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2015.01.12「二本の糸」
昨年の暮に、アニメ「風立ちぬ」をみた。予想はしてゐたが失望した。宮崎さんは飛行機が好きなのだらう。少年の心でプロペラ機が好きなのだらう。過去には「紅の豚」という作品もある。しかし敗戦国日本の戦闘機である零戦をとりあげたのは無謀だつた。

私が小学五年生の頃、旧日本陸海軍軍用機を網羅した一冊の本を持つてゐた。戦闘機、爆撃機はもとより、輸送機、練習機、試作機に至るまで、ほとんどすべての軍用機が、正確な三面図で掲載され、それに詳しい解説が付いてゐた。この本で私は、零戦の設計を担当した堀越二郎の名を知つた。アニメに出てくる「沈頭鋲」もこの本で知つた。層流翼、翼面荷重、アスペクト比などの専門用語も他にいろいろ憶えたが、あらかた忘れてしまった。
堀越は日本とアメリカの国力のちがいを考へた。そして自分達の力で、少しでもその差をちぢめようとした。その努力の成果が零戦である。

〈零戦〉・・・日本の国力と米国の国力のあいだに張られた一本の糸
〈風立ちぬ〉・・・生と死のあいだに張られた一本の糸

この二本の糸をより合わせて、新にひとつのものを創り出そうとする宮崎監督の試みは、成功しなかつた。これが戦争に負けたといふことなのだらう。日本への二度の原爆投下、一夜にして十万人を焼き殺した東京大空襲。これらの事実が、人道に対する罪と呼ばれるやうになる日まで、われわれはこの屈辱に耐へねばならない。

2015.03.16「百万坪今昔」
東京の駒込に下宿してゐたとき、隣室の男に誘はれて千葉の浦安に行つたことがある。彼は一週間に一度、浦安町へ行き、中学生の家庭教師をしてゐた。
連れだつて総武線にのり、市川あたりで降車して、バスに乗りかへた記憶がある。当時の浦安町は東京から近くて遠い町であつた。町に着いても用事のない私は、のんびりと歩いて時間をつぶした。見るべきものは何にもない町のやうに思へた。東京へ帰るまへに、近所の食堂で食事をしてゐると、先客の、二人連れの女性の視線を感じた。それは健康で旺盛な好奇心だつたのだらう。しかし私は少しばかり恐怖心を感じ、そちらを見返すことができなかった。当時の浦安は、釣り客以外の他所者の立ち寄るやうな観光地ではなかつたのである。
山本周五郎の、浦安が舞台になつてゐる作品「青べか物語」を読んだのは、その時から二〜三年後である。小説を読んだあとは、わざわざ浦安まで行つて、何も見てゐなかつた自分がなさけなかつた。私も見たはずの、物語のなかの「沖の百万坪」は埋め立てられ、御存知の通り東京ディズニーランドになつてゐる。

2015.04.22「ナスの夢」
小噺をひとつ
「大きいナスの夢見たつて言うけど、どれくれえ大きいんだ。この長屋くれえか」、「もっと大きい」、「この町内くれえか」、「もっと大きい」、「どのくれえ大きいんでえ、一体」、「暗闇にヘタをつけたくれえの・・・」五代目志ん生
存在すると想定されてゐるが、正体がよくわからない暗黒物質とは、この暗闇にヘタをつけたやうなナスのことだらう。夢をみるなら、これくらいスケールの大きい夢をみたいものである。

私が近頃よく見る夢は、先に旅立つていつた猫たちの姿である。マグロの角切りを前に、期待とよろこびに満ちた、きらきらひかる瞳である。猫たちの先祖は、北アフリカのリビアから出て、はるばると遠いこの島国日本まできてくれた。その労に報いるに、時々マグロをごちそうするくらいはなんでもない。でも、いつまでも私の夢枕から去らないのは、死んだことに気づかずに、道に迷つてゐるのではないかと心配になる。
そうだとしたら、バウムレンにつかつた〈深きねむりの粉〉が要るだらうか。ラパン会長に頼んだら、わけてくれるだらうか。猫たちに粉をまいたら、〈あなたに会へたといふそれだけで、まこと幸せな人生であつた〉と云つてくれるだらうか。
明け方にみるあさき夢は果てしない。

2015.06.02「目黒のさんま」
ペギー・リーとジョージ・シアリングのアルバム「Beauty and tne Beat !」のLP盤は、久しく私の愛聴盤であつた。あるときネットでCD盤の存在を知り即座に購入し、オーディオ装置にかけて出た音をきいて愕然とした。ライヴに伴う「雑音」が、きれいに取り除かれてゐたのである。このアルバムの録音された場所は、全米のディスクジョッキーが集合した会場であつた。演奏の途中、曲の合間合間には盛大な拍手、歓声、口笛が飛び交い、煙草の煙にかすんだ会場が目に見えるやうである。それらが雑音とは感じられず、むしろ演奏をもり立ててゐる。それらの「ノイズ」が、このCD盤では完璧に取り除かれてゐた。私は一曲目の「DO I LOVE YOU ?」を聴いただけでディスクを取り出すとひとりごとを言つた。これでは落語の「目黒のさんま」じゃないか。

