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2018.02.06「ワーグナー〈ジークフリート牧歌〉」
子供時代の夏休みも中日は時が止まつたやうで、此の夏の朝の心持を申しますのは、夢をお話しするやうで、何とも口へ出しては言へません。木の間隠れの日の光は、部屋いつぱいに滴り落ちるやう。
愛と平和の〈ジークフリート牧歌〉がきこえます。そのほかは、何うでせう、此のしんとして寂しいことは。何為か、心細く、つたなき身が水になつて、溶けていきさうで涙が出ます、涙だつて、悲しいんぢやありません。然うかと言つて嬉しいんでもありません。
夏休みにはじめて手にした釣り竿の先の、いのちの震え、…驚きと恐怖に竿を放り出したとき、わたしは〈よたか〉になつたのです。

2018.03.15「水の惑星から砂の惑星を想ふ」
フランク・ハーバート〈デューン/砂の惑星〉の再映画化が、昨年二月に決定された。その後の経緯はわからない。順調に計画が進められてゐると思ひたい。

今から45年前、1973年10月第四次中東戦争が勃発した。これを機にアラブ産油国が原油の減産と大幅な値上げを行い、全世界は深刻なオイルショックに見舞われた。
米国で1965年出版の〈デューン/砂の惑星〉の日本語訳を私が読んだ年が、1973年の夏。中東戦争とそれに続くオイルショック直前といつていい。作品の読後感でこれらの出来事を観察すると、中東の砂漠は砂の惑星アラキスに思へ、砂漠のベドウィンと聞くと、アラキスの砂漠の自由民フレメンを連想した。さらに、〈アラキス〉にだけ生成される〈メランジ〉…稀少な香料…全宇宙垂涎の的。原油…貴重な産物…全世界にとって必須なもの。
物質的には別物であるこの両者は、必須のもの、必要不可欠なものといふ性格で一致する。新訳も出版されたことでもあり、未読の向きは一度手にしてみたらいかが。

2018.04.26「音楽は色彩と律動」
マラルメ
倦怠により その綠の中に冰れる冷かなる水
幾たびか またいく時か 數數の夢に悶えて
底知れぬ鏡の淵の氷の下に沈みたる

「印象主義の絵画からドビュッシーが重要な影響を受けたという証拠はなにも無い。作曲家の思惑に反して、ドビュッシー=印象主義のレッテルは、1901年10月、管弦楽のための〈夜想曲〉が初演されるころには、すっかり定着してしまう。確かに、色彩や光を音の響き、線や輪廓を旋律、構図を構成…等と置き換えれば、現象面ではドビュッシー音楽を印象派の絵画と関連させて論じることは可能だろう。しかし、技法上の類似と美学的な意味は違う。少なくとも美学的には、ドビュッシーは印象派の影響を何も受けていない」 青柳いづみこ

1984年、日本の伝統的な家屋に興味のあるリヒテルの希望により、蕉雨園で招待客だけの演奏会が催された。現在はディスクが発売されてゐる。
「Private Recital at Shou-en in Tokyo 1984〈幻の東京リサイタル〉」
ハイドンのピアノソナタ二曲、ドビュッシーの前奏曲集第1巻より10曲〈亜麻色の髪の乙女、ミンストレルをのぞく〉
アンコールに、映像第1集より、水に映る影

〈水に映る影〉を聴くとき、モネの睡蓮の画のイメージがうかぶ。ドビュッシーの音楽を、印象派といふステレオタイプで聴いたことは無いけれど、オランジュリー美術館の睡蓮の間でこの曲を聴いたら、画と音楽の相互作用で、素晴らしい時を過ごせるだらう。

ドビュッシー
私はますます、音楽とは色彩と律動する時間であると確信するようになった。

2018.05.22「いつの日にか、われ去り逝くとき」
マタイ受難曲を聴きながら、五味康祐は自分をイエスになぞらへた。マタイ受難曲を聴く人はみな神を持つ。私も神を感じる。それは〈イエス〉ではなく、折口信夫の〈神〉に近い。

「『人間を深く愛する神ありて もしもの言はゞ、われの如けむ』

一見不遜の歌に見えるかもしれない。だが、ひとを深く愛するのは日本の神の本性である。人間を深く愛する神があって、もしものを言ったならば、私がいうとおりの言をいうだろうと歌ったのは、不遜でも思いあがりでもない」岡野弘彦

武満徹は作曲する前に、七十二番のコラールの旋律をピアノで弾いてゐた。

いつの日にか われ去り逝くとき われをば離れ去りたまふな われ死に面するとき 汝立ち出でて わが盾となりたまへ 恐怖と不安の闇 わが心を囲み閉ざさんとするとき われをこの淵より引き出したまへ 汝の嘗めつくせし不安と責め苦のゆへもて

