神々の夢のなごり

月の光のしずかにすべりゆくとき、想ひがすべてのうへに在るとき、我が目には波はうなばらと映らず、森は樹々のあつまりとはみえず、天空をかざるは雲にあらず、峪や丘はもはや地のおきふしとはみえず、うつし世はうたかたの如、すべては神々のみたまふ夢のなごりなり。 シェーンベルク : Gurre-Lieder

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神やぶれたまはず 長谷川三千子「神やぶれたまはず」  gallery 15

身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて  昭和天皇御製

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2019.08.04「千九百四十五年八月十五日」
小林秀雄
僕は政治的には無知な一国民として事変に処した。黙つて処した。それについていまは何の後悔もしてゐない。この大戦争は一部の無知と野心から起こつたのか、それさへなければ起らなかつたのか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然といふものを、もつと恐ろしいものと考へてゐる。僕は無知だから反省などしない。

日の経つにつれて、日本人の演じた悲劇の運命的性格、精神史的な顔が明らかになつて行くであらう。若しさう言ふことが起こらなければ、日本の文化にはもう命はないであらう。
日本は単に文明の遅れた国ではない。長い間西洋と隔絶して、独特の知恵を育てて来た国である。たゞ文明が遅れてゐたといふ目出度いことであつたなら、あんな悲劇が起こつた筈はない。これは、敗戦後引き続き私を襲い私を苦しめてゐる考えだ。

戦争がたゞ一政治的事件として反省されるには、冷たい理知で事足りるであらうが、私達が演じた大きな悲劇として自覚されるには強い直感と想像力を要する。悲劇とは単なる失敗でもなければ、過誤でもないのだ。それは人間の生きてゆく苦しみだ。悲劇は、私達があたかも進んで悲劇を欲するかの如く現れるからこそ悲劇なのである。

天皇の問題も単なる政治問題ではないだらう。それは単なる政治的制度ではないからだ。日本国民といふ有機体の個性だ。生きてゐる個性だ。不合理だからやめるといふわけには参らぬ。日本国民がもし強いなら、天皇を生かすだらう。

谷沢永一
「天皇制」といふ言葉はもともと日本にはない言葉であります。この言葉をはじめて使つたのは千九百二十二年(大正十一年)十一月二十二日、コミンテルンが日本の労働者階級に呼びかけた次のやうな挨拶でありました。
「武力干渉と天皇制の政府とに対する日本の広範な労働者大衆の益々高まりゆく憤激の結果であつた」
このソ連のコミンテルンといふのは、世界共産主義革命の実現を目的とする共産主義者の国際組織であり、日本に対しては天皇を否定し"制度"にして解体することを目論んでゐました。
この「天皇制」といふ言葉はソ連共産党が指導して、世界革命を目指すコミンテルンによる造語であり、共産主義の天皇抹消の闘争目標である「天皇制打倒」、「天皇制廃止」と言ひきる時に使はれた言葉であり、天皇陛下を罵り、辱しめ、貶め、いやしめ、憎むための言葉であります。
天皇陛下は制度によつてゐるものでもなく、機構に属してゐるものでもありません。我が日本の国体そのものであります。故に「天皇制」といふ呼称は事実に即してゐない間違いであります。