の頰を濡らすものを見て、小筺を受けとつた。後日、筺から何やら良い香りがするので開けてみると、繊細な細工を施した白檀の小扇がはいつてゐた。 此所は念願叶つて滞在してゐる、シーランチ・コンドミニアムのNO.9、ムーアの別荘だ。青いクッションの置かれた窓際のベンチで横になり、月明かりの海を眺めてゐるうちに夢をみていたやうだ。それにしても…、クレモナには縁のない私が、どうしてあんな夢を。さうだ…、夢のなかの筺にはいつてゐた扇だが、こういふ詩を知つてゐる。津村信夫の詩だ。この詩の小扇も白檀にちがいない。 小扇 指呼すれば、國境はひとすぢの白い流れ。 2020.05.07「幸福の相貌」 父を喪つた冬が 父の書斎を片づけて
〈津村が近代以後の詩人群の中で際立っているのはその「幸福の相貌」においてであり、いわば幸福ということがこの詩人の素質であり才能だった〉 津村信夫の〈幸福の相貌〉とは何か。それを探るべく、あらためて〈我が愛する詩人の傅記〉を読み返してみる。 「信夫の詩に父をうたい、父を見詰めた作品が多い。父を見ること、父をうたうことは小説家の場合は、大ていその作家の出世作か処女作になっている。〈略〉 この文章を読む自分の眼が、これらの活字を殆ど愛撫してゐるのに私は気づく。 津村信夫・明治四十二年神戸に生まれ、昭和十二年に結婚。十六年、長女誕生。昭和十九年、鎌倉にて没。 2020.07.03「錬金術」 いつも、なんの脈絡もなく、風のやうに、なにかのメロディーが頭のなかで鳴つてゐる。 スビャトスラフ・リヒテルが〈メリー・ウィドウ〉について語つてゐる。辛辣で、核心をついた意見だが、嫌いではないらしい。 「〈メリー・ウィドウ〉は空疎さそのものによって卓越している。すべては戯れであり、魅惑であり、軽みであり、ウィーン風の優雅さにほかならない。どこかしら錬金術を思わせるところがある。無から、空から、宝石が生じている」 私にしても、浮世のことを暫し忘れてゐられるなら、この宝石を手にとつてみたい。たとへふれた一瞬、煙と消えさろうとも。 2020.08.15「必滅にして不滅」 古殿地、新御敷地の小さな小屋は、以前の正宮の御正殿があつた場所である。次の遷宮には新たに御正殿が、この小屋の上に建つ。その中には新御柱が埋つてゐる。 2020.09.01「シューマンが好き」 「ギスギスした才女、かなりそれも甘やかされた温室育ちの、技巧ばかり早熟なお嬢さん芸」 と、あっさり切り捨ててゐる。五味はアルゲリッチを生で聴いたことがなかつたのではないか。いずれにせよ、アルゲリッチを評価するには、彼は短命にすぎた。 ドキュメンタリーのなかで、興味深い会話があつた。 最後に、青柳いづみこ「ピアニストが見たピアニスト」から、 2020.09.28「シューマンはいかが」 「このような旋律に接するとき、人々は全く中空に浮遊するのである。人々はそれを認めることはできても、それを論証することはできない」 秀和先生はシューマンの音楽を、密室的告白といふ。 「私はシューマンを、それまでの音楽家が考えもしなかった、ある種の精神の内奥での出来事を音を通じて表出しようとした、特異な音楽家と考えているので、…〈略〉 アルゲリッチを斬り捨てた康祐先生は、彼女の好きなシューマンにも極めて手厳しい。五味康祐著「天の聲」〜 17「音楽にある死」より 「私は曲趣を一貫する倫理性を欲するものだ。悪漢ワグナーにさえそれは儼としてあり、多くの人に憎まれ社会通念に背き続けた背徳者のネガティブな倫理観というべきものがワグナー楽劇の底流に血を奔いて流れている。私はその意志の勁さに感動する。シューマンにはないものだ。意志薄弱な人間の、私同様な甘さがあるだけだ。シューマンがつよい意志で生きるのはあのライン川に身を投じる時だろう。