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2019.02.05「未生以前、誕生、死」
…といふわけで、死んだ人は皆、天国や極楽へ行つてしまふ。かうなると地獄は苦しいです。青鬼は栄養失調でますます青くなり、赤鬼なんぞ色が褪せて、樺色になり、虎の皮の褌は生活費の足しに売り飛ばし、代りにメリヤスの猿股をはいている。鉄棒はとっくに金に換へた。竹の棒なら軽いし、それをついて彷徨いてゐるから、鬼だかヨイヨイだかわからない。
このままでは地獄は衰退の一途をたどる。たまらず閻魔大王が、三途の川の正塚の婆さん、懸衣の爺さんに、客の呼び込みをするやうに指令をだした。その閻魔さまも、大切にしてゐた浄玻璃の鏡を、昨日古物商に買い取らせたばかり。

〈さあ、いらっしゃい、いらっっしゃい、此方の地獄へいらっしゃい。え?…いや、いや、昔の地獄とは違いますよ。針の山はエレベーター設置済み。血の池は全面改装して、ローマの泉を模した噴水が綺麗ですよ。茶店を始めた奪衣婆の娘が十八歳でいィ〜い女だよ〉声を涸らして客寄せをしても、誰も地獄など来やしない。

落語の「お血脈」なら、このあと石川五右衛門の登場となる。

誰しも未生以前があり、この世に生を受け、命の終りを迎へる。私は自分の死を怖いとは思つてゐないが、少しばかりの不安はある。それは経験したことがないからだらう。モーツァルトだつて、手紙にかう書いてゐる。
〈死は確かに人生の最終の目的なので、数年来私は、人間の最良の友である死に親しむことを、自分の務めだと思っています。そのためか、私はこの友のことを思い出しても、別に怖くはなく、むしろ大きな慰めと安らぎを覚えているのです〉

私は自分が毎晩眠りに就くことと、自分が死ぬことの間に、大きな違ひがあるとは思へない。

2019.02.28「The Fool On The Hill」
五十年前の懐かしいアウラが、ふたつの瞳がこちらを見つめてゐた。

これは夢かうつつか。…虚空も掴む思ひでゐると、ふたつのアウラはぼんやりときえていつた。目が覚め、暗闇のなかで仰向けになつてゐると、胸の真ん中がほっこりと温かい。言葉は交わさずとも、ふたつの瞳がすべてを語つてゐた。

嘗て、私たちは〈F町〉に住んでゐた。天気がよく風の穏やかな日には、遊園地へ行く。向かいあはせに観覧車のゴンドラに乗る。私たちは目を閉じ、ゴンドラがゆつくりと上昇し、ここが頂点だと感じたら、二人は目をあける。この一瞬があはなかつたことは、一度もなかつた。
おそらく誰も信じないだらうが、事実だから書く。ゴンドラが頂点を通過するときは時間の経過が遅くなるのである。この現象は、相対性理論では説明できない。好奇心の強いあなたに、念のためお断りしておくが、遊園地は今では閉園となり、観覧車はない。

The fool on the hill
Sees the sun going down

今、私は独りで〈F町〉の北、〈S町〉の高台に住んでゐる。ふたつの町の間には、珠川が流れ、ベランダで為すこともなく夕日の沈むのを眺めてゐることがある。とくに思ひを致してゐることもない。いまの自分は、…ヒカルさんの歌詞に近い。

多くは望まない 神様おねがい
代わり映えしない明日をください

2019.04.23「あまく危険な香り」
会社の休日に、上司の家に招かれた私は、先ず二階の居間に通された。南側のフレンチドアが大きく開け放たれてゐる。
〈素晴らしいロケーションですね。想像してゐた以上です、部長〉
ベランダのすぐ下は庭で、フェンスを境にレンガ敷きの歩道。それから緑地があり、木立が心地良い。木の間隠れに、野池が左から右まで一望のもとにある。
私たちが居間のソファに身を沈め、奥様がお茶を供されたところで、部長の携帯が鳴った。
〈はい、私です。はい、いや、こういふ仕事では、休みも何も、…それではこれから家を出ますんで、四十分位でそちらに伺へます〉
クライアントからの、呼び出しらしい。
〈私は出かけるけど、ゆっくりしていきなさい。晩飯でもごちそうするから〉

