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2018.02.06「ワーグナー〈ジークフリート牧歌〉」 2018.03.15「水の惑星から砂の惑星を想ふ」 今から45年前、1973年10月第四次中東戦争が勃発した。これを機にアラブ産油国が原油の減産と大幅な値上げを行い、全世界は深刻なオイルショックに見舞われた。 2018.04.26「音楽は色彩と律動」 「印象主義の絵画からドビュッシーが重要な影響を受けたという証拠はなにも無い。作曲家の思惑に反して、ドビュッシー=印象主義のレッテルは、1901年10月、管弦楽のための〈夜想曲〉が初演されるころには、すっかり定着してしまう。確かに、色彩や光を音の響き、線や輪廓を旋律、構図を構成…等と置き換えれば、現象面ではドビュッシー音楽を印象派の絵画と関連させて論じることは可能だろう。しかし、技法上の類似と美学的な意味は違う。少なくとも美学的には、ドビュッシーは印象派の影響を何も受けていない」 青柳いづみこ 1984年、日本の伝統的な家屋に興味のあるリヒテルの希望により、蕉雨園で招待客だけの演奏会が催された。現在はディスクが発売されてゐる。 〈水に映る影〉を聴くとき、モネの睡蓮の画のイメージがうかぶ。ドビュッシーの音楽を、印象派といふステレオタイプで聴いたことは無いけれど、オランジュリー美術館の睡蓮の間でこの曲を聴いたら、画と音楽の相互作用で、素晴らしい時を過ごせるだらう。 ドビュッシー 2018.05.22「いつの日にか、われ去り逝くとき」 「『人間を深く愛する神ありて もしもの言はゞ、われの如けむ』 一見不遜の歌に見えるかもしれない。だが、ひとを深く愛するのは日本の神の本性である。人間を深く愛する神があって、もしものを言ったならば、私がいうとおりの言をいうだろうと歌ったのは、不遜でも思いあがりでもない」岡野弘彦 武満徹は作曲する前に、七十二番のコラールの旋律をピアノで弾いてゐた。 いつの日にか われ去り逝くとき われをば離れ去りたまふな われ死に面するとき 汝立ち出でて わが盾となりたまへ 恐怖と不安の闇 わが心を囲み閉ざさんとするとき われをこの淵より引き出したまへ 汝の嘗めつくせし不安と責め苦のゆへもて 2018.08.17「It Had to Be You」 先日こんな夢をみた。 一でなし、二でなし、三でなし、四でなし、五でなし、ロクでなし…と、七でなし、八でなし。九でなし、十でなし、十一、十二、十三、十四、これ止まらないよ…誰か止めてくれ。 そうだ。私はロクでなしだ。 症状の変化をあまく見て、病人を見舞はず仕事をしてゐたあいだに、あなたはあちら側へいつてしまつた。でも、せめて夢のなかででも逢ひたいと冀ふことはなかつた。何れ逢へるだらう。さうであるなら、自分があちら側へいくことはたのしみでもある。 一でなし、二でなし、三でなし、四でなし、五でなし、… 誰かたすけてくれなゐか 2018.10.03「皇紀二千六百年」 にっぽんの詩人ならざるイエーツは涸井に一羽の鷹を栖ましめぬ 葛原妙子 日本政府は皇紀二千六百年〈昭和十五年〉の祝典を催すに際しての音楽を、数カ国の作曲家に依頼した。その中のひとりがベンジャミン・ブリテンだつた。彼は〈シンフォニア・ダ・レクイエム〉といふタイトルの作品を作曲し、日本政府に提出した。政府は祝典に相応しくないと判断し、受け取りを拒否した。作曲料は支払つたやうである。 神道はおそらく、縄文時代に起源をもち、それが皇統につながつた。日本書紀によると、皇紀元年は神武天皇即位の年、西暦紀元前六百六十年。即位の年には、疑問が残るが、何も根拠のない夢物語ではない。キリストの生誕日も諸説ある。 大君は 神といまして、神ながら 思ほしなげくことの かしこさ 折口信夫 人間である天皇は、それにもかかわらず神としていらっしゃって、神さながらに心を悩ましなげかれることの、おそれ多いことだ。 折口信夫伝 2018.12.08 「jamais plus」 マルロー〈日本への証言〉 人類史上に現れては消えていった文明の上に打克ち難く鳴りひびく、〈二度とふたたび〉の声にたいして、一見、仇敵かとみえる作品すべてに共通のプレザンスが、その壮大な謎を突きつけるのであります。有史前の夜からエジプトを出現せしめたところの権力から、もはや残るものとてはなにもありません。しかしながら、そのようなエジプト人からそのいくたの彫像を出現させた力だけは、シャルトル、奈良の巨匠たちの声、またレンブラントの声と同じように高く、いまなお私たちに語りかけてやまないのです。なるほど、これらの彫像の作者と私たちの間には、共通の愛の感情もなければ死の感情さえないかもしれません。いや、おそらく彼らの作品を見る見方さえも共通ではないかもしれません。しかしながら、そのような作品を前にして、五千年間ものあいだ、忘れられていた未知の一彫刻家の音声が、母性愛の音声におとらず、興亡をかさねる諸帝国をつらぬいて不壊のものとして私たちの耳に鳴りひびくということが重要なのであります。 千九百七十四年、アンドレ・マルロー七十二歳の砌、朝日講堂に於ける講演。 |