私の一番好きな噺家は五代目志ん生だが、志ん生のディスクから聞へる寄席の客の拍手や笑い声も落語のうちだらう。興味のある人には、五代目古今亭志ん生名演大全集第八巻「天狗裁き」を聴いていただきたい。ひとりの女性客の笑い声がとてもいい。大きい声だが美しく品があり、ーーこれは是非聞いてもらうしかない。二十歳前後の若い女性と思ふが、解説に昭和三十六年頃の録音とあるから、存命ならもういいおばあさんになつてゐるだらう。この笑い声を聴くだけで、第八巻を買う価値があると思ふ。落語とは「人間の業の肯定」などいいふ難しい意見もあるけれど、志ん生さんによると「小噺が、〈はな〉なんですな、それが長くなつて、一つの噺にまとまつたといふ」あるいは「落語とは、洒落がかたまつたようなもの」ださうだ。

2015.06.21「音楽家プルースト」
プルーストは真の音楽家だつた。彼はワーグナーの音楽、わけても〈パルジファル〉を好んでゐた。ジャン・ジャック=ナティエ「音楽家プルースト」によると、「失はれた時を求めて」にでてくる音楽家名は、ワーグナーが三十五回、次いで二十五回のベートーヴェン、十三回のドビュッシー。なぜかショパンの名がないが、別の資料によると二十九回。「失はれたとき」執筆時の世紀末、ワーグナーの影にかくれ、ショパンは流行遅れとされてゐた。作中ではショパンより、フランクやサン=サーンス、フォレの音楽の方が重要な役割をはたしている。プルーストのショパン評。「行動の狂熱に捉えられているときでさえ、あくまでおのが内面に閉じこもろうとする病的な調子を捨てようとしない」
ショパン再評価は千九百十年頃まで待たねばならない。

ジョージ・ペインター「マルセル・プルースト」より
「彼は、その頃評判のプーレ四重奏団の演奏に感心し、深夜、彼の有名なコルク張りの部屋の中で、ベッドに横になり、たった一人で、フォレのピアノ四重奏曲、モーツアルト、ラヴェル、シューマンの四重奏曲、ベートーヴェンの晩年の四重奏曲、フランクのヴァイオリンソナタを演奏させた」

ヴァントゥイユの〈ソナタ〉や、〈七重奏曲〉は、これらの曲のコンプレックスなのだらう。今回はこの問題をテーマにするつもりだつたが、ついに果せなかつた。私は自分の根気のなさに、自分で呆れてゐる。

2015.07.29「桐の花」
この二冊の本の装丁はよく似てゐる。左が変形判「堀辰雄全集」、右が菊判「立原道造全集」である。実際、堀辰雄、立原道造は兄弟、或いは師弟のやうな間柄であつた。全六巻「堀辰雄全集」は、新潮社から昭和三十三年出版され、全六巻「立原道造全集」は、角川書店から昭和四十六年から、四十八年にかけて出版されてゐる。両者がこれ程似てゐるのは、偶然とはおもへない。二冊の本の監修者に、二人に共通した知人、友人がゐたのだらう。
この二人が愛した軽井沢には、私も三、四日滞在したことがある。昔のことで記憶もおぼろだが、暑い日も木陰に入るとたちまち汗がひいた。青空と強い日射、黝い木陰と乾いた空気は、よく憶えてゐる。
ここでで本棚から、堀多恵子編「堀辰雄 妻への手紙」をとりだし、拾い読みをしてゐると、以下の条があつた。

「六月四日(夕方)附 〔信濃追分油屋より〕
日がさしたとおもつたら、それもほんの束の間、また霧が巻いてきた。分去のところまで歩いてきたが相變らず淋しいことだ。一本、桐の花がぽつかり咲いてゐた」

これを読んで、私が行つた時も、朝晩霧がまいてゐたのを思ひ出した。また軽井沢へ行こうと思つて、果たせずゐるうちに数十年が過ぎ、すべては霧の彼方である。
全六巻「堀辰雄全集」には、奥付に検印がある。「妻への手紙」にも検印がある。同じ印影である。多恵子夫人が、一枚一枚たぶん、押されたものだらうか。

2015.08.26「プルーストを、これから読もうとしてゐる人に」
「プルーストに嫉妬を覚えさせるほど有名になっていたにもかかわらず、ラヴェルは金持ちとは程遠かった。千九百二十年代半ばに彼の知名度がピークに達した時も、彼が作曲で得ていた収入は、現代に換算して年間三万ドルにすぎなかったという」
B・イヴリー「モーリス・ラヴェル」

この本が上梓された二千年頃の、円・ドルレートで計算すると、三万ドルは三百三十万円に相当する。ラヴェルは演奏会、その他で収入を補うほかなかつた。しかし彼の遺産相続人は、高額の棚ぼたを受けとることになる。