奥様と二人だけになつた私は、居間の壁に、オフセット版画の杉本博司作品が掛けられてゐるのに気づいた。空があり、海がある。ただそれだけの画面が見るものを引きつける。空と海のあはひは、普通なら水平線とよばれてゐるが、しかし…。暫くぼんやり考えてゐると、背後から奥様の声がした。
〈お気に召した?それ、新築祝いにって、頂いたものなの〉
〈いい作品ですね。この部屋によく調和してゐます〉
〈その画、わたしにはよくわからないけど。あなたがお好きなら、わたしも好きになれそう〉
私はなお、画面を見つめてゐると、背中にふっと、あたたかい気配を感じ、強い力で抱きしめられた。
〈上背のわりに、ずいぶん細いのね。女のわたしでも、持ちあがりそう〉
持ち上げる様子はなく、私を抱きしめる力が一段と強くなる。
あの、小柄で品があり、おっとりとした話しかたをする女性が…。驚き、恐怖、混乱が一度に襲つてきた。尊敬し、恩義のある部長を裏切ることはできない。また、奥様を傷つけることもできない。

その時、神様が降りてきた。私は瞬時に行動した。
〈ウエストが細すぎて、ワイシャツが似合はないので、こんな工夫をしてゐるんです〉
私はベルトを緩め、シャツをたくし上げた。
〈あら、これからお祭りにでも行きそうな雰囲気ね。晒木綿て清潔感があって、いいじゃない〉
私はどうやら、危機を脱したらしい。

〈お茶が冷めてしまつたやうね。入れ替へましょうか〉
奥様はお盆に茶碗を載せ、何事もなかつたかのやうに、階段を下りていつた。

二度と振り向くことは出来ない
あまく危険な香りよ

2019.06.02「NOW'S THE TIME」
「こういう絵を人間の生きた手が造りだしたのだと思うと、不思議に力が湧いてくる。知的で、平明で、明るく、なんの躊いもなく日常的なものへの信仰を歌っている」
洲之内徹「絵の中の散歩〜〈海老原喜之助・ポアソニエール〉」

この〈ポアソニエール〉といふ絵は、洲之内の「帰りたい風景〜〈青い、小さな、スーッとするような絵〉」にもでてくる。〈スーッとする〉とは、洲之内の文章に登場するKさんの、〈ポワソニエール〉をみた印象である。
〈絵のなかの散歩〉に載つてゐるカラー図版を見る。壁に掛けても少しも自己主張せず、時々見やるとこちらの頭が〈スーッ〉とするかもしれない。この絵は掛ける場所を選ぶ。和室で壁はやや暗めの聚楽壁。それ以外の壁に掛けてはならない。
ところで、見て〈スーッとするような絵〉があるなら、聞くと〈スーッとするような音楽〉があつてもいい。だが、これが以外に難問だつた。

珠川の岸辺の蘆が生い茂つた場所で、乾いた地面を探し、仰向けに寝て空を見上げると、突然気がついた。クラシック音楽以外なら、沢山有りそうだ。例えば山下達郎と、まりやの歌ならいいかもしれない。あの歌、この歌と考へていると…、そのうちに寝こんでしまつたらしい。

〈Hey! Listen Hey!〉
五月蝿く呼びかける声で目がさめた。
〈誰だと思つたら、ナビィか。何をしにこの世界に〉
〈こんなとこで昼寝して、おまけにウワゴトまで〉
〈ウワゴトじゃない。まりやの《戻っておいで、私の時間》を、ハミングしてゐただけだ。おまへこそ、ハイラルを留守にして、なぜここにゐるんだ〉
〈あんた、ハイラルには、ずいぶんとご無沙汰ね。ちょっと様子を見にきたの。カカリコ村の連中も心配してゐるよ〉
〈それはそうと、おまへがここに現れたといふことは、ハイラルとこの世との抜け道があるはずだ。教えてくれよ〉
〈それは無理。ハイラルへ行き、自分でさがすしかないよ〉
〈あれだけ探して見つからなかつたのに、それがオレに言ふセリフかい〉
〈Hey! Listen ! 魂の世界に行けば、どこでも好きなところへ行けるよ。もちろんハイラルにも。あんたも夢からさめて《手をのばせばそこに 自分の時間が始まる》はずだよ〉
〈そうか、NOW'S THE TIME だね〉
〈そろそろ帰らなくちゃ。それじゃ、ハイラルで待つてるよ〉