紛れもなくその時甘い男はどっと倫理の血を迸らせた。精神錯乱ではない、最も正気なモラリストとしてーこう言っていいならリアリストになって、彼は死を選ぶのである。だが遅すぎたのだ」 エルネスティーネとの結婚が成就しないとなると、すぐさまクララに求婚する軽薄さに、康祐先生はシューマンの倫理性の欠如をみる。そこが我慢ならないらしい。 「〈ユモレスク〉に、クララがよくアンコールに使ったという〈花の曲〉に、あるいはきわめて叙情的なその歌曲の幾つかに聴き惚れることはある。だがこう言ってよいなら片々たる美にすぎない」 シューマンには上記の曲の他に、〈片々たる美〉は沢山ある。康祐先生は、案外シューマンが好きだつたのではないか。とうに魂の世界に落ち着いて、アルゲリッチのピアノで〈クライスレリアーナ〉を聴いてゐるかもしれない。 2020.11.01「真相はこうだ?」 数々の賞に耀いたこの録音に関して、リヒテルが面白い証言をしてゐる。 「この録音は、悪夢のようでした。カラヤンとロストロポーヴィチの陣営と、オイストラフと私の陣営とが、対立しました。ロストロポーヴィチは、カラヤンの要求することなら何でも、唯々諾々とやってのけました。カラヤンのこの作品の捉え方は表面的で、明らかに誤っていました。第2楽章のテンポが遅すぎ、勿体ぶって、音楽の自然な流れを止めてしまいます。オイストラフも私も好みませんでした。しかしロストロポーヴィチは変節し、チェロが全面に出ようとしました。しかし、結局チェロが演じるべきであったのは、端役に過ぎないのです。カラヤンには私達が不満なことが、よく分かっていました。彼は何故だろうと自問していました。ある時点でカラヤンが、録音は終わりだと言いました。私はもう一回補足録音をしてくれとたのみました。 上掲のCDジャケットを見れば、なるほど、「格好をつけた」カラヤンの後に、笑顔の三人がゐる。 偶々この場に遭遇した日本人がゐた。秀和先生の著書より。 「私の知人がある時用事で、カラヤンにどうしても会わなければならぬというので、録音の行われているベルリンのイエズス教会に行った。録音の休みに出てきたカラヤンは、常人とは思えない興奮ぶりで、そこにいた人々に大声で喚いたなり、さっさとスタジオに戻っていってしまった。この知人はドイツ語が分からないので、そばの人に聞いてみると、その日は、オイストラフ、リヒテル、ロストロポーヴィチと、ソ連の三巨匠を相手に、ベートーヴェンの三重協奏曲を録音している最中なのだが、ソリストと彼の意見がどうしても合わず、いつまでも侃々諤々、傍のものはただ、はらはらするだけで、手のつけようがないという有様だった。『いや、もう用件どころじゃない。散々でした。なんでも、ロストロポーヴィチが仲に入り、話をまとめようとしているらしいのですが』と、彼は私に話していた」 「ロストロポーヴィチは、カラヤンの要求することなら何でも、唯々諾々とやってのけた」、といふより、カラヤンとは元々ウマが合うのだらう。この二人には、ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」といふ希代の名盤がある。 2020.12.01「You don't have to worry」 河野裕子賞 家族の歌・愛の歌 河野裕子賞 自由題 河野裕子賞 青春の歌(中学生) 河野裕子賞 青春の歌(高校生) どれも、のど越しが良く、口当たり良く、上手い。それらが美点であり、憾みでもある。 私は、家族の歌・愛の歌部門、受賞作の「草原に五歳の君をよびだして遊ばう大人の君に内緒で」が気にかかる。この作品については、選者の意見もさまざまである。 歌を〈読む〉ことは、歌を〈詠む〉こと。 |