2018.08.17「It Had to Be You」
昨夜こんな夢を見た。
私がデュバルから預かつたライターをとり出し、移送の列に並ぶ彼に高く掲げたのを見たランディは、胸ポケットから取りだしたチョコバーを、デュバルのほうへ大きくふつて別れの挨拶とした。直情と率直さそのままに。ランディ、…おまへはいいやつだつた。
時間だ、帰らねばと思ひ、となりを見ると彼の姿がない、…と、ここで目が覚めた。君たちのことは忘れない。

先日こんな夢をみた。
死に別れたひとがゐる。そのことは忘れたことがないが、今まで一度も私の夢にあらわれたことはなかつた。先日、そのひとの夢をみた。五十年の時を隔ててそのひとの夢をみた。
そのことがあつてから時々、窓をきっちり閉めた車に乗り込み、走り出してから大声でうたう。

一でなし、二でなし、三でなし、四でなし、五でなし、ロクでなし…と、七でなし、八でなし。九でなし、十でなし、十一、十二、十三、十四、これ止まらないよ…誰か止めてくれ。

そうだ。私はロクでなしだ。

症状の変化をあまく見て、病人を見舞はず仕事をしてゐたあいだに、あなたはあちら側へいつてしまつた。でも、せめて夢のなかででも逢ひたいと冀ふことはなかつた。何れ逢へるだらう。さうであるなら、自分があちら側へいくことはたのしみでもある。

一でなし、二でなし、三でなし、四でなし、五でなし、…

誰かたすけてくれなゐか

2018.10.03「皇紀二千六百年」
私は〈カーリュー・リバー〉を、CDで聴いたが、よく理解できなかつた。おそらく〈能〉と同じに、舞台公演を観ないことには、評価はできないと思ふ。でも、リヒテルが惚れ込んだ作品なのだから、傑作なのだらう。この作品は、これも、能舞台の橋懸りに触発されたかどうか解らないが、下に示した特殊な形状の舞台装置の上で、演じられ、演奏される。同じく日本の〈能〉に影響をうけた作品には、ノーベル賞作家イェーツの〈鷹の井戸〉がある。

にっぽんの詩人ならざるイエーツは涸井に一羽の鷹を栖ましめぬ 葛原妙子

日本政府は皇紀二千六百年〈昭和十五年〉の祝典を催すに際しての音楽を、数カ国の作曲家に依頼した。その中のひとりがベンジャミン・ブリテンだつた。彼は〈シンフォニア・ダ・レクイエム〉といふタイトルの作品を作曲し、日本政府に提出した。政府は祝典に相応しくないと判断し、受け取りを拒否した。作曲料は支払つたやうである。

神道はおそらく、縄文時代に起源をもち、それが皇統につながつた。日本書紀によると、皇紀元年は神武天皇即位の年、西暦紀元前六百六十年。即位の年には、疑問が残るが、何も根拠のない夢物語ではない。キリストの生誕日も諸説ある。
皇統は日本の背骨である。それが存続する限り、日本の国体は辛うじて担保されるだらう。戦後の混乱期に、日本が共産化を免れたのは、昭和天皇の存在が大きい。〈神=God〉だとすれば、嘗て天皇は神であつたことはなく、現在でも神ではない。

大君は 神といまして、神ながら 思ほしなげくことの かしこさ 折口信夫

人間である天皇は、それにもかかわらず神としていらっしゃって、神さながらに心を悩ましなげかれることの、おそれ多いことだ。 折口信夫伝

舞台

2018.12.08 「jamais plus」

マルロー〈日本への証言〉
〈日本とは、日本それ自体の国であって、そっくりそれを受け入れるか拒否する以外はないものである。また〈日本とは、連綿たる一個の超越性である〉とも断言してみせた。
したがつて、日本には〈触れるなかれ、なお近寄れ〉

人類史上に現れては消えていった文明の上に打克ち難く鳴りひびく、〈二度とふたたび〉の声にたいして、一見、仇敵かとみえる作品すべてに共通のプレザンスが、その壮大な謎を突きつけるのであります。有史前の夜からエジプトを出現せしめたところの権力から、もはや残るものとてはなにもありません。しかしながら、そのようなエジプト人からそのいくたの彫像を出現させた力だけは、シャルトル、奈良の巨匠たちの声、またレンブラントの声と同じように高く、いまなお私たちに語りかけてやまないのです。なるほど、これらの彫像の作者と私たちの間には、共通の愛の感情もなければ死の感情さえないかもしれません。いや、おそらく彼らの作品を見る見方さえも共通ではないかもしれません。しかしながら、そのような作品を前にして、五千年間ものあいだ、忘れられていた未知の一彫刻家の音声が、母性愛の音声におとらず、興亡をかさねる諸帝国をつらぬいて不壊のものとして私たちの耳に鳴りひびくということが重要なのであります。

千九百七十四年、アンドレ・マルロー七十二歳の砌、朝日講堂に於ける講演。

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