「モーリス・ラヴェルはフランスで最も有名な作曲家である。〈中略〉ラヴェルの相続人らのもとには、毎年一千万から一千二百万フランが転がり込み、ラヴェル作品の著作権料は、それが公のものになる二千十二年まで支払われる」
フランからユーロに切り替る直前のレート、一フラン=二十円で計算すると、一千万フランは、二億円になる。

プルーストを愛読するリヒテルも、演奏会や録音で入る収入を、政府にかなりな割合で天引きされて、金持ちとは程遠かつた。彼を招聘する日本側では、減らされる収入を何らかの形で補おうとするうごきもあつたと聞く。リヒテルから貴重なアドバイス。

「いいかい、プルーストはむさぼり読んではいけない。一度にたくさん読むな。こつを教えてやろう。何回かに分けて、本当にゆっくり読むんだ」ユーリ・ボリソフ「リヒテルは語る」

2015.10.03「These Foolish Things」
リッピングした音楽ファイルをすべて、ソニーのHDDプレイヤーにコピーした。この機種はプリメインアンプ機能もあるから、スピーカーをつなげばそれで完了。リモコンはiPad。これでスイッチのON、OFF、選曲、音量も自由自在。画面をスワイプし、目的の音楽に辿り着く前に、おや、このアルバムはしばらく聴いてゐなかつたと、より道することもある。
先日、ハンプトン・ホーズの演奏を聴いてゐて、「These foolish things」が始まつた時、あるつよい思ひにとらわれた。それは、悲哀というほかない感情であつた。

二十代のとき、中村真一郎「建礼門院右京大夫」を読んで、建礼門院につよく惹かれた。私は京都へ行こうと思つた。京都に着くとすぐ大原の寂光院をたづねた。行つたことに間違いはないが、そこから記憶があいまいになる。わらわれるのを承知で正直に書くと、どうやら私は、建礼門院の霊にとりつかれたやうなのである。京都には一週間ほど滞在したが、あちこちの場所や、建物の記憶の断片があるだけで、まとまつた筋書きがなく、彷徨して渡月橋の袂に辿り着いた。そこで偶然隣りあわせになつた、ひとのよさそうな中年の女性に、大福餅をすすめられた。私は無愛想にことわつたやうな気がする。こんなささいなことが、今の私に悲哀のやうな感情をひきおこす。だが、あの京都旅行は、現実にあつたことなのか。それとも夢だつたのか。

今や夢昔やゆめとまよはれていかにおもへどうつゝとぞなき

2015.11.20「朝顔の縹の色の彼方かな」
今年の夏は朝顔を植ゑた。やや藍がかつた縹色の花弁をのぞんだが、すこし及ばなかつた。縹色は男女の仲のやうに、移ろひやすいもののたとへにつかふ。

石川のこまびとに
帯をとられて辛き悔する
如何なる
如何なる帯ぞ
縹の色の中は絶えへたる
かやるか やるか
中は絶へたり

〈どれがいい〉と女は言つた。
〈どれつて…〉私は女の視線を辿つた。刃物の専門店だ。青白く光る刃物が、出刃が、柳刃が、並んでゐる。
〈どれか好きなので、あなたを刺してあげる〉
〈柳刃にしてくれる〉私は女の横顔を見た。
〈それなら名人が鍛えた業物がいいわね〉
よく切れる柳刃なら、痛みも少ないだらう。間違いなく出血死できるだらう。女の気が済むなら、それでもいい。
〈…でもやめとくわ。そのかわり裏切つた罪を、一生背負ひ続けることね〉

その刃物店は当時と変らぬ店構へで、今でも営業してゐるいふ。

2015.12.20「於母影」
九月に亡くなつた原節子の追悼番組「秋日和」を今月九日にみた。五十五年前に制作されたこの映画は、戦後の混乱もやうやく落ち着きを取り戻した、心地よい日だまりのやうな時が流れ、逝きし世の記憶にみちてゐる。この映画の主役は、登場人物の美しい言葉遣い、立ち居振る舞いだらう。

来年は武満徹没後二十年になる。
千九百九十六年二月二十日に、武満徹が亡くなり、同年二月二十六日に、追悼番組としてNHKで「映像詩 系図」の制作風景と、完成作の放映があつた。映像が美しい。谷川俊太郎の詩がいい。遠野凪子の素人くさい語りがいい。曲がいい。ことに最後にアコーディオンが奏でるメロディは、私には昭和へのオマージュに聞える。この番組の再放送を望む。

武満徹「系図ー若い人たちのための音楽詩ー〈語りとオーケストラのための〉」
1.むかしむかし 2.おじいちゃん 3.おばあちゃん 4.おとうさん 5.おかあさん 6.とおく

以前、〈とおく〉を作品にしたが、他の曲も画にしてみたい。

'95 サイトウ・キネン・フェスティバル松本 プログラムより 武満徹
「〈Family Tree〉で私が意図したのは、この作品を聴いて下さる方や、特に若い人が、人間社会の核になるべき家族の中から、外の世界と自由に対話することが可能な、真の自己というものの存在について少しでも考えてもらえたら、ということでした。そして、それを可能にするのは愛でしかないと思います」

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