ポワソニエール ポワソニエール

2019.07.05「踏花同惜少年春」
十代の頃、友人と二人で同級生の家を訪ねたことがある。三人で何を話したかはまるで記憶に無いが、気がつくとだいぶ長い間おじゃましてゐたらしい。もう帰る時間かな、と思つてゐると、友人のお母様が声をかけてくださった。
〈今日はお菜がたくさんあるの。夕飯たべていかない〉
私たちは丁重にお断りして友人の家を辞した。友人のお母様のひと言が、いつまでも、ほつこりと胸を温めてくれた。傍の土手をのぼると、春。

〈花を踏んでは同じく惜しむ少年の春〉 

桜の木はなかつたけれど、土手ののり面はたんぽぽの花で埋め尽くされてゐた。

〈たんぽゝ花咲けり三ゝ五ゝ五ゝは黄に〉
〈憐みとる蒲公 茎短して乳をあませり〉 春風馬堤曲  蕪村

あの時のたんぽぽの花で、たんぽぽのお酒をつくつてゐたら、…黄金色の液体を小さなグラスに注ぎ口に含むと、友人のお母様の声が聞こえる。あの時の、土手の上の春が甦る。其れはそれでいいとしても、やるかたなき思ひに、自分は耐へられるだらうか。同じ場所、同じ時に春を惜しんだ友は、もういないのだ。

たんぽぽの語源は諸説あるが、私は小児語説を採りたい。
レイ・ブラッドベリ〈たんぽぽのお酒・Dandelion Wine〉の、たんぽぽのお酒の作り方は、摘んだタンポポの花を同量のお湯で煮出し、それを圧搾機に入れ、とれた搾り汁に酵母を加え、発酵させるといふ方法。私は来春、やつてみるつもりだ。

2019.08.04「千九百四十五年八月十五日」
小林秀雄
僕は政治的には無知な一国民として事変に処した。黙つて処した。それについていまは何の後悔もしてゐない。この大戦争は一部の無知と野心から起こつたのか、それさへなければ起らなかつたのか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然といふものを、もつと恐ろしいものと考へてゐる。僕は無知だから反省などしない。

日の経つにつれて、日本人の演じた悲劇の運命的性格、精神史的な顔が明らかになつて行くであらう。若しさう言ふことが起こらなければ、日本の文化にはもう命はないであらう。
日本は単に文明の遅れた国ではない。長い間西洋と隔絶して、独特の知恵を育てて来た国である。たゞ文明が遅れてゐたといふ目出度いことであつたなら、あんな悲劇が起こつた筈はない。これは、敗戦後引き続き私を襲い私を苦しめてゐる考えだ。

戦争がたゞ一政治的事件として反省されるには、冷たい理知で事足りるであらうが、私達が演じた大きな悲劇として自覚されるには強い直感と想像力を要する。悲劇とは単なる失敗でもなければ、過誤でもないのだ。それは人間の生きてゆく苦しみだ。悲劇は、私達があたかも進んで悲劇を欲するかの如く現れるからこそ悲劇なのである。

天皇の問題も単なる政治問題ではないだらう。それは単なる政治的制度ではないからだ。日本国民といふ有機体の個性だ。生きてゐる個性だ。不合理だからやめるといふわけには参らぬ。日本国民がもし強いなら、天皇を生かすだらう。

谷沢永一
「天皇制」といふ言葉はもともと日本にはない言葉であります。この言葉をはじめて使つたのは千九百二十二年(大正十一年)十一月二十二日、コミンテルンが日本の労働者階級に呼びかけた次のやうな挨拶でありました。
「武力干渉と天皇制の政府とに対する日本の広範な労働者大衆の益々高まりゆく憤激の結果であつた」
このソ連のコミンテルンといふのは、世界共産主義革命の実現を目的とする共産主義者の国際組織であり、日本に対しては天皇を否定し"制度"にして解体することを目論んでゐました。
この「天皇制」といふ言葉はソ連共産党が指導して、世界革命を目指すコミンテルンによる造語であり、共産主義の天皇抹消の闘争目標である「天皇制打倒」、「天皇制廃止」と言ひきる時に使はれた言葉であり、天皇陛下を罵り、辱しめ、貶め、いやしめ、憎むための言葉であります。
天皇陛下は制度によつてゐるものでもなく、機構に属してゐるものでもありません。我が日本の国体そのものであります。故に「天皇制」といふ呼称は事実に即してゐない間違いであります。

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